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「平成の終わりに②『日本経済 30年間と残された課題』」(視点・論点)

米コロンビア大学 伊藤 隆敏 教授

いよいよ平成の時代が終わりを告げようとしています。この30年のうち、最初と最後の数年ずつを除いた20年間は「失われた20年」と呼ばれる、経済が停滞した時期にあたります。そのうち15年間は物価が継続的に下落するデフレの時期に重なります。

今日は、平成の30年間を振り返り、
①    「失われた20年」と呼ばれる経済の停滞はなぜ起きたのか、
②    そして、2013年以降の景気回復のなかで、その停滞からの脱却に成功したのか、
③    これからの日本経済の成長にはなにが必要か、を考えます。

【なぜ「失われた20年」に陥ったのか】
まず、「なぜ失われた20年に陥ってしまったのか」。
私は、いくつもの政策対応の失敗の積み重ねであったと考えています。
バブルの破裂から生じた不良債権問題の処理が後手に回わり、銀行危機を引き起こしてしまったこと。
銀行危機後のデフレに対して有効な財政・金融政策を打たず、投資や消費の停滞を長引かせてしまったこと。
そしてリーマン・ショックが起きた時に、思い切った金融の量的緩和を行わなかったことに原因があったと考えています。

まず、この30年間のGDP(国内総生産)の動きを見てみましょう。

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失われた20年は、バブル破裂による成長鈍化、日本の銀行危機後のGDPの停滞、小泉政権の束の間のブーム、リーマンショック後のGDPの大きな下落とデフレの深刻化の4つの局面に分けることができます。

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平成が始まった1989年はバブルのピークでした。1985年以降、株価、地価が毎年約30%も値上がりを続けていて、日本経済は絶頂期を迎えようとしている、と多くの人が感じていました。
しかし、1990年代にはいると株価が大きく下落しはじめます。名目GDPでみても上昇率が、1992年を境に上昇のスピードが鈍っていることがわかります。
1994年ころから、不動産業、建設業などへの銀行貸出の利息返済が滞るようになり、不良債権の比率がしだいに大きくなりました。金融機関のうち、財務の弱いところは、不良債権による損失が資本を上回る「債務超過」に陥って、破綻するようになりました。
第一の政策失敗はこの金融機関の資本が毀損していく中で抜本的な銀行健全化策をとらなかったことです。

1997年には、三洋証券、北海道拓殖銀行、そして四大証券のひとつである山一證券までが破綻し、戦後日本の金融史上、最悪の年になりました。
山一證券が破綻した時の社長の謝罪会見は、日本の金融史上にのこる写真の一枚になってしまいました。

さらに、1998年には、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の2つの銀行が破綻しました。破綻しなかった銀行も不良債権を処理するためには 過少資本に陥っていたため、1998年3月と1999年3月の2回にわたって、政府による資本注入を受けることになりました。もっと早く金融機関の損失確定と、資本注入していれば、銀行危機は軽微ですんだはずです。

この銀行危機をきっかけに、その後15年間続くデフレが始まりました。デフレのもとでは、消費や投資が萎縮しました。これに早く対処しなかったのが、第二の失敗です。

2001年に発足した小泉政権は、従来の自民党の政策にこだわらず、郵政民営化などの政策に取り組みました。2002年には世界の景気も立ち直り、日本経済も2007年まで好景気を享受しました。2006年には日銀の量的緩和が解除され、金融引き締めに転じています。
これで「失われた10年」も終わった、と思った人も多かったと思います。

しかし、2008年に入ると、サブプライムローンをはじめとする証券化商品の暴落でアメリカの大手金融機関が破綻するようになります。9月にはリーマン・ブラザーズが事実上破綻。欧米の金融資本市場は機能不全となりました。

日本への影響については、当初、日本の金融機関が、住宅ローン関連の証券をほとんど保有していなかったので、影響は軽微である、という期待がありました。
ところが、2つのチャンネルを通じて、日本経済に大きな影響を及ぼすことになりました。

第一は、円高です。欧米の中央銀行が金融不安に対処するために、市場で資産担保証券や国債を大量に買い入れ、市中に十分な流動性が供給されました。
しかし、これはドルやユーロが対円で減価することにつながりました。リーマン破綻直前には、1ドル90円でしたが、その後最高値(さいたかね)で75円を記録することになります。

第二に輸出の減少です。欧米では経済活動が落ち込み、成長率が大きく下落しました。これが、日本からの自動車や工作機械などの輸出を、大きく減らすことになりました。

2009年の成長率は、マイナス5%超と、戦後最大の下落幅を記録しましたが、それでも日銀は量的緩和に踏み切りませんでした。これが第三の失敗です。

2008年から2012年は、世界金融危機と日本の政治の混乱が続く、「失われた20年」のなかでも 最も暗い5年間となりました。

2012年12月に誕生した第二次安倍政権の経済政策パッケージ、すなわちアベノミクスは、デフレからの脱却、安定成長への回帰、失業率の改善など顕著な成果を生みました。これは大胆な量的質的緩和と拡張的な財政政策がうまくかみ合い、民間の期待をうまく利用したことによる成果でした。金融緩和により、円安、株高、がおき、輸出産業を中心に、企業業績が大幅に改善しました。

【デフレ脱却はできたか】
では現状においてデフレ状態から脱却したといえるでしょうか。

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確かに2012年まで連続してマイナスであったインフレ率は、2013年以降プラスに転じています。
生産や企業収益が好調で、労働市場も需要超過であることを考えると、よほど大きな外的なショックがない限り、ふたたびデフレになることはないと思います。
その意味で、デフレは脱却したといえるでしょう。

では、今後の日本経済の成長は盤石なのでしょうか。必ずしもそうはいえません。
インフレ率も、デフレを脱却したとはいえ、2%目標は達成されていません。

2013年以降、経済成長率は1パーセントを少し上回る水準です。失われた20年間から抜け出すとほぼ同時期に、戦後のベビーブームの人たちが定年でつぎつぎと退職していったからです。労働者不足になり生産にブレーキがかかるようになりました。財政の資源を退職者の社会保障に回さざるを得ないので、なかなか技術力をたかめる科学予算などにはお金が回らなくなっています。

また、財政政策では、景気刺激をするために、減税や支出増を繰り返した結果、政府債務がおおきく積み上がり、いまやGDPの2.4倍に達しています。今後の財政再建は非常に困難になってきています。

7年目にはいったアベノミクスも、このところモメンタム、勢いを失っているように見えます。人手不足がひとつの制約です。それにフィンテックなどの変革が起きていないというのも成長制約になっていると思います。

【これからの成長加速に何が必要か】
これからの日本経済の成長加速に何が必要なのでしょうか。
労働者不足のなかで、成長率を一段と引き上げるためには、技術進歩の促進しかありません。
ITによる技術進歩については、日本がリードできないどころか、追走する集団にもはいれないのではないか、と心配です。理工系においても、経済・ファイナンス系においても、人材の不足が叫ばれています。そして人材を育てるのは、大学教育です。グローバルな交流を実現する英語力を身に着けた人材が少ないこと、大きな研究費を必要とするところに資金が回ってこないこと、研究者の努力が報酬という形にならないことが指摘されています。
研究費がなければ研究交流も限られてしまうし、実験装置も、ビッグ・データも買えません。

これらを改善し、努力する若者が、やりがいのある仕事に就くことができて、成長に応じた報酬を受けることができるようにすることで、日本はまだまだ成長することができると思います。是非、政府、民間が協力して、そのような環境を作ってほしいと思います。

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