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「緒方貞子さんからの『メッセージ』」(視点・論点)

元 国連事務次長 明石 康

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 それでは緒方貞子さんの足跡とか思い出を交えながら、当時の国連活動についてお話ししたいと思います。

 緒方貞子さんは、1991年1月から、10年後まで、難民高等弁務官として、10年かっちりお務めになりました。

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その時代は、ちょうどアメリカとソ連を中心とする冷戦時代がやっと終わって、もっとすばらしい平和な時代が来る事を世界は期待したのですけれども、残念ながらそうはなりませんでした。
 冷戦が終わった段階で、国連は世界各地におけるいろいろな形での紛争、対立、人道的な悲劇に対処するために、国連難民弁務官事務所に期待するところが雪だるま式に増えていきました。

 イラク戦争が起きたときには、イラクの北部にたくさん住んでいた住民が、国外に避難しました。難民だけではなく、国内において人道的な危機が次から次に起き、国内避難民もたくさん、何十万、時には何百万も出るというような、今まで予想もできなかったような事態が起きました。緒方さんは早速そういう問題に取り込む事になり、彼女は勇気と果断を持って事に当たられました。
 
 それから緒方さんの弁務官として最大の問題は、バルカン半島における、旧ユーゴスラビア、チトー大統領の時代には、一応いろいろな民族が平和を保っていたわけですけど、チトーが亡くなった1980年を契機に、いろんな民族が独立しよう、自立しようという動きが出ました。
 特に問題が一番深刻だったのは、ボスニア・ヘルツェゴビナという所ですけれども、ここにおいては、いろんなカテゴリーの、難民、国内避難民を合計すると、200万以上の大変困った人たちが家を追われ、ある場合には国外に追い出されるという事態になりました。

 その中で1993年辺りから試みられたのは、安全地域を作ろうということでした。その安全地域を守るためには、国連PKOを派遣しなくてはいけないわけですけれども、PKOの数とか予算とか、武器その他については、安保理は、なかなか予算面の制約があるものですから、ケチをして、本来やるべきことをやらないで、スレブレニツァという、大変悲惨な状況にセルビアのイスラム系難民が置かれた所に安全地域が作られ、その翌年にはさらにサラエボをはじめ5か所が作られまして、その6か所をきちんと守るためには、3万以上の兵力が必要であると国連事務総長が言ったのに対して、安保理は約7000名の人間しか認めてくれなかったのです。
 緒方さんは、当面した戦闘行為をやめさせ、人道活動を展開するために、国連のPKOをもっと派遣してくれ、増強してくれと言い続けたわけですけども、
国連で最大の国であるアメリカは、NATOの空軍力を使えばいいじゃないかと言い続けました。

 緒方さんだけではなくて、私は94年と95年にかけて2年間、バルカン半島における国連保護軍の事務総長特別代表ということで、いろいろ努力しました。
安保理が新しい勧告を次々に出すのですが、それを実際に実行するための必要な手段、予算、人員をつけてくれなかったことには、大変苦労したのを覚えています。
 緒方さんの難民高等弁務官も、現地において、いろいろな食料、薬品、それから冬には毛布をいろいろな都市に運ぶという、大変大きな苦労をしたわけです。

 そんなことで、ユーゴスラビアにおける国連活動は、どうしても難民高等弁務官の、大規模な活動に依存するしかしかたがなかったのですけれども、全体としての和平の構造をどういう風に描くかという点では、安保理事会も特に名案はなくて、次から次にその場しのぎの決議の下で、我々は現地で苦労を味わうことになったわけです。
人道支援もそういう国連PKOの指示と支援の下に行われるわけで、いろいろな困難を舐めることになりましたが、国連難民高等弁務官として、世界中に展開する人道支援の総元締めとしての、ポスト冷戦期の、緒方さん並びに国連難民高等弁務官事務所の活動はすばらしいものであったと思います。

 私は個人的にも、ずっと前から緒方さんを知っていました。緒方さんもすばらしかったし、夫の四十郎さんもすばらしかったと思います。
四十郎さんは非常に淡々として、ジョークを多発する明るい性格の人でした。
このふたりは、睦まじい間柄であったのですけども、何となく見ていると、同級生みたいな感じで、お互いに仕事のことについても議論したり、笑ったりしていて、私は四十郎さんがいなかったら、緒方さんはあれだけの仕事ができなかったのではないかという風に感じております。

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 日本が生んだ一人の人道主義者、その彼女は、国連の中でも十分に通用し、尊敬される大きなリーダーであったという事は、決して忘れる事のできない事実だと思います。

ありがとうございます。

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