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「『日本型雇用」を考える』~国際比較、問題点、そして未来~」(視点・論点)

慶応義塾大学 教授 小熊 英二 

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コロナウイルスの流行などをきっかけに、日本の働き方が問い直されています。テレワークが進まない、仕事の分担が不明確、非正規雇用の立場が弱いなど、露呈した問題は数多いといえます。これを機会に、日本型雇用について考えたいと思います。

 今日お話しするポイントを三つ述べます。①日本型雇用のしくみ、②それがもたらす問題、③改革の方向性、この三つです。
まず、他国と日本の働き方を、図式的に理解してみましょう。

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単純化して言えば、こうなります。日本型雇用では、同じ企業内で様々な職種、たとえば経理とか営業とかに異動します。それに対し、他国では同じ職種内で、様々な企業を移動するのです。たとえば経理の教育を受けて学位をとった人は、経理の職務に就き、経理の職でキャリアを積んでいくのです。
他国の働き方では、職種ごとに、ポストが空いたときに公募するのが一般的です。たとえば「経理係員募集。必要な資格は、四年制大学の経済学の学位、または経理係員として3年以上の実務経験。給与は〇円」といった公募が出るわけです。
社外から応募する人もいますが、社内から応募する人もいます。

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図は90年代のドイツの編集者の賃金表です。ここでいう職歴は、特定企業の勤続年数ではなく、編集者としての実務経験年数です。働く企業が変わっても、編集者としての職歴が評価されて賃金が決まっていたのがわかります。
他国では働きながら大学院に入りなおす人も増えました。それは経営学修士号や工学博士号などの学位を持っていると、それがそのまま評価され、高い給与と高いポストを得られるためです。公募を出す側も、専門の学位や職歴があることを条件として提示します。また応募する側も、学位や職歴を明記して応募するわけです。
こうした他国の働き方の前提は、職種ごとの評価基準が、企業を超えて共有されていることです。つまり、「経済学の修士号」といった学位、「経理の職務でA社とB社で実務経験10年」といった職歴が、企業を超えて通用するわけです。

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よく日本型雇用の特徴は長期雇用であり、他国の特徴は解雇が容易であることだと言われます。しかしそれは、あまり正しくありません。アメリカは解雇規制がありませんが、ヨーロッパ諸国は解雇規制があります。そして他国の場合は、たとえ一つの企業で解雇されたとしても、他の企業に移ることができます。日本型雇用では、ある企業での職歴は他の企業では評価されないので、一つの企業にしがみつかざるを得ないのです。
つまり日本と他国の最大の違いは、職務ごとの評価基準が、企業を超えて存在しているか否かです。日本では、そのような企業を超えた評価基準がないため、職務もはっきりしないし、企業を移動することもできないといえます。

そこで第二のポイントに移ります。日本型雇用の問題点です。

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日本型雇用の問題点としては、専門能力が育ちにくい、一人一人の成果が測れない、人材の流動性がない、新卒一括採用の手間がかかりすぎるなどがよく指摘されます。職務の分担や責任が不明確なので、テレワークが進まないという問題もあります。
また修士号や博士号が評価されないため、他国に比べて大学院進学率が停滞しています。これは長期的には、日本の国力低下につながりかねない問題です。
しかしそれ以上に問題だと私が思うのは、日本型雇用が理不尽な格差を生むことです。

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他国にも格差はあります。まず、学位があるか否かの格差。そして、職務ごとの格差があります。しかし、企業間の格差は問題になりません。その企業の待遇が不満だったら、企業を移動できるからです。雇う側にしても、同じ職務なら、企業が違っても賃金に大きな差をつけられません。企業を超えた職務の評価基準があるからです。
同一労働同一賃金とは、こういう働き方の延長にあります。
ところが日本型雇用では、労働者が企業を移動できません。そのため同じ仕事をしていても、新卒時に雇われたのが大企業か中小企業かで、大きな格差が生じます。そのうえに、正規か非正規かの格差が加わります。それが不満でも、あとから学位を
得たり職歴を積んだりして、状況を改善していくことができません。
どこの社会にも格差はありますが、これは個人の努力では回復できない、理不尽な格差といえます。
一方で日本型雇用を評価する人は、こう唱えてきました。いろいろ問題はあるけれども、雇用の安定や年功賃金などのメリットもある。日本が一億総中流といわれた社会を作れたのは、日本型雇用のおかげである。本当にそうでしょうか。
じつは、日本型雇用が適用されている人は、それほど多くありません。
非正規労働者が多いというだけではありません。中小企業では、たとえ正社員であっても、年功賃金や長期雇用を実現できないことが多いのです。
じつは政府の就業構造調査から試算すると、長期雇用や年功賃金を享受している人は、全就業者の27%にすぎません。たった3割にも満たないのです。しかもこの比率は、統計からわかる1982年以降は、ほとんど変わっていません。
では、残りの人々はどうしていたのか。

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図からわかるように、1980年代以降、非正規労働者は増えています。しかし、正規従業員はほとんど変わっていません。減っているのは、自営業と家族従業員です。つまり、かつては農林水産業や商業などの自営業で働いていた人たちが、非正規雇用に流れ込んでいると考えられます。

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つまり、日本社会は三種類の働き方で成り立っていたといえます。大企業で日本型雇用を享受していた人が約3割。自営業から非正規雇用に流れている人が約4割。
そして残りの3割は、たとえ正社員であっても、日本型雇用のメリットである年功賃金や長期雇用を享受していない中小企業などの労働者です。しかもこれは、80年代からそうだったのです。

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それなのに、かつての日本が「一億総中流」といわれ、失業率が低かったのはなぜでしょうか。長期雇用や年功賃金を享受できていたのは、当時も就業者の3割弱でした。しかし70年代の石油ショックのときには、じつは中小零細企業が雇用を吸収していました。日本の失業率が高くならなかったのは、こうした中小企業の雇用が増えていたためでした。また自営業が多かったため、持家で商売をやっていたり、農家で自分たちが食べる分の農産物を作れていたりして、所得の低さを補うことができる人が多かったのです。
つまり失業率が低かったことや、貧困が少なかったことは、大企業の日本型雇用のおかげではありません。日本型雇用の外部にあった、中小企業や自営業のおかげだったといえます。
しかし現代では、自営業が減少し、非正規雇用が増えています。これが地方の疲弊、貧困の増加、社会の不安定化などに表れています。そして今回のコロナ危機では、70年代に雇用を吸収していた部門、つまり中小企業や自営業が打撃を受けました。

日本型雇用にはメリットがあるといっても、それを享受できている人はそれほど多くないのです。自営業が安定していた時代はともかく、いまとなっては、理不尽な格差を生む弊害の方が大きいかもしれないと私は考えます。

それでは、改革の方向はどうあるべきでしょうか。
これが第三の論点になります。
 じつは経団連や日経連は、1950年代から日本型雇用の見直しを唱えていました。ところが、企業を超えた評価基準を導入することには消極的でした。他企業と互換性のある基準を導入すると、社内教育で育成した人材が他企業に流出してしまう。そのことを恐れたのが一因だったようです。そのため過去に実現した見直しは、日本型雇用の基本形を変えないまま、賃金コストを削るものでした。それは具体的には、非正規雇用の増大、人事考課による昇給の抑制、子会社への出向増加などの形で表れました。
こうした見直しで、企業の賃金コストは削れたかもしれませんが、雇用の不安定化と賃金の低下がおきてしまいました。しかも、企業を超えた人材の移動は進まず、日本型雇用の本質は変わっていません。これでは、社会全体としては弊害の方が大きいといえます。

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日本型雇用を見直すさいには、何よりもまず、企業を超えた人材の評価基準を作ることが重要になります。それによって、中小企業や非正規雇用で働く人が正当に評価され、理不尽な格差を解消することにつながります。また職種別の専門能力や、大学院で得た学位が評価されれば、人的資本の向上にも役立つでしょう。

それを実現する第一歩としては、企業が採用や昇進を行なうにあたり、その基準を明確化し、透明化していくことです。できれば、部課長や役員など上位の役職ほど、まず大企業が率先して、公募に切り替えていくべきでしょう。
それをしないで、解雇を進めやすくしたり、賃金を抑制したりするだけの改革は、改革の名に値しない。
私はそう思います。(完)

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