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「シリーズ・『日韓共同宣言』から20年① 古代7世紀の日韓関係から学ぶこと」(視点・論点)

立命館大学 客員教授 薮中 三十二

21世紀の日本と韓国との関係を考える。なかなか隣国との関係は難しいわけですが、そういう時に、いかに日本と朝鮮半島との関係が濃密だったのか、もう1回昔の歴史、振り返ってみるのがいいんじゃないかなと思いまして、そうすると7世紀に行き着いたんですね。

7世紀、白村江の戦いってのが663年にありました。あれは当時、朝鮮半島に高句麗、百済、そして新羅という3つの王朝があったんですが、そのうちの日本と非常に近い関係にあったのが百済、そこが新羅によって倒されるんですね、それでとうとう新羅との連合軍がいると、これに対して、日本に助けてくれという風に来たのが百済の遺臣だったんです。
その時になんと数万の軍隊を大和朝廷は送ってるんですね、400艘の船と。どうしてこんなことをしたのかなと思うぐらいなんですが、それが無謀と言えば、相手は唐という大国と新羅という、こういう連合軍に対して百済の敗れ去った人達が残ってる、そこへ行ったんですね、大和朝廷はどうしてこんなことをしたのか、これに非常に関心を持ちまして、色々調べてみました。そうすると、やはり当時の朝鮮半島と大和朝廷、ものすごく深い関係があったんですね。当時日本は、ある意味、非常に開かれた社会、渡来人というんですが、主に朝鮮半島から来た人がどんどんどんどん来ていると、そんな時代だったんですね。それでお互いに影響し合った。もちろん、例えば仏教は朝鮮半島から渡ってきましたし、色んな技術も来たと、他方において、日本からもそうして外へ出て行っていると、濃密な関係があったというのがわかるんですね。
で、今、日本でも、私、京都の周りで色んなところに行きますと、例えば古都三山、琵琶湖の東側にある紅葉で名所なところですが、そこに百済寺ってのがあると。そこへ行き、「くだらでら」へ行きたいと言いましたら、わからないんですね、あれは「ひゃくさいじ」と読むと。あるいは新羅善神堂っていう国宝の建物があるんですが、ここへ行こうとしてもなかなかわからないと。つまりなかなか昔の古い交流っていうのが今、途絶えてる、あるいは隠そうとしてるのかなっていうのが感じられるんですね。私の一番大好きな仏像っていうのが広隆寺にあります。広隆寺の弥勒菩薩半跏像ですけれども、これも素晴らしい仏像ですけれども、非常に同じようなものが、もちろん韓国の国立博物館にあると、当時は、そういう関係なんですね。
ただ、日本と朝鮮半島の関係で難しいのは、そうやって新羅と唐に対して日本が戦って敗れるわけですけれども、その後どうなったかというと、朝鮮半島統一したのが新羅。統一しますと今度は新羅が唐とケンカするんですね、仲良くなくなる、そうすると新羅からなんと27回も、20数年のうちにですね、27回も新羅から遣いを日本にやってると。天武天皇の時代ですけれどもね。ですから、そういう意味では日本と韓国、あるいは朝鮮半島の国々と中国、それは濃密に関わり、またその時にパワーバランスというか、色んな恰好でやり取りがあるんだなという風に思います。
私自身は外務省で最初に赴任したのが韓国だったんです。1973年という、もうずいぶん昔の話になりますけれども、金大中事件、金大中さんが東京のホテルから略奪されたという事件がありました。更には文世光事件ということで、韓国の大統領を暗殺しようとしたと、そういう事件、ちょうどその時に私はいたんですけれども、ある意味、非常にいい経験をしたなと思うのは、韓国の人が日本のことをどういう風に思ってるかということが、やはりそこに2年間住んでみると非常によくわかったんですね。
韓国の中で三大英雄というのがいると聞きました、当時。金庾信(キム・ユシン)さんという人、あるいは李舜臣(リ・シュンシン)さん、で、安重根(アン・ジュウコン)さんということなんですね、みんな日本との関係、新羅の時代、そしてまた豊臣秀吉が攻め込んだ時代の朝鮮征伐という恰好で出て行った時代ですね、その時に立ち向かったのが李舜臣さんという将軍であると。もちろん安重根さんというのは伊藤博文を暗殺した。日本では、これは暗殺者ですから犯罪人ですけれども、向こうでは英雄になっていると。そういうことで言えば、向こうの中でいかに日本との関係を常に意識してるかと。
それは朝鮮半島では、日帝36年という時代という風に彼らは言うわけですけれども、日本の植民地下になったと。これは、やはり非常にプライドの高い人達にとってですね、ましてや日本の植民地になるっていうのは本当に屈辱的だったんだろうなと。これは、なかなか朝鮮半島の方々は物事をしつこく忘れないという風に、日本はよく思いますけれども、韓国の中でも当時、当時といいますのは伊藤博文の時代、1905年に外交権を日本が奪うわけですけれども、それに署名したのが韓国の5人の閣僚なんですね、この人達は今でも五賊といって、それでつい最近というか21世紀になって、その子孫の財産が奪われると、そんなことがあるんですね。だから1人、日本に対してだけ執拗ということではない、韓国の中でもそういうことがあるんだと。韓国の人の思いですね、それを我々は、よく認識しとかなきゃやっぱりいけないなというのが最初のスタートでした。
その後、今日のテーマでもありますけれども、1998年になってですね、日本と韓国の間で共同宣言が出ます。これは、日本は小渕総理、そして韓国側は金大中大統領だったんですね。

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これは、今年がちょうど20年になりますけれども、非常に素晴らしい、僕は、共同宣言は今でもそのまま日本と韓国との関係、これに適用できると思うんですね。
3点あります。

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第1点は、もちろん日本が植民地にしたと、で、色んな損害、苦痛を与えたということに対して日本がお詫びをするということです。第2点が大事でして、金大中大統領は、戦後、日本がやってきたことを評価するということを言ったんですね。
で、3点目に、お互い21世紀のパートナーとして協力していこうと、こういう素晴らしい内容なんですね。
第2点、特に韓国の大統領が日本のことを評価すると、これは、相当勇気のいることなんですね。で、ちょうどその時代に、私が自分で交渉いたしましたけれども、日本と韓国との漁業協定っていうのがあります。単にお魚っていうのだけじゃなくてですね、もちろん日本と韓国との間には領土問題がある。竹島があるわけですね、向こうは独島と言いますけれども、これでどうするんだと、これをお互いに主張し合ってると漁業協定はできないと。そこで知恵を出したのがですね、領海だけ対象にして、排他的経済水域はお互いに主張しないようにしようやと、そういう恰好でまとめたのがこの漁業協定なんですね。

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これは国際的には日本と韓国との立場が50対50になってると、そういう評価を専門家から受けましたけれどもですね、そんなこともできた時代、それがまさに20年前なんですね。
それ以後色々ありました。慰安婦の問題もある、そして色んな恰好での過去の問題が常に蘇ってくるわけですけれども、やはり21世紀になって、これから日本と韓国がどういう風に向き合っていったらいいのか、これは、やはり非常に大きな問題です。日本の外交にとって、今まさに北朝鮮の問題でもですね、韓国に色んな恰好で橋渡しをしてもらっている。もっと大きなことを言えば、この東アジアの平和と繁栄についてですね、やはり日本と韓国、そして中国が協力し合っていくというのがいいことは、もう当たり前なんですね。その当たり前のことがなかなかできないのが今日ですけれども、やはりそれを上手くやっていく知恵、これがやはり7世紀の時にあるんではないかなと、そんな風に思ったわけです。どうもありがとうございました。

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