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「転勤制度 見直しの視点」(視点・論点)

日本総合研究所 副理事長 山田 久 

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転勤制度を見直す企業が静かに増えています。大手損保の1社が今年から社員の望まない転勤をなくしました。飲料メーカーでも転勤を従業員の希望で猶予したり、本人希望を上司が面談で聞くといった取り組みが始まっています。政府の規制改革会議の分科会でも、今年に入ってその是非をめぐる議論を行っています。これまでわが国では当たり前と思われてきた転勤制度。いま見直し議論が起こっている背景と、その意味を考えます。

転勤制度とは、企業の命令で転居を伴う人事異動が行われる仕組みです。一般社員にまで普及しているのは日本企業に特殊な状況といえます。終身雇用・年功賃金など、日本企業の雇用慣行に特異性があることは指摘されてきたことですが、この転勤制度も日本的雇用慣行に根差す独特の仕組みということができます。
日本的な働き方の最大の特徴は、具体的な仕事内容を特定せずに労働契約を結ぶところにあり、定年までの雇用保障が最重視されてきました。企業が時代を超えて存続していくには、その時々の経済環境の変化に応じ、事業構造を絶えず見直していく必要があります。その際、特定の事業を行うある地域の事業所が閉鎖されたり、特定の業務がなくなったりすることは避けられません。そうした場合、雇用を守るには、企業の命令で従業員を自由に異動させることができる点に、合理性があるわけです。
労働裁判も、そうした企業の人事権を認めてきました。80年代、転勤の内示に対し、家庭の事情で応じなかった従業員が懲戒解雇された事件を巡り、最高裁は使用者側の言い分を認める判決を示しました。これが判断基準となり、業務上の必要性があり、労働者の不利益が通常甘受すべき程度であれば、企業の転勤命令は広く認められてきたのです。
このほか、転勤制度には企業にとって様々なメリットが指摘できます。

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第1に、事業所の拠点展開を円滑に進めることです。経営環境の変化に対応して事業を見直すにあたり、使用者の一存で労働者を自由に配置できることは、柔軟な事業展開にとって都合がよい、ということができます。中央大学の調査によれば、7、8割の企業が、この点を転勤の目的に挙げています。
第2に、人材育成の効果です。大きな環境の変化は、従業員が大きく変わって成長するチャンスになる面があります。
第3に、企業の一体感の醸成です。異なる拠点間で人材交流が活発に行われることのメリットといえます。中央大学の調査でも、業務に必要な人的なネットワークを拡大することを、転勤の目的に挙げている企業が多いことがみてとれます。
第4に、不正防止やマンネリ化の回避です。顧客との癒着を防止したり、勤務地が変わることで、新たな気持ちでこれまでと違う経験をできるメリットがあります。
このようにみれば、転勤制度は従業員にとっても、雇用保障や能力開発の面でメリットがあるといえましょう。もっとも、その一方でデメリットもあります。特に結婚して家族が増えれば、転居に伴う生活面でのコストは無視できません。転勤先での直接的な住居費は会社が負担してくれるにしても、転居を余儀なくされればその際に家具や家電を買い替えるなどのコストが発生します。子供の教育などの理由で単身赴任となれば、二重生活で当然生活費が嵩むほか、家族関係や子どもの教育にも影響が及ぶ恐れもあります。ただし、トータルでみれば、かつてはメリットがデメリットを上回っていたため、この制度が続いてきたと考えられます。

しかし、近年、個人にとってのデメリットが大きくなっています。

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専業主婦世帯が減り、共働き世帯が増加し、2018年、共働き世帯は専業主婦世帯の2倍にのぼっています。しかも、夫婦ともにフルタイムで働くケースが一般化していることの影響が無視できません。例えば夫婦いずれかが転勤になり、配偶者が同伴することになると、キャリア形成に支障が生じます。家族がバラバラになり、小さな子供を夫婦どちらかがひとりで育てる場合、その負担は非常に大きくなります。
長寿化社会を展望した際のキャリア形成、という面でもデメリットが大きくなっています。経済的に余裕を持ち、精神的にも充実した長い老後を送るには、できるだけ長く働きつづけることが、個人が採りうる有効な戦略です。しかし、一企業の雇用保障は理想ですが、現実には難しくなっています。主体的なキャリア形成が必要になっており、その意味では会社の業務都合のみでの転勤を受動的に受け入れることは、人生設計上、再考すべき時代になっているといえましょう。
実は、企業にとっても、転勤制度をこれまで通りに運用することのマイナス面が目立ってきています。重要な戦力である従業員が、パートナーの転勤に伴って退職せざるを得ないということが少なからず発生しています。若い世代の間で転勤を嫌う傾向が強まり、全体として人手不足が続くなか、本人の納得できない転勤は、優秀な人材を流出させる可能性も出てきています。
この根底には、働く人々の属性が大きく変わってきたという事情があります。かつては世帯主である現役男性の従業員がコア人材の大半を占め、彼らは「残業あり、転勤あり、どんな仕事でもこなします」というのが当然でした。企業としては、雇用保障の見返りに彼らの労働力を自由に使えるのが当たり前だったわけです。これはその裏側で、女性は家庭に入って家事や育児を一手に引き受け、働いても補助的な短時間就労、という社会通念があり、その結果、男性現役世代が仕事のみに専念できるという状況があったからです。しかし、それも過去の話、男性現役世代が着実に減少傾向を辿り、今や女性の活躍なしに職場は回りません。さらに今後はシニアの活躍が重要になっていきます。

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労働人口の属性の変遷をみれば、25歳から54歳の男性が2000年以降一貫して減少傾向にあることが分かります。一方、これまでは女性が増え、今後はシニアが増えていくことが予想されています。こうして働く人々が多様になる中で、企業の都合のみで転勤させるのでは、職場が成り立たなくなっているのです。

こうしてみれば、転勤制度の見直しはいま、企業にとって極めて重要な課題であることがわかります。企業には、改めて転勤の必要性を再検討し、その意味合いを明確化することが求められます。そのうえで、対象者の希望や事情を考慮して決める仕組みにしていくことが重要でしょう。例えば、人材育成やマンネリ化の防止といった積極的な意義があるケースで、合理的な理由で本人が受け入れを渋る場合、転居を伴わない人事異動でできるだけ代替すべきでしょう。人材育成が目的であれば、近隣地域にある他企業との相互出向制度を工夫するなどの余地もあると思います。労働時間短縮の流れとのセットで、多業種交流会や同業種の勉強会など、自己啓発を支援する仕組みづくりも考えられます。
企業としては、働く人々の属性が大きく変わっているという現実を直視したうえで、新しい人材活用、組織運営を構築していることが求められているのです。個人も、長寿化社会を展望すれば、キャリア形成や生活保障を「会社におんぶに抱っこ」ではなく、主体的に考え、行動することが重要になってきています。転勤制度の在り方を再考することはそのためのよい機会になるといえましょう。

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