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「共感力を必要とする社会」(視点・論点) 

京都大学 総長 山極 壽一 

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こんにちは。
私はこれまで40年余り野生のゴリラの研究をしてきました。それは、ゴリラから見ると人間の祖先の暮らしや人間のユニークな特徴を知ることができるからです。
きょうはこれまでの研究から見えてきた共感力を必要とする社会についてお話いたします。

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まず、ゴリラと人間の違いは何でしょう。人間より力が強くて、でも知性が低いと思っていませんか? その通り、ゴリラのオスは人間の3倍くらい大きく、でも脳は3分の一ぐらいの大きさしかありません。
なぜ、人間の脳はこんなに巨大になったのか。それは人間が言葉をしゃべり、言葉を使って世界を分類して解釈するようになったからだと思っていませんか?

でも、それは違うのです。

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言葉が現れたのは約7万年前ですが、脳が大きくなり始めたのは200万年前、現代人並みの脳の大きさになったのは40万年前です。言葉をしゃべり始めたから脳が大きくなったのではないのです。
では、どうして脳が大きくなったのか。人間以外の霊長類は、集団の平均サイズが大きいほど脳が大きいという報告があります。おそらく、言葉をしゃべる以前に、付き合う仲間の数が増えて、仲間の性格や自分との関係を記憶するために脳が容量を増やしたのでしょう。

脳の大きさと集団のサイズの関係を、350万年前から当てはめてみましょう。

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ゴリラ並みの10人ほどの集団から、現代人の脳に匹敵する150人という数になります。実は現代でも食糧生産をせずに、自然の恵みに頼っている狩猟採集民の村の人口はだいたい150人だと言われています。都市に住んでいる私たちでも、頻繁に連絡を取り合う仲間の数はせいぜい150人ぐらいです。

つまり、言葉をしゃべり、農耕・牧畜や産業を興して人口を急増させた現代でも、私たちは見返りを求めない家族のような小集団と、互いに役割を認識して助け合う150人ほどの共同体で暮らし続けているのです。

人間に近いゴリラは家族的な小集団、チンパンジーは共同体のような集団しか作れません。それは、見返りを求めない家族と、見返りを求めあう共同体が、うまくかみ合わないことがあるからです。人間がその二つを両立することができるのは、高い共感力で仲間の事情や気持ちを理解して問題を解決することができるからです。その共感力こそ、人間の脳を大きくした源泉なのです。

ではなぜ、人間は共感力を高める必要があったのか?
それは、類人猿たちが未だに住み続けている熱帯雨林を出て、食物の少ない、肉食獣の危険が多い草原で暮らし始めたからです。
類人猿でもときどき食物を分配することがあります。でも、人類の祖先は危険な草原で遠くまで食物を探しに行って、それを持って帰り、安全な場所で仲間と一緒に食べることを始めたのです。

でも、樹木の少ない草原では、安全な場所は限られています。幼児が肉食獣に捕食され、絶滅の危機に瀕したために、人類は子供をたくさん作るようになりました。

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赤ちゃんの離乳を早めて、次の子どもをすぐに作れるようにしたのです。ゴリラの赤ちゃんは3~4年間お乳を吸って育ち、離乳した時には永久歯が生えていておとなと同じものが食べられます。しかし、人間の赤ちゃんは6歳にならないと永久歯が生えないのに、1~2歳で離乳してしまいます。これは出産間隔を縮めて多産になるために人類がとった方策なのです。そのため、おとなと同じものが食べられない長い離乳期が生まれ、乳歯でも食べられる食物を世話しなければならなくなりました。

さらに、人間はゴリラの体重の半分以下なのに、生まれるときはゴリラの2倍の体重があります。分厚い体脂肪に包まれて生まれてくるからです。それは、脳の急速な成長を助けるためです。
ゴリラの脳は2倍になって完成するまで4年かかりますが、人間の脳は生まれてから1年で2倍になり、12~16歳まで成長し続けます。この間、摂取エネルギーの40~85%を脳の成長に送り続けるので、栄養の不足を体脂肪で補い、身体の成長を遅らすのです。

そのおかげで、人間に特有な思春期スパートという現象があります。脳がおとなの大きさに達すると、エネルギーを身体の成長に回せるようになって、急に背が伸びたり、おとならしい特徴が現れる現象です。

離乳期と思春期という人間に特有な現象は、人類の祖先が熱帯雨林を出て危険に立ち向かい、子供の数を増やし、仲間の数を増やして脳を大きくしてきた過程で現れたと考えられます。それを支えるために、人間は複数の家族が集まった150人ほどの共同体をつくって、共同の食事と育児をしてきたのです。

実は、人間の赤ちゃんは共同育児をしてもらうように生まれてきます。生まれた直後からけたたましい声で泣くのは自己主張です。体重が重く、自力でお母さんにつかまれないため、お母さんが抱き続けることができず、ほかの人に預けたり、置いたりするからです。ゴリラの赤ちゃんは泣きません。四六時中お母さんの腕の中で育てられるので、泣く必要がないからです。赤ちゃんの泣き声を聞いて、いろいろな人が手を差し伸べます。赤ちゃんに語りかける声は音楽的で、文化や言語の違いを超えて共通のトーンを持っています。絶対音感を持つ赤ちゃんはそれを聞いて、世界に受け入れられたと思い、幸福に眠るのです。

重要なことは、この早い離乳と思春期スパートに特徴づけられる人間の子どもの成長を支えるのは、生みの親でなくてもよく、親身になってくれる多くの手が必要だということです。

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しかしながら、近年の情報革命は、人間の脳を構成する知能と意識を分け、大量の情報を処理する人工知能を発達させました。共感能力や情緒は置き去りにされ、家族も共同体も崩壊の危機に瀕しています。人々は仲間ではなく、インターネットやスマホを頼るようになり、個人の利便性を優先するようになりました。

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私は、現代の社会が共感ではなく、優劣のルールに頼るサル的な社会になりつつあると感じています。互いの優劣に基づいてトラブルを解決するほうが効率的ですが、共感力を使う必要はなくなり、格差が大きく、利益を優先する社会になります。そして、個人の利益だけを追求すれば、利益を侵害する仲間は排除され、集団は閉鎖的になります。

現代は、安全・安心を向上させる社会を目指していますが、安全は科学技術によってもたらされるものの、安心は技術だけでは保証されません。どんなに安全な環境でも、人が裏切れば安心できなくなるからです。駅のホームで突き落とされたり、レストランで料理に毒を盛られるなどという不安があれば、社会生活を営めなくなります。

スマホやインターネットを通じて、多様な人々が交流する現代では、誰を信頼していいのか、どんな情報を信用していいのか、多くの不安が付きまといます。ヴァーチャルな世界でのつながりはかえって人々を孤独にし、人間を均一な情報に変えていきます。人間は工業製品ではありません。個人は誰も代わることができない自律的な存在で、だからこそ、多様な人々がつながり合うことによって新しい世界が開けるのです。今一度人類の歴史を振り返って家族と共同体の重要性を再認識し、共感力を用いた信頼できる仲間づくりを心掛けるべきだろうと思います。

これまで、信頼できる仲間と幸福な夢を分かち合ってきた人間は、今インターネットの中で個人の物語を生きようとしています。

スマホを見つめているあなたは、現実よりもフィクションに生きているのです。

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