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「裁判員制度10年 市民参加による司法の変化」(視点・論点)

専修大学 教授 飯 考行(いい たかゆき)

裁判員制度の実施から10年が経過しました。裁判員制度とは、周知の通り、20歳以上の国民からくじで選ばれた原則6人の裁判員が、裁判官3人と罪の重い刑事事件の裁判で、有罪・無罪と量刑を判断する、市民の司法参加制度です。2019年3月末までに、1万2千人ほどの被告人が審理され、9万人ほどの国民が裁判員と補充裁判員を経験しています。

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裁判員の参加する刑事裁判に関する法律、略して裁判員法1条によれば、裁判員制度の趣旨は、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上」にあります。この趣旨を超えて、裁判員制度は、この10年の間、したたり落ちるしずくが波紋を広げるように、裁判の中身、刑事訴訟手続と市民社会のあり方に、影響を及ぼしてきたように見受けられます。

第一に、裁判の中身への影響については、多角的な観点からの質の向上が挙げられます。法廷で傍聴すると、裁判員裁判は、裁判員が法廷での主張立証を注視し、耳を澄まし、緊張感にあふれています。裁判員に選ばれた市民が、法律の専門知識はないものの、日常生活や職業で培われた経験や感覚を生かして、理性的に判断しようとしていることの表れです。
無罪率は、検察官が慎重に起訴を行う傾向があるにもかかわらず、従来の裁判官裁判時代の0.6%から0.9%へ微増しました。裁判員が、「疑わしきは罰せず」の原則にもとづいて判断している様子がうかがわれます。有罪判決では、性犯罪で厳罰化傾向がある一方、介護疲れによる殺人などの同情の余地ある事件で減刑されるなどの変化が見られます。裁判員が、事件の具体的な内容を踏まえ、被告人や被害者の声に耳を傾け、多様な考え方を反映させた結果、量刑の幅が広がっているのです。

 第二に、刑事訴訟手続への影響です。裁判員裁判は、証拠として、供述調書などの書面よりも、法廷で証人や被告人から口頭で述べられる内容を重視する「公判中心主義」のため、裁判の進め方自体に変化をもたらしました。裁判員裁判の対象事件では、捜査段階の取調べの模様が録画されつつあります。2008年からの10年間で、勾留請求却下率は1.10%から5.89%へ、保釈率は14.4%から32.5%へ、それぞれ上がり、被疑者・被告人の身柄拘束は減りました。公判前整理手続では、争点と証拠があらかじめ吟味され、検察官の手持ち証拠の一部が開示されます。また、公判で、検察官と弁護人は分かりやすい主張立証になるように努め、裁判官は分かりやすい言葉と論理で説明することを求められます。つまり、裁判員制度で市民の目が入ることにより、刑事訴訟手続は法廷で人の話を聞いて判断する刑事訴訟法の原則に立ち返り、実務法律家はしっかりと仕事をする機会を与えられたのです。

第三に、市民社会への影響があります。まず、市民一般への影響として、20歳以上で裁判員に選ばれる可能性に伴う、司法への関心の高まりがあります。小中高校では、学習指導要領改訂により、裁判員制度の教育が行われています。裁判員を経験した市民は、95%以上が、非常によい・よい経験と感じたと回答しています。多くの市民にとって、プロの法律家にいわばお任せだった裁判に自ら携わったことは、まれな体験で、社会に貢献した充実感があるためではないでしょうか。

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市民の司法参加には、独特の性格があります。私的な目的で活動する市民が、国から招集され、その指示と監督にもとづき、公共的な目的をもった結社として、裁判で公的に意義ある判断を行うことは、市民社会、国と政治的社会の交わる結節点をなします。アメリカでは、陪審員を経験した人は選挙での投票率が高まるという実証研究があります。1830年代にアメリカを周遊したトクヴィルが陪審制度を「民主主義の学校」と評したように、裁判員制度にも、民主主義社会の質の維持・向上に貴重な寄与をなし、社会の一員である自覚を促す意義があるものと考えられます。
 他方で、課題もあります。まず、裁判員の任務がいまだに敬遠されていることです。

最高裁判所の世論調査によれば、裁判員として刑事裁判に参加したいと思うかという質問に対して、参加したい・参加してもよいという積極的な回答をした市民は、2009年度は18.5%、2018年度は15.0%に過ぎず、低迷しています。

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裁判員候補者の辞退率と選任手続欠席率を合わせると、2009年の60.9%から2018年の78.0%へ上昇しており、8割ほどの人が裁判員就任を敬遠していることが分かります。その理由としては、裁判で判断する責任の重さや自信のなさなどの心理的負担と、仕事、介護や養育への支障による物理的負担が考えられます。裁判員を務めて残酷な証拠に触れたことで急性ストレス性障害を発症した方や、事件関係者に裁判所の外で声をかけられて裁判員を辞任した方が、ニュースで報じられたことも手伝って、市民の不安感が増幅しているかもしれません。裁判員の心理的ケアや安全確保が重要なことはもちろんですが、このまま就任敬遠傾向が続けば、裁判員の構成が、時間に余裕があり休暇を取得しやすい人などに偏り、様々な年代、性別、職業などの市民からなる社会の縮図としての面とともに、多角的な観点からの質の高い裁判の利点が、損なわれる恐れがあります。
裁判員の職務の実情に関する事前情報は、いまだ十分ではありません。学校や地域での模擬裁判を含む法教育の推進や、裁判員の職務や意義に関する情報提供などを通じて、裁判員制度について、過度に不安視することなく理解を深めることが求められます。
裁判員と補充裁判員を経験した人は9万人を超えますが、20歳から79歳までの国民の千人に1人ほどに過ぎません。しかも、評議の秘密の守秘義務への警戒から、裁判員の体験を気軽に話し聞く機会は少ないのが実情です。

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私は、「裁判員ラウンジ」という公開企画で、裁判員経験者の体験談をうかがい、意見交換を行っています。来場者は、学生、市民、裁判員経験者、記者、弁護士や裁判官など、様々です。裁判員経験者が、公判や評議の様子を伝え、体験を通じた自身の変化や思いを語ることで、裁判員制度は社会に浸透していくでしょう。裁判所の裁判員経験者意見交換会に加えて、裁判員ラウンジのような民間の活動が全国に広がることが望まれます。
裁判員制度には、様々な論点があります。実務法律家は、裁判員法51条、66条の定める通り、裁判員の負担が過重なものにならないようにしつつ、裁判員がその職責を十分に果たすことができ、審理を迅速で分かりやすいものとするよう、また評議での実質的な意見交換を可能にするよう、努めなければなりません。ただし、言うまでもなく、刑事裁判は被告人のためにあり、弁護に必要な証拠調べや裁判の期間を保障する必要があります。
控訴については、裁判官のみの高等裁判所で破棄される比率は、裁判員制度の開始から3年間は6.6%でしたが、直近の約7年で10.9%に高まっています。証人尋問などを踏まえて裁判員が参加して出した判決を、裁判官のみの上訴審で覆す際は、説得的な理由を示すことが求められます。
裁判員制度は、しずくが岩をも穿つように、司法と社会を大きく変える可能性を秘めています。制度の定着に向けて、守秘義務の緩和を含む必要な改善をはかるとともに、市民の司法参加の意義が開花するよう、官民協働で取り組みが進められることが期待されます。

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