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「建国70年 中国民主化の論点」(視点・論点)

愛知県立大学 准教授 鈴木 隆

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みなさん、こんにちは。
今日は、今年、建国70周年を迎えた中華人民共和国について、中国政治の民主化の問題を考えてみたいと思います。

まず、中国政治の全体状況を、確認しておきましょう。今年は、1989年の天安門事件から、ちょうど30年目に当たります。現在の中国本土で、30年前の天安門事件のような、あるいは、いま香港でみられるような、大規模な反体制運動が起こる可能性はどのくらいあるでしょうか。
率直にいって、その可能性は低いです。その背景には、今日、多くの中国国民が、一定の経済的豊かさはもちろん、キャッシュレスエコノミーに代表される生活の利便性の向上など、身近な暮らしへの全体的な満足感を抱いていることが指摘できます。
高止まりする不動産価格や大気汚染による健康被害など、個別の不満はたくさんあるものの、現在の中国社会では、現状肯定の保守的心理が、世代や階層を超えて広く共有されているといってよいでしょう。改革開放以前の、貧しく不便な生活を覚えている中高年層だけでなく、若者たちも、既存の秩序や仕組みが揺らいで、自分のライフチャンスを含む、将来の予測可能性が低下することは望んでいません。
また、「一帯一路」と呼ばれる巨大経済圏構想にみられるとおり、国際社会における中国の存在感は、2000年代以降、格段に大きくなっています。このことは、「中華民族の偉大な復興」という政権スローガンともあいまって、人々の国家的自尊心を高めています。このように、「豊かさ・便利さ・偉大さ」などのキーワードが、中国共産党政権を支える正統性といえます。
同時に、当局のリスク管理の努力には目を見張るものがあります。生活の隅々にまで設置された監視カメラ、人工知能を用いた高度な個人特定システム、ネットやソーシャルメディアの検閲など、現代の科学技術を駆使した社会への監視能力は、日々進化しています。
研究者の中には、こうした支配のありかたを、「デジタル・レーニズム」(Digital Leninism)と呼ぶ者もいます。社会の保守的心理と体制の抑圧手段の強化。こうした状況においては、共産党体制が短期間のうちに不安定化することは、考えにくいのです。

しかし、表面的な安定とは裏腹に、中長期的にみた場合、共産党の統治には、大きな困難が存在しています。とくに、以下次の3つの問題は、来るべき政治改革のきっかけとなる可能性、あるいは、適切に対応できない場合には、体制全体の不安定化をもたらす可能性があります。

1つめは、国家統合の問題です。具体的には、「一国二制度」の香港統治、および、チベットと新疆ウイグルの民族問題です。1997年の返還から、20年余りが経ったにもかかわらず、香港では今年6月以来、大規模な反政府デモが続いています。民族対立と人権抑圧の問題も深刻です。10年前の建国60周年の2009年には、新疆ウイグル自治区で、大規模な民族争乱が発生しました。近年では、ウイグル族住民の不当な施設収容も行われています。今回、70周年の関連行事の演説の中で、習近平・中国国家主席は、「団結こそ力」と述べて、国民に団結の必要を訴えましたが、それは、統合をめぐる指導部の危機意識の表れといえるでしょう。

2つめは、低成長時代における富の分配の問題です。近年の中国経済の状況は、先に述べた「豊かさ・便利さ・偉大さ」の正統性のうち、最も基礎的な「豊かさ」の将来に、暗い影を投げかけています。今後は、限られたパイの切り分けをめぐって、出稼ぎ労働者や退役軍人など、発展の恩恵に十分に浴していないとの不満をもつグループはもちろん、これまで政権の支持基盤であった私営企業家などの経済エリート層からも、異論が提出されることが予想されます。一般の民主主義国と同じように、中国でも今後は、お金の使いみちの問題が、いっそう重要な政治争点になっていくでしょう。
実際、少子高齢化と労働力人口減少のもと、持続可能な発展を実現するための社会経済改革は、停滞しています。このままでは、2020年代から2030年代にかけて、年金などの社会保障とそれを支える財政は、深刻な危機に陥るともいわれています。
この点、例えば、税財政・社会保障・戸籍制度・国有企業をめぐる制度改革は、中央・地方関係の見直し、政府による経済運営の制限など、政治体制の根幹にかかわる議論にも直結しています。要するに、これらの重要な社会経済改革の動向は、国の政治全体のありかたを緩やかに変えていく可能性を秘めています。
また、財政・社会保障・国有企業の諸改革は、先に述べた国家統合の問題や、次にみる最高指導者の決定といった、他の政治改革の争点候補に比べて、相対的に穏健なテーマであり、いわゆる「民主化の軟着陸」を期待できます。なぜなら、香港と中央政府、漢族と少数民族、最高指導者のポスト獲得競争などは、利害関係者同士の対立の構図、および、勝者と敗者の結果がはっきりと識別できる闘争のゲーム、ゼロ・サムゲームであり、それゆえ、暴力を含む政治闘争の激化、対立と混乱の長期化の危険性が高いのです。そうした事態の出現は、中国だけでなく、日本を含む国際社会全体にとって、決して望ましいことではありません。

3つめに、より短期的で切迫した課題として、強大な権力をもつ最高指導者について、その地位の継承の仕組みをどう整備するのか、という問題があります。
現在の習近平氏は、2012年に最高指導者になって以来、自身への権力集中をすすめ、一強体制を確立しました。習近平氏は、建国の父の毛沢東氏に匹敵する権力をもっているという専門家もいます。また、昨年2018年には、憲法が改正され、国家主席の任期制限が撤廃されました。これにより習近平氏は、原理的には、終身の国家主席になることもできます。
心配なのは、強すぎるリーダーは、みずからのライバルになるのを恐れ、ひ弱なサブリーダーを重用する一方、権力の継承の仕組みを十分に整えないままに、時間を浪費する傾向があることです。これに関連して、中国の指導者たちは、旧ソビエト連邦のゴルバチョフ氏を、亡国の指導者として非難しますが、その前段階には、「停滞の時代」といわれた、ブレジネフ氏の長期政権がありました。ブレジネフ氏が亡くなったあと、いくつかの短命政権が続きましたが、国勢の衰退はいかんともし難く、遂には、ゴルバチョフ氏が登場して、一発逆転のショック療法的改革を試み、ソ連解体の憂き目を見ました。習近平氏が、「第二のゴルバチョフ」になるのを避けようとするあまり、「第二のブレジネフ」にならないとは限りません。ソ連の失敗を繰り返さないためにも、習近平氏は、後継指導者をめぐり、指導部の分裂や混乱を招かないように、継承のルール作りを早急に行う必要があります。

振り返ってみれば、社会主義国の先輩であったソ連は、ロシア革命後の1922年に成立し、1991年まで存続しました。つまり、69年間で、その歴史に幕を下ろしました。70周年の中国は、ソ連の歴史を超えたことになります。その意味でも、今年は、中国の民主化と民主主義を考える良い機会といえるでしょう。

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