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「日本型タテ社会は変われるか」(視点・論点) 

政策研究大学院大学 名誉教授 黒川 清

平成元年、ベルリンの壁が倒れ、ソ連邦崩壊と東西冷戦の終結、「グローバリゼーションの時代」が始まりました。一方で、中東が不安定になり始めます。
そして社会の枠組み「パラダイム」を大きく変えるインターネット時代の始まりでした。
では、平成の30年の日本はどうだったでしょうか?

150年前の開国と急速な西洋モデル取り入れに成功、その後は太平洋戦争へ突入の失敗、昭和の戦後は「日米安保と冷戦の枠組み」の中で世界第2位のGDPへと経済成長した「ジャパン・アズ・ナンーワンものがたり」でした。

平成2年、総量規制で土地バブルは終わり始めましたが、それから数年間、バブル景気は続きます。
平成7年、ウィンドウズ95でインターネットに多くの人たちがつながり、使えるようになり、私たちの生活、社会、そして意識は急速に変わり始めました。
タテ割りの「政産官」の「鉄のトラインアングル」、銀行を頂点とした「系列」、「新卒一括採用、終身雇用、年功序列」で動いていた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を支えた社会制度のほころび、いや、「崩壊のはじまり」ともいうべき事件がこの年に明確な形で次々と表われました。

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まず1月の阪神・淡路大震災です。一年前の同じ日、ロス・アンジェルスの大地震、テレビで崩壊した高速道路を見て、日本ではあんなことはあり得ない、と「うぬぼれた」コメントも 聞かれました。しかし、阪神・淡路大震災は、この「『うぬぼれの鼻』をへし折った」ばかりでなく、倒れた高速道路から見えたのは「政産官」を巻き込んだゼネコンの「手抜き工事」でした。

3月は東京の地下鉄サリン事件。驚いたことに、この「オウムの狂気」に一流大学卒の多くの秀才が主要な役割をしていたことです。
私は東京大学で教鞭をとっていた時のことで、研修医の一人も「オウム」にかかわり、有罪になりました。ショックでした。責任を感じました。「偏差値秀才の終焉」を思いました。
この30年間、世界が急速に変わるなか、日本の大学はどの程度変わったでしょうか? 
世界の若者や教員を引き付ける「世界の大学」になったのでしょうか?

4月は野茂。日本のルールを破り、退路を断ち、ストライキ中の米国メジャー、ドジャースに規定最低の給料で移りました。オープン戦から「ドクターK」のニックネームで人気者になり、5月にはストライキは終わり、ドジャースはその年の地区優勝、それからは何人もが 野茂に続き、メジャーで大活躍しました。 
今や日本の若者はメジャーを目指す、これがグローバリゼーションの本質です。
そうです、どの分野でも、活躍の場所は世界に広がっているのです。

そして三菱銀行と東京銀行合併の発表。14の主要銀行はつぶれることはない、などという浮かれた話が当時は信じられていたのです。

この年の後半は住専問題。公金を土地バブル融資の補填に使うのか、国会で延々と議論のすえに、約7000億円の公金が救済に使われました。政府の財政規律の緩みの始まり、といえるでしょう

この年の新語・流行語には画面のようなものがありました。

不安定な中東情勢を背景に、21世紀が始まった平成13年、2001年の9月11日、米国の多発テロが起こりました。皆さんも、あの衝撃をライヴで、テレビで、見ていたでしょう。それから中東の情勢はさらに不安定になりました。

そして平成22年12月、チュニジアで起こったアラブの春。 
あっという間にリビア、エジプトなど北アフリカから中東へと広がり、テロ多発、欧州への難民の急増となり、これがEUへの圧力となり、各国で「極右」政党の出現、英国のEU離脱などの背景となるのです。

アラブの春の3か月後に起こったのが、翌年の3月11日、8年前の東日本大震災です。地震、津波は日本ではよく知られた自然災害ですが、三陸海岸に昔から伝えられていた津波の教訓は生かされませんでした。
この大震災で起こった東京電力フクシマ・ダイイチ原発事故は チェルノブイリ原発に並ぶ歴史的大事故で、世界を恐怖に陥れました。
事故の様子は世界中にテレビ、ネットで流れ、うろたえる「日本のエリート」のありさまは世界に知れ渡りました。優れた材料、精密な工業製品で信頼を得てきた日本の事故だったからこそ、世界は一層大きな恐怖を感じたのです。 

その年のうちに ドイツ、スイス、イタリアが脱原発を決めたほどのインパクトがあったのです。以来、安全対策などで 原発コストはうなぎのぼり、世界の多くの国が脱原発へ方向転換しています。
この歴史的大事故に対して、日本政府、東電などの当事者に加えて、国内外から多くの調査報告が発表されています。 

事故から9か月後、「憲政史上初」という国会による独立調査委員会が設置され、私が委員長に任じられ、辞令交付は偶然にも「太平洋戦争の日本参戦」70年目の12月8日でした。

「憲政史上初」ということは、日本の三権分立は政府をチェックする機能が不十分、ということだったのです。
この独立調査委員会は委員会も記者会見も公開、英語の同時通訳を付け、インターネットでも国内外に同時公開。透明性を基本に運営されました。 
国民の視点を第一に、世界と事故の教訓を共有し、国家の信頼回復を目指して調査を進め、ほぼ6か月後の7月5日に国会に報告書を提出、これは今でもネット <naiic.org> で全貌を見ることができます。

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この歴史的大事故は未曽有の地震・津波が引き金とはいえ、「政産官」、そして「学もメデイア」も巻き込んだ「規制の虜」、つまり一括採用、終身雇用、年功序列で「単線路線」を「タテ」に昇進する「エリートたち」と一党政治が長期に続いたこと、などによる「人災」、つまりは「政府の失敗」だったのです。

この報告書は世界の関係者から高く評価され、私はこのいきさつを著した本を出版しました。

その3月11日から8年。
多くの人の悲しみと苦労は今も続いています。
日本は何を学び、何が変わったのでしょうか?

「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」の「中心」と称賛された「霞が関」で「公文書や統計データ処理など」で次々と起こる不祥事、「ガバナンス」も「カタチばかり」で次々と起こる一流企業の不祥事、国会の政治家の言葉の軽さなど、これらはいったい何なのでしょう。

「ヨコ」には動きにくい極端な「タテ社会」、上司の指示に従っていれば それなりにうまくいった「忖度男子(ソンタク・ダンシ)」の社会、政治家は中央から利益誘導型の家業となっても通用していた、それでよかった「経済成長の枠組み」だったのです。
そんな時代の終焉が平成の30年間だったのでしょう。
そしてこの30年、グローバル世界とインターネットによるパラダイム大変化の時代、新しい「超」大企業が出現、中国をはじめとしてアジアの多くの国々の急速な成長が始まっています。

「ヨコ」に広がる、「個人の能力」が発揮しやすいネット時代、新しい価値創造する「新世代」の活躍が次々に出はじめている最近のありようが、「高齢・少子化」という人類史上初のフロンテイアを含めてチャレンジする「これからの日本」なのだ、と期待したいのです。

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