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「高血圧対策の現状と課題」(視点・論点) 

公立刈田綜合病院 特別管理者 伊藤 貞嘉

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最近、「高血圧治療ガイドライン」が5年ぶりに改訂されました。今回はその主な改定点と背景、今後の課題について述べたいと思います。

我が国は世界屈指の長寿国ですが、最も大きな問題は平均寿命と健康寿命のギャップです。健康寿命とは自立して生活できる期間のことですので、平均寿命と健康寿命のギャップの期間は介護が必要となります。このギャップの期間が男性では約9年、女性では約12年にもなります。我が国の要介護者数は年々増加しており、多くの方が、長い間介護を受けながら生活をしているのが実情で、健康と福祉に関する大きな社会的課題になっています。
要介護の原因としては、脳卒中、認知症、心不全など高血圧関連疾患が多く、これらを合わせると全体の約半数を占めることになります。

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このような現状に鑑み、2018年12月にいわゆる「脳卒中・循環器病対策基本法」が制定されました。
その法律の第一条の要点をここに示しますが、特に、「予防の重要性」と、「国から国民一人一人まで、社会全体として取り組むべきである」がうたわれています。

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それでは循環器病は何が原因で起こるのでしょうか?これは、我が国の脳心血管病による死亡数への各種危険因子の関与の度合いを示したものですが、高血圧は最大の要因であり、年間10万人以上が高血圧で死亡しています。

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このように、循環器病の発症に重要な高血圧に関する現状の問題は、患者の数が約4300万人、3人に1人と多く、しかも、そのうちの約半数しか治療されておらず、血圧が140/90mmHb未満にコントロールされているのは全高血圧患者の3割にも達しないことです。その結果、高血圧は日本人の死亡に寄与する主要な因子であるのみならず、要介護の最も大きな要因となっています。したがって、高血圧対策は喫緊の社会課題といえましょう。

さて、新しく改訂された高血圧治療ガイドライン2019において主な変更点について解説したいと思います。第一番目が、血圧分類の改定です。

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これは2014年と今回のガイドラインの血圧分類を比較したものです。高血圧の基準は以前と同じく、上の血圧が140mmHg以上、または、下の血圧が90mmHg以上と変わりませんが、高血圧と診断される前の血圧の分類が大きく変更されました。特に、130から139では「正常高値血圧」から、「正常」の2文字が削除され「高値血圧」と分類されました。これは、上の血圧が130から139は高血圧とは診断されないものの、〝正常ではない高い値〟であることを明確にするためです。

この変更の背景には、上の血圧が130から139の間でも、120未満と比べると脳心血管病のリスクは2から3倍高く、また、この血圧のレベルの人の数が多いため、その人たちの中から相当数の脳卒中や心筋梗塞が発症しますので、社会全体としては見逃すことができない大きな問題となります。

もう一つの大きな変更点は、「降圧目標」がより厳格になったことです。降圧目標とは、治療によって到達することを目指すべき血圧の値です。

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従来のガイドラインでは、75歳未満の成人では「上の血圧が140mmHg未満かつ下の血圧が90㎜Hg未満」だったのですが、新しいガイドラインではそれぞれ10引き下げられました。75歳以上の後期高齢者では「上の血圧が150mmHg未満かつ下の血圧が90㎜Hg未満」から、上の血圧が10引き下げられました。これも、最新の研究を総合的・科学的に分析した結果、このレベルまで下げることによるメリットが大きいということが確認されたためです。

では、現在薬を服用中で上の血圧が130台の人はすぐに薬を増やさなければいけないかというと、そうではありません。運動や減塩などの良い生活習慣を実行することによって目標の達成を目指すことになります。生活習慣が改善されると、降圧薬もより効きやすなり、従来と同じ薬の使い方でも、新たな降圧目標を達成することは可能です。

また、今回のガイドラインでは、まだ高血圧とは診断されてはいないが血圧が高めの人、また、現在は正常血圧の人に対しても血圧対策の重要性を呼びかけています。生活習慣を良くすることにより、高血圧になることを防ぐことや、現在少し高めの血圧を下げることができ、結果として健康寿命が延びることにつながります。「日本全体で、高血圧の患者さんを減らそう」というのが、今回の改訂版ガイドラインに込められたメッセージでもあります。

高血圧の診断・治療法は大変進んでおり、有効な薬もたくさんあるのにもかかわらず、依然高血圧のコントロールはうまくいっていません。
その大きな原因に臨床イナーシャがあるといわれています。イナーシャとは「慣性、惰性」と訳され、これまでのやり方でそのまま流してしまうことです。

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高血圧診療における臨床イナーシャには、高血圧であることが確実であるにも関わらず治療を開始しない、または、ガイドラインに示されている降圧目標に達していないのにもかかわらず治療を強化しない、治療イナーシャと、治療してもなかなか血圧が下がらない難治性高血圧の原因を検索しない等の診断イナーシャがあります。臨床イナーシャには、医師など医療提供者側の問題もありますが、患者側の要素、そして、医療制度の問題もあります。今後我が国における実態を明らかにして、その対策を講じる必要があります。

最後に、新しいガイドラインには、高血圧対策には「社会全体で取り組む必要性がある」と明記されています。高血圧の治療の成功には生活習慣の修正ときちんと服薬をすることが重要ですが、そのためには、患者さん自身の生活習慣や日々の生活の様子を把握している地域の保健師や管理栄養士の関与が不可欠です。
つまり、いろいろな分野の人が関わり、一人ひとりの患者さんの血圧を下げていく取り組み、すなわち、ハイリスク戦略が必要になります。
それと車の両輪をなすものに、ポピュレーション戦略があります。これは、行政、マスコミ、産業界や学協会が国民や地域住民に正しい情報を提供して啓発するとともに、地域の実情に合わせた取り組みです。地方自治体、保健師と食品業界の共同作業による成功例は、岐阜県の下呂市、北海道の増毛町などにおける減塩運動に見ることができます。我が国の食塩の摂取量の約70%は加工食品からとられています。現在は、美味しい減塩商品が開発されており、それを日々の生活の中に上手に取りいれることで、無理なく減塩することが可能です。下呂市や増毛町では、地方自治体が先頭に立ち減塩活動を推進するとともに、保健師が住民の保健指導を熱心に行い、かつ、食品業界が参入することにより、地域全体の減塩活動が促進されて、健診において収縮期血圧が160mmHg以上の高血圧患者が減少しています。このような取り組みが広がることを期待しています。
また、高血圧学会は、独自に認定した減塩商品をホームページ上で公開しています。
高血圧は自覚症状がないのですが、そのままにしておくと、脳卒中、心筋梗塞や腎不全を発症します。いわゆる、沈黙の殺人者「サイレント・キラー」です。
将来のために今の血圧管理が重要です。これからの日本社会の健康長寿のためには国をあげての高血圧対策が不可欠でしょう。

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