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「消費者庁10年 成果と課題」(視点・論点)

国民生活センター 理事長 松本 恒雄

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 わが国において、政府が、消費者問題に対して本格的に対策を講じるようになったのは、前回の東京オリンピックが開催された1964年の前後のことでした。それから45年が経った2009年9月1日に、ようやく消費者政策を専門に担う官庁である消費者庁が、消費者委員会とともに設置され、現在、10年を経過したところです。

今日は、消費者庁設置の成果と課題についてお話します。

<消費者庁設置のきっかけと期待された役割>
(1)消費者庁設置のきっかけ

 消費者庁が設置されるようになった直接のきっかけとして、次の3つがあります。

 第1は、2007年から2008年にかけて、製品や食品の偽装表示に関する事件が多発していたことです。第2は、そのようなさなかに就任した福田康夫首相が消費者問題にたいへん大きな関心をもっていたことです。第3は、輸入冷凍ギョウザに農薬が混入していたことによって、2007年12月から翌1月にかけて、全国数カ所で人身被害が発生したことです。

(2)消費者庁の役割

 消費者庁が設置されるまでの消費者行政は、一定の産業を所管する縦割りの官庁が産業振興に付随して消費者保護のための規制も行い、国民生活センターや地方の消費生活センターが消費者相談や消費者教育などの消費者支援を担当していました。

 これに対して、消費者庁設置の際のスローガンは、「消費者行政の一元化」でした。一元化の意味は次の3つです。

第1に、消費者に身近な表示と取引に関する政策立案と規制の権限が、産業振興を任務としない消費者庁に集められました。これは、偽装表示の多発を反映したものです。

第2に、安全に関する規制権限は消費者庁には移管されませんでしたが、事故情報を消費者庁に集約する体制が創られました。これは、輸入冷凍ギョウザ事件の経験を反映したものです。

第3に、消費者が気軽に相談できる窓口を全国の自治体に設置するための特別の予算が組まれました。そして、全国どこでも3桁の電話番号188、イヤヤを回せば、地元の消費生活センターにつながる仕組みが導入されました。
(3)消費者庁設置後の新たな施策

消費者庁は、その設置後、新たな施策として、消費者安全調査委員会の設置、消費者教育推進法に基づく消費者教育、とりわけ成年年齢引下げに伴う高校生向けの消費者教育の実施、消費生活相談員の公的資格化、高齢者・障がい者の見守りネットワークの法制化、消費者志向経営とエシカル消費の推進などを行ってきました。

<もう少し広い視野で見ると>
(1)消費者問題の3つの関係者(ステークホルダー)

この10年で、消費者庁は国民の間に定着したと思われますが、ここで、もう少し広い視野で見てみましょう。

消費者問題とは、消費者と事業者との間の情報や交渉力などの格差から生じる問題です。その点を行政が認識した上で意識的に展開する施策が消費者政策です。すなわち、消費者、事業者、行政の3者が、消費者政策をめぐる主要な関係者、ステークホルダーということになります。2009年9月の消費者庁の設置は、3者のうちの1つである行政のあり方を変えるという意味を持つものでした。

(2)企業の社会的責任―事業者

 事業者については、企業を含むあらゆる組織の社会的責任に関する国際規格として、2010年11月に、国際標準化機構からISO 26000「社会的責任の手引」が発行されました。これは、その後、日本工業規格であるJIS Z 26000としても制定されています。

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ISO 26000は、社会的責任の7つの中核主題の1つとして、「労働」や「環境」と並んで「消費者課題」を挙げています。そして、「公正なマーケティング」、「消費者の安全」、「持続可能な消費」、「消費者の苦情の解決」、「消費者の個人情報保護」、「必要不可欠なサービスへのアクセス」、「消費者教育・啓発」の7点を、企業が消費者のために取り組むべき課題としています。

 ここで、「持続可能な消費」とは、「持続可能な発展と調和のとれた速度で、製品や資源を消費すること」を意味しますが、消費者がそのような消費をしようとしても、それに見合った製品が事業者から提供されないと、実現できません。そういう志を持った消費者に対して、製品についての正確な情報を提供したり、持続可能な消費を可能とする製品を供給したりすることが企業の社会的責任だ、という意味なのです。

(3)消費者市民社会―消費者

消費者についても、消費者市民社会の実現をその目的の1つとする消費者教育推進法が、2012年8月に成立しました。

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 消費者教育推進法によると、消費者市民社会とは、「消費者が、個々の消費者の特性及び消費生活の多様性を相互に尊重しつつ、自らの消費生活に関する行動が、現在及び将来の世代にわたって、内外の社会経済情勢及び地球環境に影響を及ぼし得るものであることを自覚して、公正かつ持続可能な社会の形成に積極的に参画する社会」とされています。これは、企業の社会的責任に関するISO 26000の消費者版と言っても過言ではありません。

(4)SDGs

ISO 26000の消費者課題も、消費者市民社会も、さらには、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標、いわゆる、SDGs」の目標12「つくる責任、つかう責任」も、企業の社会的責任と消費者の社会的責任のサイクルがうまく回ることによって、事業者、消費者双方や、さらに次世代の人びとにとってもプラスになる持続可能な社会が実現することを目指している点で共通しています。

このように、消費者庁ができて数年の間に、行政、事業者、消費者という関係者それぞれに、その行動の変容を迫る大きな動きが生じているのです。

<これからの課題>

 消費者庁設置のリーダーシップをとった福田首相は、2008年4月、「消費者行政の一元化において守るべき三つの原則」を宣言しました。すなわち、

第1に、「国民目線の消費者行政の充実強化は、地方自治そのものであることを忘れてはならない」ということ。

第2に、「消費者庁の創設は、決して行政組織の肥大を招くものであってはならない」ということ。

第3に、「新たな消費者行政の体制強化は、消費活動はもちろん、産業活動を活性化するものでなければならない」ということ、です。

これらの3つの原則がその後、どの程度実現しているかを見て結びとします。

第1の「地方消費者行政の充実強化」という点では、消費者行政のためにのみ使用できる国の予算、いわゆるひも付き交付金は、消費者庁設置当初と比べて、減少しています。地方交付税の額の算定にあたっては、消費者行政のための経費も基準財政需要額として計上されていますが、交付税自体は自治体が自由に使途を決めることができるので、期待されたように消費者行政の強化に充てられるとはかぎりません。

 第2の「行政の肥大化阻止」という点では、消費者庁の定員は10年前の200人余りから三百数十人へと増えていますが、他の省庁に比べればはなはだ小さく、「肥大化」にはほど遠いものです。消費者庁所管の個別の政策を実施していくためだけではなく、消費者政策の「司令塔機能」を発揮して、他省庁と切り結んでいくためにも、さらに陣容を充実させていく必要があります。

第3の「消費者行政を通じた産業活動の活性化」という点では、未だ道半ばです。消費者の利益にかなうことは、企業の成長をもたらし、産業の発展につながるという、消費者と事業者のWin-Winの関係を築いていくための仕組み作りや、安全・安心な市場のための事業者団体やプラットフォーム事業者による自主的取り組み、行政による悪質事業者の取り締まりの強化などが必要です。

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