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「著作権教育から情報教育へ」(視点・論点)

コンピュータソフトウェア著作権協会 専務理事 久保田 裕  

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 子供達はSNSなどのインターネットのサービスを上手に使いこなし、そのメリットを享受しています。一方で、SNSやインターネットなどの機能や特性を理解しないまま使ってしまうことで、思わぬ被害や事件に巻き込まれるケースも相次いでいます。
犯罪被害や情報トラブルを避けるため、最も大切なことは「教育」です。今日は、今、学校現場で行われている著作権教育の課題と、複雑化する情報社会の教育のありかたについて考えたいと思います。

私の所属するコンピュータソフトウェア著作権協会は著作権の普及活動として30年間教育機関に出張授業を行ってきました。当初は著作権についての知識が日本国民に全くないところからのスタートでしたが、最近では著作権の存在は常識となり、技術家庭や情報の科目の中に著作権の項目が組み込まれています。講演要請の内容もICT機器の普及に伴い、インターネットやSNSの安全な使い方にも及んできました。
さらに、学校現場で著作権の講演を行うなかで、私は先生方の疑問や興味が著作物だけでなく、プライバシー、個人情報、ヘイトスピーチ、フェイクニュースなどそれぞれ法益の異なる情報にあることに気づきました。ですが、それらの取り扱い、行動指針はバラバラです。インターネット上の多くの情報が著作権法の保護対象ですが、デジタル形式で流通している現代、著作権や著作権法だけを伝える教育には限界があったのです。
 たとえば、人物が写った写真を撮影者でない人がインターネット上にアップロードすることは、撮影者の著作権を侵害する行為ですが、同時に、被写体の肖像権も侵害してしまいます。同じように自分の日記を公表することは、著作権の問題はありませんが、内容によっては他人のプライバシーを侵害し、名誉毀損や侮辱罪に該当することもあり得ます。政治的意見のつもりでも、ヘイトスピーチのように表現の自由を逸脱することもあります。
 こうしたことから、著作権だけではなく、肖像権やプライバシーといった権利に関することや、セキュリティやネットマナーまで含めた情報モラル、情報リテラシーの重要性が着目され、2003年度から高校では「情報」という科目で教えることになりました。

つまり、学校での著作権教育は、著作権単独というよりは「情報モラル」を構成する重要な要素として行うことが多くなりました。そして、情報モラルを身につけることで、犯罪被害を避けることができるばかりでなく、他人の発信する情報を吟味し、より良く活用しうることができ、かつ自らの情報発信を適切に行うことが出来るのです。その点で、著作権は情報発信の重要なルールではあるのですが、その情報の受発信をするための前提となる知識や態度、著作権の本質的意味や価値すなわち「著作権は何故保護されるべきなのか」ということの理解ですが、それらの教育は残念ながら十分に行われていません。

そのうえ、高校をはじめとする学校では、情報科の目標の1つである「情報活用の実践力」が、「IT機器活用の実践力」と誤解され、ワープロ、表計算、プレゼンテーションソフトを使えるようになるための授業が日々行われ、まさに街の「パソコン教室」になってしまいました。このような背景には情報の教員資格免許が急造りされたこと。その後の教員研修制度の質の悪さなどが指摘されています。

一方、数学的、情報工学的授業が行われている学校もあります。確かに、IT機器の活用やプログラミング教育などもすべて情報に関わることではあります。しかし、それでは「情報」の本質に迫ることはできません。残念ながら新しい学習指導要領でもこの部分の強化が中心のようです。要するに、教育現場では情報教育=コンピュータ教育となってしまい、情報社会に参画する態度の育成といいながら、社会学的な人間同士の情報交換、コミュニケーションについての考察、検討がなされていないのです。
では、今後いかなる教育を行えばいいのでしょうか。
OA・スーパー(創作と情報の本質)
私は、キーワードは「創作」と「情報の本質」だと考えています。

一般的に情報とは、判断したり、行動したりする際に必要な内容と考えられています。生存活動のための無意識な情報や生命の内部に生じる感情や感覚を生命情報といいます。また、記号、言語やそれを人に伝えられる形に表現した社会に通用する情報を、情報学では社会情報といいます。

先月末、共著で上梓した著書の中で、漫画家の松本零士先生が「創作は体験に根ざす」「コピーは冷たい」と発言されています。この言葉に、私は強い衝撃を受けました。人間の認知は主観的なものであり、同じ刺激を受けても感じ方は千差万別。同じ事象であっても人は観察の仕方、感じ方が違うので、必ず異なった表現になる。その人の感性や個性が表出されていれば、創作性がそこに生じます。
 「創作は体験に根ざす」はまさに身体感覚を通じて人の内部で生命情報が形成され、その後言語やその他の表現手段によって社会情報として創作物すなわち著作物が生成されるのです。

そもそも教育現場では、児童や生徒、学生たちが創作する作品を評価の対象としてではなく、その意味や価値を理解し、さらにその創作、創造を増幅させるための教育がなされているのでしょうか。そのことに気付けば、子どもたちにかける言葉も大きく変わっていくでしょう。質の高い豊かな情報に触れ、多様な創作、意見を発信することで、情報社会に参画し貢献する。そういった人づくりこそが情報教育の要になるでしょう。

著作権法が保護する社会情報は、人が持つ生命情報が表出されたものです。著作権法という法領域の奥底に潜む、生命情報に焦点をあてる。自分の生命情報だけでなく、すでにある先人たちが創作した小説、論文、絵画、音楽、映像、コンピュータソフトなどの社会情報を交え、新たな創作、創造、製品・サービスを作り出す。そのような理解をすることで、「創作」「創造」と「情報」、「著作権教育」から「情報教育」までが首尾一貫した話としてつながるのではないでしょうか。

そのつながりをしっかり頭に入れておけば、「~してはいけない」というダメダメ教育から脱し、それら情報の意味や価値を知ることをうながす教育となるのです。
意味、価値を伝えるために、表現と伝達手段であるメディアという観点は重要です。自らが行った表現は、これで正しかったのだろうか。さらに他者にその意図や意味は正しく伝わっているのだろうか。そのメディアの選択は適切だったのであろうか。情報は、意図したとおりには伝わらないからこそ、相手の身体性をともなった主観を想像し、常に自分の表現、その伝達手段は正しいのかを問うことが求められます。

主観的な存在である人々がその意味や価値を同等に理解することが不可能である以上、メディアをフルに活用し、相手に可能な限り寄り添うことが必要でしょう。だからこそ、私は、口調、文体、フェイストゥーフェイス、手紙、メール、など様々な伝達手段の組み合わせを考えること。ことばの力をつけるための国語教育。ダンスや演劇などの身体性を伴った表現教育。
さらに私は、20年以上都内のラグビースクールのコーチや世話役を続けていますが、団体スポーツを通してのコミュニケーション教育なども情報教育の中核と位置づけます。
最後にますます複雑になる情報社会を生きるためには、その社会システムを批判的に捉える英知を養う必要があります。そのためには、他者の情報をじっくり傾聴、吟味し、継続的に考える力をつけていくしかないのです。

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