「海に挑戦した最初の日本列島人」(視点・論点)
2019年05月21日 (火)
国立科学博物館 人類史研究グループ長 海部 陽介
今から3万年前といえば、縄文時代より前の旧石器時代になります。その頃の日本列島には、ナウマンゾウなどの大型動物が生息し、富士山も今ほど高くはありませんでした。
日本列島にはじめてホモ・サピエンス、つまり私たちの種が現れたのは、この頃のことです。最近の研究により、この時期は、人類が新たな世界を切り開いた、とても重要な時代であったことがわかってきました。
今日は、当時の祖先たちが成し遂げた、ある大きな出来事を解明しようとする私たちの実験プロジェクトについてお話したいと思います。
私たちは、地中に埋もれた遺跡を発見し、そこから発掘される人骨や、石器などの道具を調べることによって、太古の祖先たちの姿と、彼らの生活の様子を知ることができます。さらにDNAなどを分析できれば、集団の移動などについて、より解像度の高い議論ができるようになります。20世紀の終わり頃から、こうした様々な分野の研究が大きく進展したことによって、ホモ・サピエンスのルーツが明らかになってきました。
結論から言いますと、私たちホモ・サピエンスは20万年前頃のアフリカで進化し、そこから爆発的に世界中へ広がったのです。
人類は、700万年前頃のアフリカで「初期の猿人」として誕生し、その後、原人、旧人と進化するにつれ、じわじわと分布域を広げていきました。しかし旧人までの段階の人類は、極端に寒い高緯度地域に進出したり、大きな海を越えて遠い島へ拡散することはできませんでした。
5万年前頃から、そのような壁を次々と突破し、アフリカから全世界へ広がった人類が現れます。それがホモ・サピエンスでした。日本列島へのホモ・サピエンスの渡来も、この地球規模の大きな流れの中の一コマとして、捉えることができます。
日本列島にはじめてホモ・サピエンスが現れたのは、今から38000年ほど前のことでした。かつては、その頃の日本列島とアジア大陸は陸続きで、祖先たちはそこを歩いて渡ってきたと考えられていました。しかし近年の研究の進展で、そうではなかったことが明らかになっています。
こちらは最新の地球科学のデータに基づく、当時の地図です。4万~3万年前頃は、海面が今より80メートルほど低かったため、薄い緑で示している通り、今よりも陸地が広がっていました。その影響で、例えば台湾はアジア大陸の一部となっています。北海道も、サハリンを経由して大陸につながる、巨大な半島の一部でした。それでも津軽海峡や対馬海峡、沖縄の海は開いており、日本列島へ渡るには、どこを通ろうと海を越える必要がありました。つまり最初の日本列島人は、海を越えてきたのです。
では彼らは、漂流によって、偶然流されて来たのでしょうか?冷静に考えると、そのような説明はとても難しいことがわかります。
まず、この時期に突然、人類があちこちの海峡を越えた証拠があります。そして彼らは、たどり着いた島で人口を増やしたわけですから、渡来したのは男女を含む、ある程度の集団でであったことが明らかです。これを漂流で説明するとなると、4万年前ごろに突然、大量の男女があちこちで流されたという、ちょっと想像しづらい状況になってしまいます。
さらに決定的な証拠が、本州で見つかっています。
伊豆諸島の神津島でしか採れない石が、石器の材料として、3万年以上前から、本州の遺跡に運び込まれていた証拠があるのです。島の石が運ばれているわけですから、これは偶然の漂流とは考えられません。少なくともこの地域には、意図的に航海する技術を持った人たちがいた、ということになります。そのほか、海流のパターンを詳しく分析した結果からも、漂流説での説明が非常に難しいことが示されています。
つまり祖先たちは、3万年以上前に、意図して島を目指してきたようなのです。最初の日本列島人は、どうやら航海者だった、ということになります。
ここで大きな疑問が沸いてきます。
彼らは当時の技術で、どのようにして大きな海を越えたのでしょうか?そしてそれは、どれほど困難な挑戦だったのでしょう?
この謎に迫るために4年前に始まったのが、私たちの「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」です。
残念ながら、当時の舟は遺跡から見つかっておらず、彼らの航海術について直接知ることはできません。それでも何とか、舟を学術的に推定して作り、実際に航海してみて、その困難を体験してみたいと考えたのです。
私たちが実験の舞台として選んだのは、沖縄の海です。ここは島が小さく、遠く、ところどころ、隣の島が見えないほど広い海峡が存在する、難関です。秒速が1~1.5メートルにもなる、世界最大規模の海流、黒潮も流れていますが、それでもおよそ3万年前までに、琉球列島のほぼ全域に人が到達していたことが、ここに示す遺跡の証拠からわかっています。
私たちはまず、当時の舟がどんなものであったかを、消去法で絞りこむことにしました。3万年前の舟は、草か竹か木のどれかで作られたと考えられるので、それらを全て試作し、海の上でテストしました。
舟の条件は、地元にある材料を使うこと、当時の道具で作れること、縄文時代に使われていた丸木舟の技術を越えないこと、そして海上で機能することです。
これら4つの条件をクリアする舟がどれかを、探って行きました。
2016年には与那国島で草の舟を作ってテストし、翌年には台湾で竹の舟を試しました。どちらの舟も安定性が高く、転覆しにくい利点があることがわかりましたが、船足が遅いために海流に負けてしまうことと、耐久性が低く長持ちしないことが難点でした。
そこで残された最後の選択肢として、丸木舟の実験を行なったところ、3万年前の技術でもこれが作れること、そしてこの舟であれば、難しい沖縄の海を渡れるかもしれないことが、わかってきました。
こうした試行錯誤を積み重ねていった結果、私たちはプロジェクトの総仕上げとして、
6月25日から7月13日の間に、丸木舟で台湾から与那国島を目指す、最後の実験航海を行ないます。
日本列島への入口の1つとして選んだこの航路は、黒潮が流れる難関で、しかも小さな与那国島は、半径50キロまで近づかないと舟の上から見えません。
祖先たちは、おそらく台湾の高い山から島を見つけ、船上では星などを頼りにそこを目指したのでしょう。一方、沖に出たときに何度も北に流されて海流の存在に気づき、出発地を南にとる作戦を立てたのではないでしょうか?
この航海は2日以上かかるはずですので、昼も夜も漕ぎ続けることになります。
3万年前の航海の再現が目的ですので、できる限り当時の条件に合わせます。
まず、当時存在しなかった、地図・コンパス・時計などは持たず、外部からも方向を指示しません。食料や飲料水は、必要量を積んでいきます。そして漕ぎ手は男と女の混成チームで、出航したら途中で交替できません。
私たちが過去に、草や竹の舟で越えられなかった黒潮の海を、丸木舟は越えられるでしょうか? 祖先たちは3万年前に、一体どのような挑戦をしたのか──この航海を通じて、それが具体的に見えてくることを期待しています。
このプロジェクトは、インターネットを通じて一般の人から資金を募ったり、企業からの寄付を得るなど、多くの皆さんによって支えられてきました。私たちも、ホームページなどを通じて成果を広く公開しています。集大成となる、来月に迫った本番の実験航海を、ぜひ多くの方々に見届けてほしいと思います。