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「スーダン 政権崩壊と民主化運動のゆくえ」(視点・論点)

千葉大学 教授 栗田 禎子

アフリカのスーダンで4月11日、30年間にわたって権力を握ってきたバシール大統領が失脚し、政権が事実上崩壊しました。暫定政権の構成や移行期のあり方、旧体制の残党をどこまで排除できるか等をめぐり、依然緊迫した状況が続いていますが、大きな転換点であることは間違いありません。
スーダンと聞くと何を思い浮かべるでしょう?バシール政権下のスーダンでは、西部のダルフール地方で「今世紀最大の人道危機」とも言われ、政府側の弾圧によって30万人が犠牲になったとされるダルフール危機が起きました。
また2011年には、やはり長年内戦の舞台となってきた南部が分離独立し、独立後の南スーダンでの国連PKO活動に自衛隊が派遣されました。スーダンは遠い国のように思われがちですが、今日の世界情勢のなかで重要な位置を占めており、そこで起きることは日本の私たちとも無関係ではありません。
きょうは現在のスーダンの情勢を分析し、その意味を考えます。

今回の出来事の最大の特徴は、30年間にわたりきわめて強権的政治を行なってきた独裁政権を、民衆が平和的デモ、抗議行動によって追い詰め、崩壊させたということです。スーダンでは2018年12月以来、経済的困難に抗議すると共にバシール大統領退陣を求める市民のデモが開始され、厳しい弾圧で多くの死傷者を出しながらも続いてきました。4月上旬以降は軍の総司令部の前での座り込み、軍に民衆の側に立つよう求める運動も始まりました。4月11日に軍がバシール大統領を拘束、解任するに至った背景にはこのような民衆の強い圧力があり、政権崩壊をもたらしたのは市民の粘り強い運動だったと言えます。
バシール政権は1989年にクーデターで成立した独裁政権です。政党を解散し、労働運動を弾圧し、言論・思想の自由を奪い、恣意的逮捕・拷問を行う等、数々の人権侵害を行ってきました。

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また、スーダンは、北部にはアラビア語やイスラーム教が普及している一方、イスラームが浸透していない南部、宗教はイスラームでもアラビア語圏ではないダルフール、アフリカ的文化が色濃く残るヌバ山地や青ナイル州など複雑な文化的・宗教的構成を持ち、非アラブ・非イスラーム地域は経済的にもスーダンの中の「低開発地域」となってきた歴史的経緯がありますが、バシール政権はこのような低開発諸地域に対しても抑圧政策をとり、それに対する抵抗が起きると「ジェノサイド・民族殺りく」に近いとされる武力弾圧を行ってきました。さらにこれらの非民主的な政策、つまり、国民の自由を奪う独裁政治や、非アラブ・非イスラームの低開発地域に対する弾圧を正当化するために宗教が持ち出され、「イスラーム」が政治利用されてきたのもバシール政権の特徴で、同政権は強権的軍事政権であると同時に、イデオロギー的には「イスラーム主義」を掲げ、宗教を巧妙に利用する政権でした。このような政権が、今回、民衆の運動によって崩壊したのです。
バシール失脚後も、市民は旧体制の残党のいすわりを許さず、民主的な暫定政府を作ることを求めて、数週間にわたり、大規模なデモを続けています。

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驚くべき展開ですが、実はスーダンにはこれまでにも、独裁政権を民衆が平和的手段で倒してきた「伝統」があります。1985年春にも10数年間続いた独裁政権が市民の抗議行動で倒れました。これをスーダンでは1985年3月・4月「インティファーダ」と呼びます。
さらに遡れば1964年10月にも民衆による独裁政権打倒が起きており、これをスーダンでは「10月革命」と呼びますが、いずれも市民の平和的デモと労働者のストライキ等によって政権を崩壊させました。今回、バシール打倒を求めるデモで中心的役割を果たしたのは、弁護士・医師・エンジニア・大学教員等の専門職者から成る「スーダン専門職者協会」という組織ですが、同様の現象は1985年や1964年の運動の際にも見られました。また、こうした運動には、今回同様、青年や女性が積極的に参加しました。
スーダンは元来はイギリスの植民地支配下にあった国で、1956年に独立しましたが、独立後も度々クーデターが起き、軍事独裁政権下に置かれてきました。強権的で非民主的な国家のあり方や、バランスを欠いた経済発展、開発格差といった問題も、元をただせば植民地時代に遡るもので、それが独立後も温存され、激化してきたと言えるのですが、スーダンの人々は相次ぐ独裁政権とのたたかい、民主化を求める運動を通じて、スーダンという国のこのような政治的・経済的歪みを克服するための模索を重ねてきました。
1989年のバシール体制成立後も、民主化を求める勢力と、厳しい弾圧にさらされた南部等の低開発諸地域とが協力する形で、バシール政権の打倒と抜本的民主化、バランスのとれた経済発展、宗教と政治の分離等を実現すること、人種や文化、ジェンダーにかかわらずすべての人が「市民」として平等の権利を享受する「新しいスーダン」を建設することを掲げて運動してきたのです。バシール政権が容易には倒れず、民主化が進まなかったため、南部は2011年に分離独立することを選びましたが、問題が解決したわけではなく、その後もスーダン国内ではダルフール、ヌバ山地、青ナイル州等の低開発地域に対する弾圧やそれに対する抵抗、内戦状態が続きました。これに対し今回ようやく、スーダンの人々の長年の悲願だった民主化革命が起きつつあると言えます。それにより各地での内戦を終わらせ、スーダンの「平和」や「国家統一」を民衆自身の手で実現していくこともめざされているのです。

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スーダンは中東とアフリカにまたがる国で、戦略的・地政学的に重要な位置を占めています。19世紀末のヨーロッパによる中東・アフリカ侵略、「アフリカ分割」の時代には、スエズ運河を擁するエジプトの後背地として重視され、結果としてイギリスの植民地支配下に置かれました。また20世紀後半の「冷戦」期の国際政治の中でも重要で、1950~60年代に中東やアフリカで植民地支配からの独立や革命の動きが高まった時期は、欧米諸国によって「北のエジプト革命」と「南のコンゴ革命」を牽制する役割を期待され、独立後のスーダンで非民主的政治が続いた背景にはそうした要因もありました。21世紀初頭の現在もスーダンは「アフリカの角」を構成する国として、紅海=インド洋=ペルシア湾という重要なシーレーン、石油輸送ルートを睨む位置にあり、アフリカ大陸内陸部の諸国にアプローチしようとする場合の進入路にもあたっており、先進諸国の中東・アフリカ戦略上、重視されています。

中東やアフリカという文脈に置き直してみると、現在スーダンで起きていることと、2011年にチュニジアやエジプトで民衆の運動によって次々と独裁政権が倒れた、いわゆる「アラブの春」との連続性、共通性にも気づかされます。
これまでスーダンにおける民主化運動の伝統について述べてきましたが、スーダンの事例は周辺の中東・アフリカ諸国から孤立したものではなく、「アラブの春」とも多くの共通点を持っています。さらに現在スーダンで展開しつつある運動は、独裁政権を倒す上で「いかに軍の力を借りつつ、なおかつ軍に主導権を奪われないようにするか」、あるいは「いかに宗教の政治利用を防ぐか」など、チュニジアやエジプトの教訓に学びつつ、それを乗り越えていく面も示しています。
市民の力による平和的革命は成就するのでしょうか。
情勢は予断を許しませんが、スーダンで起きているのは中東・アフリカの今後を占う重要な出来事であり、注視していく必要があります。

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