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「高齢女性の貧困を防ぐ年金改革を」(視点・論点) 

国際医療福祉大学 教授 稲垣 誠一 

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「老後資金2000万円問題」を覚えていらっしゃいますか。これは、金融庁の有識者会議の報告書案の一部が切り取られて、老後生活に2000万円が必要という部分だけが伝わったために、公的年金だけで暮らせないなんてひどいということで様々な批判があったものです。結局、高齢者の世帯ごとに資産形成が異なるなかで、政府として、「平均として出すには無理がある」との理由により、そのとりまとめが見送られることになりました。

「100年安心の年金制度」というキャッチフレーズも覚えていらっしゃるのではないでしょうか。これは、年金財政は100年安心で、所得代替率50%を将来にわたって確保できるというものです。
この所得代替率は、現役世代の男性の平均の手取り収入に対する年金額の比率をいいますが、その比率が将来にわたって50%を下回らないということを意味しています。しかし、法律に定められた所得代替率は、65歳時点の専業主婦世帯に限ったもので、一つのパターンの見通しだけを示したものです。

人生は様々で、様々な老後を迎える方がいらっしゃいます。専業主婦世帯の人、三世代世帯の人、生涯シングルであったり、離別したりする人もいます。かつては、専業主婦世帯が標準であったかもしれませんが、今日では、多様化した生き方が当たり前になっています。

こうしたライフスタイルの多様化を踏まえて、公的年金の問題、とりわけ基礎年金の問題を考えてみたいと思います。

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この図は、公的年金の全体像を表したものですが、全国民共通の基礎年金に、サラリーマンを対象とした厚生年金が上乗せされています。基礎年金は、老後の貧困を防ぐために、国民すべてに老後生活の基礎的部分として月額65,000円を保障するものという位置づけになっています。しかし、本当に現在の基礎年金はその機能を果たしていくことができるでしょうかというのが私の問いです。

基礎年金は、厚生年金と同様に、「保険」の仕組みになっています。保険の仕組みとは、保険料を払った人に、納めた保険料に応じて年金給付をするという仕組みです。厚生年金の加入者は収入に比例した保険料であり、その被扶養配偶者いわゆる専業主婦は保険料を納める必要がないので、保険料の支払いに問題はありませんが、自営業者や所得の低い非正規雇用者などの 国民年金はどうでしょうか。国民年金の保険料は、収入とは関係なく、月額16,410円となっています。これらの人々は、保険料を支払う能力はあるのでしょうか。

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この図は、国民年金の被保険者の保険料の納付状況を表したものです。保険料を支払う能力のない人には、保険料免除や納付猶予の仕組みがありますので、保険料未納という事態は避けることができるようになっています。しかし、保険料を納めている人は5割、未納の人は1割、免除・納付猶予は4割で、実に614万人が保険料を支払う能力がない人々です。これらの人々は、将来基礎年金を十分に受け取ることができません。これは、老後生活の基礎的部分を保障する基礎年金までもが「保険」の仕組みになっているからです。こうした人々は日々の生活自体が苦しいので、将来に備えた貯蓄などをする余裕はありません。「2000万円」など別世界の話です。

政府は、年金制度は今後も安心といっていますが、平均的なモデルだけからは、こうした貧困の実態はわかりません。そこで、私は、将来の貧困率の予測に長年取り組んでまいりました。様々な人生を勘案した高齢者の貧困率の将来見通しを作成しているのですが、この貧困率は、将来、足元の2倍にまで上昇します。これは、物価上昇などに応じて引き上げられるべき年金額を、マクロ経済スライドという仕組みによって引上げ率を抑制したり、高齢者の一人暮らしが増加したりすることが大きな要因です。

それでは、どのような高齢者の貧困リスクが特に高いでしょうか。一般的には、保険料を支払う能力に乏しい人たちですが、具体的には、未婚・離別の高齢女性です。

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この図は、配偶関係別に見た高齢女性の貧困率の将来見通しです。有配偶の女性や遺族年金のある死別の女性の貧困率はそれほど上昇しませんが、未婚・離別の高齢女性は、その5割が将来貧困になってしまうと見込まれます。女性の雇用環境や賃金は、依然として男女の格差が著しく、氷河期世代の男性よりもっと悪い状況が続いていますので、保険料を支払う能力が低く、また、老後一人暮らしになる可能性が極めて高いからです。

こうしたシングル女性は、今後一層増加していくと見込まれています。

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この図は、2015年国勢調査の結果で、50歳代の未婚・離別の女性は女性全体のおよそ2割、155万人もいます。これらの女性は、2020年代には年金受給者になりますが、高い貧困リスクにさらされます。若い世代では、生涯未婚率や離婚率が高くなっているので、さらに増加します。自己責任論がよく言われますが、就職氷河期よりも厳しい時代を生きてきた彼女たちの責任とはとても言えません。

根本的な問題は、基礎年金を納めた保険料に応じて年金給付をするという「保険」の仕組みとしていることです。保険の仕組みでは、保険料を支払う能力のない人が制度から落ちこぼれてしまうからです。私は、何らかの最低保障年金のような仕組みが必要ではないか、そうでないと基礎年金の基本的な役割を果たすことができないのではないかと思います。ただし、この最低保障は、65歳からではなく、75歳からでも十分と思います。これからは、75歳くらいまでは働く機会も増えると思いますし、すべての人に一律に最低保障年金を給付する必要はないと考えるからです。

それでは、どうすれば最低保障年金を導入できるのでしょうか。

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この図のように、65歳から75歳までは現行制度を残します。75歳からは保険料納付を条件としない最低生活費に相当する年金を一律に給付するというものです。75歳から新しい制度にバトンタッチするという仕組みです。

最低保障年金に対する懸念は、多額の追加費用の問題と、保険料を納めた人と納めなかった人の年金額が同じでは不公平ではないかという公平性の問題でした。
現在の基礎年金は、保険料と税金で財政運営されていますが、これは、75歳から新しい制度にバトンタッチされますので、今後は、75歳までは保険料だけで財政運営することができるようになります。そして、これまで基礎年金の財源にあてていた国庫負担12兆円はすべて75歳以上の新しい年金の財源とすることができますので、追加費用は限定的 です。また、国民年金の保険料は年額約20万円ですが、これを40年間納めると総額で約800万円になります。この場合、年額約80万円の年金を受け取ることができます。65歳から75歳まで10年間受け取ると元が取れますので、公平性の問題も回避することができます。

これは一例ですが、重要なことは、最低保障年金を65歳からでなく、75歳からとして、現行制度を残すことがポイントです。新しい仕組みにはいろいろな工夫の余地があるかと思いますが、貧困に陥る高齢者の増加を防ぐためにも、基礎年金の抜本的な制度改革が必要ではないでしょうか。

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