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「ブルックリンの交差点で ~デモとアート~」(視点・論点)

画家 マコト フジムラ  

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ブルックリンのデモの出発点であるチャーチ・ストリートの交差点、そこに着くと警察のパトカーが何台も黒人の集団を取り囲んでいました。そのイメージはニュースで見るジョージ・フロイドのあのビデオとまったく同じ恐れを感じるシーンでした。私は最悪を予想し、マスクをつけ、私の弁護士の電話番号を腕にペンで記し、その集団の方へ友人と共に近づいて行きました。

その「集団」とは、ある黒人教会が呼びかけた反人種差別デモでしたが、ニューヨークでの暴力問題が続く中、どうなるか、実は不安を持って参加しました。
しかしその交差点での体験は、その恐れを裏返す驚くべき奇跡の様な体験でした。

警察のユニフォームを着ながらも「市民援助隊」のバッチを胸に着けた黒人の警察官が、その教会の牧師と打ち合わせをしながら、和やかな顔で地図を比べ合っていました。周りの参加者は静かにデモが始まるのを待っていました。その中には教会のTシャツを着たティーンも何人か混ざっていました。実は私の恐れを誘ったパトカーの点灯は、その交差点から出発するデモの群衆を守る為だったのです。数百人の群衆は家族も含み、ほとんど黒人でしたが、警察官の方は色々な人種で、アジア系の警察官もいました。

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ゆっくりと”Black Lives Matter...No Justice, No Peace” と連呼しながら道を歩み始めるとそのチャーチ・ストリートはまさに教会(チャーチ)ばっかりだと言うことに気づきました。その通りの幾つかの小さな教会からも応援が聞こえました。パトカーが群衆の前と後ろを守り、何回もリーダー達がデモの参加者にメガホンで演説する為、立ち止まることも許され、私達は黒人の家族に囲まれて、まさに、ある台風の目の中を歩む様な体験をしました。

そのデモの最終点である教会の前で、数人の20代のリーダーたちが演説をし、その中には怒り、又憎しみを持った激しいものもありました。しかしその度、「これは今日で終わるマーチではないよ。これから世界が変わるまで歩むんだ。」と老人のリーダーが慰め、チャレンジを与えていました。

ハーバード大学のコーネル・ウェスト教授は今回のデモは黒人ばかりではなく、色々な人種が加わり、歴史的なものだと見ています。ウェスト教授は黒人のリーダーとして、長年大学などで教え、今、アメリカで一番大切なオピニオン・リーダーだと私はみます。しかし彼は、今のムーブメントの勝利には、これから押し戻しが必ず来ると教え、文学者のサミュエル・ベケットの言葉を引用します。

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「我々は”Try Again, Fail Again, and Fail Better”、つまり『何度もトライして、何度も失敗を重ね、そして失敗を改善する』ことに尽きる。」この名言は私の様なアーチストには適切なアドバイスですが、21世紀の公民権運動にも不可決な一言です。ふと思うと、この公民権運動もアートかも知れないと思います。

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アーチストとして、失敗とは導入点です。
何回も「それは無理」だとか「出る釘」として叩かれると、もっと元気になります。その「不可能」の世界に近づきたいからです。人間の心には差別の心がどうしてもあります。ですから、平等な世界も「不可能」だと言う思想があるでしょう。それは、生き残るための生存本能でもあるでしょう。

今の社会の歪は、アメリカが抱える深刻な問題だけでなく、人間の心の歪みです。どの社会でも差別はあり、それがシステム化しています。インドのようなカースト制度がアメリカにも陰で存在していることが、今初めて、表に浮き出ているのです。力のあるものが、力のないものを奴隷とするのは、人間の根本的な歪み、それを把握するデモは、預言的アートです。千利休でも、ドイツの前衛作家、ヨーゼフ・ボイスであっても、その不正な社会構造を表に出し、そのウラを描き、乗り越えるメソッドを作るのがアートの役割でもあります。

今、現代美術では社会と通じる、また、日常生活とハイ・アートを繋げる光景が見られ、その点では、公民権運動をアートとみることは一種のムーブメントと言っても良いでしょう。

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去年の夏のベネチア・ビエンナーレの金獅子賞を取ったのが、リトアニア館でのビーチのごく普通のリアリティを眺め下ろすセッティングの作品でした。その、ごく普通のシーンに目が慣れてくると、突然その中の水着姿でタオルの上で日光浴をしている女性が歌い始めます。隣の女性も歌い始め、子供を含む20人ぐらいの合唱、それも皆プロのシンガーのクワイアーで、その美しい歌で会場が満ち溢れて終わります。それは、日常の中に美を見つけるような、ユニークな体験であり、ハイ・アートと日常生活を繋げる心に残る体験でした。

トランプ政権の波乱が続く中、トランプ大統領の勝ち方、また独占的行為は、彼のリアリティTVのパターンをそのまま選挙に持ち込み、世俗的なコミュニケーションの仕掛けを操る、それを言い換えてしまえば、世俗アート「ロー・アート」と言うこともできます。その呼吸のできない文化の構造の中、ベケットの言葉は暗闇を通す光とも感じます。叩かれても、叩かれても黒人文化は、ジョージ・フロイドのお葬式の時のよう、黒人霊歌に囲まれ、叩かれても歪まない美しさを感じます。”Try Again, Fail Again, and Fail Better”の精神は、これからの新たな文化を生んでいくのではないでしょうか。

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かつて遠藤周作は、キリスト教弾圧の時代を捉えた小説「沈黙」は、神の沈黙を描いたのではなく、沈黙と苦痛を通して聞こえる「沈黙の声」を捉えたかったと述べています。暗闇を通し、苦痛を通して初めて浮き出る新たな文化は、その心の叫びを通し、牢獄の中で書かれた手紙であるかもしれません。マーティン・ルーサー・キング牧師も、アレクサンドル・ソルジェニーツィンもその牢獄の中から見たビジョンを土台に、世界に訴えています。

新型コロナ・ウイルスの影響で、私達の毎日の生活もその「牢獄」に似た心境を生んでいるかもしれません。その思想、その体験から生まれる何かが、私達の新たな世界につながっているかもしれないのです。
社会の亀裂から生まれる叫びで、軍隊の力よりも強いという理想が民主主義を生み、その発見は色々な意外性を生み出します。警察の協力と共に歩いたデモのマーチは、私の喪失しかけたアメリカ人としての望みを再発見するサーチライトとなったかも知れません。
あのブルックリンの交差点で発見した「台風の目」が、この世界を変える力であると信じます。

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