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「令和の時代のサラリーマンへ」(視点・論点)

神戸松蔭女子学院大学 教授 楠木 新

いきなりですが、〝人生百年時代〟を最後までイキイキと過ごせる自信を、みなさんはお持ちでしょうか?高齢化社会や〝人生百年時代〟というと、医療や年金の問題と捉えられがちですが、サラリーマンの働き方・生き方にも変化の波が来ています。ところがそのことを明確に意識している人は少ないというのが、この15年間多くの会社員に取材をしてきた私の実感です。

漫画の『サザエさん』に登場する磯野波平さんは54歳のサラリーマンという設定です。朝日新聞に『サザエさん』の連載が始まった当時の昭和25年から27年の日本人の平均寿命は、男性では59.6歳で60歳に届いていません。定年も55歳時代です。54歳の波平さんは、翌年には定年退職を迎え、少しゆっくりすればお迎えがくると考えることができました。会社の仕事中心に働いてもそれほど悩む必要はありませんでした。
一方、現在は、男女とも平均寿命は80歳を超えました。定年も多くの会社では60歳です。その60歳時点から何年生きるかという平均余命を見ると、男性で24年、女性で29年あります(「平成29年簡易生命表」厚生労働省)。年齢で考えると、男性で84歳、女性で89歳まで平均で生きる計算になります。おまけに今の54歳は波平さんよりもはるかに若い。寿命の延びによって、若々しく生きる期間も長くなっています。もうサラリーマン人生一本ではやっていけない時代が到来したのです。このように人生のパラダイムが変化しているので、当然ながら働き方・生き方も変える必要があります。
 
これからのサラリーマンの働き方の一つのモデルは、「もう一人の自分」を創るということです。これが唯一の働き方だと主張するつもりはありませんが、取材から見て比較的フィット感があると私は考えています。
社会とのつながりという観点で見ると、個人事業主や会社は、商品やサービスを提供して、その対価を得ながら社会と直接つながっています。これに対して、サラリーマンは、会社の中で分業制をもとに働いていて、会社を通して社会と間接的につながっているのが特徴です。そのため定年退職やリストラによって会社という枠組みがなくなると、途端に社会とのつながりを失うことになりかねません。
それに対応するために会社に勤めながら、「もう一人の自分」をつくることが求められます。そうすれば、会社の枠組みがたとえなくなっても、「もう一人の自分」が社会とつながっていれば、それほど戸惑うことはありません。

「もう一人の自分」というと、「働き方改革」でも論じられている「副業」をイメージする人があるかもしれません。しかし実際には、もう少し幅広いものです。将来の独立に向けて準備をしている人、ボランティアや地域活動に意味を見出している人、学び直しをしている人など多様です。週に3日働きながら博士論文を書いている人もいます。ポイントは自分の個性に合ったものに取り組むことです。
「仕事に注力する自分」「仕事以外の関心あることに取り組む自分」「家族や友人を大切にする自分」など、多様な自分をもって、どのように仕事と生活の良循環を生み出すかが大切です。
また、もう一人の自分が育ってくると、会社員の自分もイキイキできるようになります。右手の「もう一人の自分」が回れば左手の「会社員の自分」もまわり、逆に左手が回れば右手もまわる。両手は身体でつながっていて簡単に分離できないからです。 
これをかつてのアイドルの歌である「UFO」の振り付けになぞらえて、私はピンク・レディー効果と呼んでいます。両者の間に相乗効果があるということです。
「会社員の自分」と「もう一人の自分」という二つの立場をこなすのは時間的にも大変だと思う人もいるでしょう。しかし自分に向いたものであれば思いのほか時間のやりくりはつくものです。
そして40代後半以降になって、自らを会社員の立場だけに押し込めるのは少し窮屈になっている人が多いと思います。
 
サラリーマンの働き方を検討するには、当然ながら雇用主である企業側にも目を向ける必要があります。最近は、検査データの改ざんなど続々と不正が発覚しました。もちろん誰もが「改ざんは悪いことだ」と分かっているが、それを止めることができない。個人の自立よりも、共通の場で仕事をすることが優先されています。特に、働く人たちが「会社員の自分」しか持っていないと、なかなか歯止めがききません。
一方で、「もう一人の自分」を持っている人は、比較的会社と距離を置いた判断が可能になります。そういう意味では、「もう一人の自分」は企業が不正に陥ることに対する歯止めの役割を担うことができます。
それに加えて、「会社員の自分」しか持たない社員に比べて、趣味や副業や家族など自分の居場所を持つ人のほうが、顧客ニーズを幅広く、かつきめ細かく把握できます。長い目で見れば経営にもメリットになる時代が来ています。

さて、令和という新たな時代を迎えました。昭和は、高度成長が続きましたが、平成になるとバブル期を経て安定成長期に入りました。皆が一丸となって働けば、当然のように物が売れて豊かになるという時代はもう終わりました。
それを受けてサラリーマンの働き方に関して、二つの変化が到来しています。ひとつは、女性の働き方の多様化、もう一つは若者のキャリア形成の変化です。
特に、昭和の時代に比べると女性の働き方は大きく変わり、多様化しています。会社の中でトップを目指してバリバリ働く人もいれば、家庭と仕事をうまく両立させる人、家庭を守ることを中心に働く専業主婦もいます。この多様化の流れは、今後ますます進んでいくでしょう。 
また若い世代では、先ほど述べた「もう一人の自分」では、物足りない時代が来ると思われます。一つの会社や職種だけにこだわるのではなく、専門性をもとに何社も転職したり、または独立してフリーランスになる、場合によっては、雇う側に回り、経営者とサラリーマンの立場を並行しながら働く人も現れてくるでしょう。
このような変化を不安に思う人がいるかもしれません。自分の前を歩くモデルはいないからです。しかし選択肢が増えることは、自分に向いたものを探せるチャンスが広がるのです。前向きにとらえてみてはどうでしょう。
上京して地下鉄に乗ると、何か不機嫌そうな顔をしたサラリーマンに数多く出会います。私は子どもの頃から人の「顔つき」に興味をもっていたので、特に気になるのかもしれません。
  
そこで感じることは、能力やスキルを高めながらキャリアを切り開いていくことももちろん必要ですが、自らを見つめ直すという視点も大切だと考えています。子どもの頃に関心のあったことに再び取り組むとか、生まれ育った故郷のことを考えてあらためて父母や家族に感謝するとか、残りの人生の持ち時間に思いをはせて、「せっかく生まれてきたのだから」という気持ちで、新たな道に進む人もいます。 

サラリーマン自身が単に「会社に雇われる」ことだけを考えるのではなく、どうすれば自分にあった働き方ができるのかと自らに問うことです。自分にとって本当に大事なものや、自分が果たすべき役割に気づいた人は、優しいまなざしをもった穏やかな表情になるというのが取材から得た実感です。これからのサラリーマンは自らが「いい顔」になることを目指して働くことが求められている、と私は考えています。

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