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「人間拡張工学がもたらす未来の身体」(視点・論点)

東京大学 教授 稲見 昌彦

人工知能やモノのインターネットと言われるIoTなど情報技術の進歩はすさまじく、現在はまさに情報革命の真っただ中といえます。すでにスマートフォンやパソコンを見ている時間が仕事の大半を占める人も増えてきています。人工知能やロボットの発展により、様々な作業が自動化されていくことでしょう。掃除ロボットはすでに広がりはじめていますし、自動運転で渋滞のストレスからも解放されるでしょう。

しかし、私たちの生活の全てが自動化されればそれで満足でしょうか?例えば自分の代わりにロボットがレストランでおいしい食事をしてくれても嬉しくありません。我々がやりたくない危険な作業や面倒な仕事はどんどん自動化を進めるべきですが、私たち自身の身体でやりたいことをやりたいようにさせてくれる、いわば「自在化」も今後重要となってくると考えます。
この自在化を進めるため、ロボット工学やバーチャルリアリティ、人工知能などを用い、人と機械やコンピュータが人馬一体ならぬ「人機一体」となることで、人間の認識・行動能力を支援し拡張することを目指した技術が「人間拡張工学」です。
今日は、この人間拡張工学が、私達の未来の生活を変える可能性について考えたいと思います。

さて、なぜいま人間拡張工学が必要なのでしょうか。人間拡張工学と類似した研究分野として補綴(ほてつ)工学という分野があります。補綴工学は身体の不自由な機能を人工物によって補うことで、本来の機能を回復させることを目指す、いわばマイナスをゼロに戻すことを目的とした技術です。しかし人は足りない部分を機能的に満たせばそれで十分でしょうか。

例えば私は近視で眼鏡をかけていますが、景色を良く見ることさえできれば、どんな奇抜な眼鏡でも良いというわけではありません。なかには目が悪くないのにファッションとして伊達眼鏡をかける人もいます。食事も必要な栄養を補給するだけではなく、おいしさも、飽きないためのレパートリーも大切です。「人はパンのみにて生くる者に非ず」と言われているように、ゼロをプラスにする付加価値を求めるのが我々人間であり、文化的な多様性を育む営みです。

このように、人間拡張工学とは、多様な特徴を持つ人が、身に着けたい能力を服のように状況に応じて身にまとい、お互いの特徴を活用しながら協力し合えるようになることを目標としています。
そのために、人間拡張工学では重いものを持ち上げるといった肉体能力の拡張だけでなく、五感や認知能力や表現能力を拡張するための研究もおこなわれています。

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例えば私たちのグループが開発した「光学迷彩」という技術ですが、私の体が透けて見えるのが分かるでしょうか。これは私の身体が動いていても、マントの向こう側にある景色を見ることができます。「マグニフィンガー」は、例えば木の葉を指先のセンサーで触れると、顕微鏡のように拡大して見ることができるだけでなく、表面の細かなざらつきまでも、触覚を刺激することで凹凸として感じることができるという技術です。

ではこのような技術は、私たちの生活をどのように変えるのでしょうか?
現在、様々な場所にエレベーターやスロープなどが設置され、バリアフリー化が進んでいます。これはもちろん望ましい変化ですが、実は我々の行動能力は環境と身体との関係性によって定められる、ということを見落としてはいけません。

VTR・「サイバスロン車いすシリーズ」
これは先日開催された「サイバスロン車いすシリーズ」という大会です。
ロボット化された車いすが、階段などの障害物を昇り降りし、走破できるかを競います。これが進化して、階段を苦にしない車いすやロボット義足などが広く普及すれば、もはや段差は障害とはならず、より自由に、より快適に行動できるようになります。つまり、エレベーターやスロープといった施設の環境を整備するだけではなく、機器で身体を拡張することでも、バリアフリー社会の実現が可能となるわけです。

VTR・「メタリム」
もう一つ、人間拡張工学の利点は、気持ちが前向きになることかもしれません。この映像は、阿修羅のように第3、第4のロボットの腕を装着し、作業を支援するロボットアーム、「メタリム」を展示会で来場者に体験してもらったときの様子です。練習してロボットの腕を動かせるようになると、みな一様に驚き、笑顔になります。

もし人間拡張工学により、昨日できなかったことが今日できるようになり、今日できないことでも明日できるようになると信じられるようになるなら、私たちは老いと向き合いつつも、より未来に希望を持てるようになるかもしれません。
そんな未来社会をいち早く身近に感じるために私たちが提案したのが、人間拡張工学を活用した新たなスポーツ「超人スポーツ」です。

いよいよ来年、東京オリンピックが開催されます。そのオリンピックの種目にもなっている多くの近代スポーツは、実は産業革命により肉体的な労働から解放された人々の間で広まったと言われています。そして産業革命が成熟するに従い、自動車レースやダイビングといった新たなスポーツも生まれました。
それでは現在進みつつある情報革命によってどんなスポーツが誕生するのでしょうか?
本日紹介した人間拡張工学により、人と機械が一体となって生身の人の身体能力を超える力を身につけ、あるいは年齢や障害などの身体差により生じる人と人とのバリアを超える。こんな超人同士で競い合う新たなスポーツが「超人スポーツ」です。

現在超人スポーツ協会により22種目もの超人スポーツが公式競技として登録されており、2020年に国際大会と、世界記録を目指す三種のグランドチャレンジを開催する予定です。
私と同様に従来のスポーツに苦手意識を持っている方も、ぜひこの機会にチャレンジして欲しいと思います。

さて、話はいったん過去に戻ります。今から50年前の1969年、アポロ11号が月面に着陸しました。さらにさかのぼること1960年、米国の医学者マンフレッド・クラインズとネイザン・クラインらにより「サイボーグと宇宙」と題された興味深い論文が書かれました。現在SFやアニメでおなじみの「サイボーグ」という言葉が初めて登場したのがこの論文です。将来人類が宇宙で活躍するためには、スペースコロニーや宇宙服のような形で地球の環境を再現するのではなく、人工的な臓器を身体に装着することで、宇宙での環境に適応させることを主張していました。

2019年の現在、残念ながら極めて限られた人しか宇宙に行く機会はありません。一方で人類は宇宙空間と並ぶ新たなフロンティアを開拓し、多くの人が活用しはじめています。それが情報空間です。人間拡張工学は我々が現在生活している世界での活動を支援するだけでなく、情報空間でも自在に活動するために身体を、IT技術によりいわば「ディジタルサイボーグ」とするための手段ともいえるかもしれません。

 誰もがディジタルサイボーグになり、変身、分身、合体まで可能となる、このSFのような世界が現実となりつつあります。人間拡張工学によって、身体とは何か、能力とは何か、そして人間らしさ、自分らしさとは何かと考える機会が、そう遠くない未来に私たちにやってくることでしょう。

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