「日本発のiPS細胞技術を世界に」(視点・論点)
2018年10月01日 (月)
京都大学教授 山中 伸弥
医学は急速に進歩しています。10年前、20年前は不治の病と考えられたものが、新しい治療法の開発により次々に克服されています。例えば、私の父は肝臓の病気により29年前に他界しました。当時は治療法がなく、医師になったばかりの私は、無力感におそわれました。しかし、今では画期的な治療法が開発され、同じ病気の多くの患者さんが健康を取り戻しています。医学研究が病気に打ち勝った成功例です。
新しい治療法の多くは欧米で開発されています。その結果、我が国への導入は遅れ、また導入されても高額な医療となってしまいがちです。
先ほどの肝臓の病気に対する薬は、小さな錠剤一粒が数万円もします。これを数か月間、毎日服用しなければなりません。日本には国民皆保険という素晴らしい制度がありますが、高額な治療による医療費の高騰は、医療保険制度の存続を危うくするかもしれません。
iPS細胞は我が国において開発に成功した技術です。私が米国留学から帰国後の2000年に国からの支援により研究を開始し、2006年にネズミでのiPS細胞の作製成功を世界に先駆けて報告することができました。翌2007年には、ヒトのiPS細胞作製を報告しました。日本で生まれたiPS細胞技術を、我が国の、そして世界の患者さんに届けるべく、多くの研究者と協力しながら研究開発に取り組んでおります。その推進役として2010年に設立されたのが、京都大学iPS細胞研究所です。私たちは、国の支援や皆さまの寄付をいただきながらiPS細胞で病気を克服する、そして日本が世界をリードするという強い使命感を持って、日々の研究活動に取り組んでおります。
iPS細胞は、血液や皮膚の細胞を加工することにより作り出す細胞です。元の細胞とは異なり、ほぼ無限に増やすことができ、さらに神経や筋肉など、多くの細胞に作り変えることが出来ます。これらの特徴から、iPS細胞技術は、2つの医療応用が期待されています。1つは、体の中で失われた細胞の機能を補う再生医療です。もう1つは、病気の原因を解明し治療薬を開発する研究です。
新しい治療法の開発にはとても長い時間が必要です。まず、治療法の安全性や効果を、動物実験で繰り返し検証します。多くの場合、動物実験での確認に10年以上の年月を要します。動物実験のデータが国に認められると、人間での安全性や効果を確認するために、患者さんにご協力いただく臨床研究や治験が行われます。動物実験よりもさらに慎重に進められますので10年近い時間を要することが一般的です。治験のデータを国が審査し、ようやく治療法として承認されることになります。研究開始から新しい治療法の承認までには多くの壁があり、途中で断念せざるを得ないケースも多くあります。また、国に承認されたケースでも、研究開始から20年以上の時間を要することも珍しくありません。
ヒトのiPS細胞の開発から11年が経過し、iPS細胞の医療応用は、臨床研究や治験の段階に到達しつつあります。2014年には世界で初めてiPS細胞による再生医療の手術が行われました。
この時には、加齢黄斑変性という眼の網膜の病気の患者さんからiPS細胞をつくり、それを必要な網膜の細胞に変化させてから、同じ患者さんに移植しました。細胞が移植された方の眼では病気の進行が止まり、患者さんには大きな副作用も無かったことが報告されています。
現時点では、患者さんご自身のiPS細胞を作り、再生医療を行うには、一人当たり数千万円のコストと、1年近い時間がかかりますので多くの人が受けられる医療にはなりません。そこで、私たちは、高品質のiPS細胞を予め作り、必要に応じて提供する「再生医療用iPS細胞ストックプロジェクト」を進めています。
このプロジェクトでは、他人に移植しても免疫拒絶反応を起こしにくい、まれな免疫タイプの方を、日本赤十字社のご協力で探し、ドナーとして協力していただいています。これまでに5名のドナーの方の血液からiPS細胞を作っており、国内の大学や企業に提供しています。これだけで日本人の約30%に、拒絶反応を起こしにくいiPS細胞を提供することが出来ます。数種類のiPS細胞で、たくさんの患者さんに対応できることから、費用と時間を大きく削減することが出来ます。2020年までには、日本人の半分をカバーするiPS細胞を供給できるようになる予定です。
昨年には、再生医療用iPS細胞ストックを使った臨床研究が、網膜の病気である加齢黄斑変性に対して始まりました。今年に入り、心臓の病気やパーキンソン病に対する治験が国に認められました。さらに、角膜の病気や脊髄損傷、血小板の輸血、がんに対する免疫療法、糖尿病、軟骨の病気などで、再生医療用iPS細胞ストックの細胞が使われる見込みです。複数のプロジェクトで同じiPS細胞を使うことができるため、細胞の特性に関するデータなどを共有することも期待されます。
今後は、iPS細胞ストックによる再生医療の普及を目指します。さらに、将来、iPS細胞の最大の利点である、患者さん由来の細胞による移植を実現させるために、iPS細胞をより速く、より安価に作製する技術の確立も進めていきます。
iPS細胞技術のもう一つの医療応用である、治療薬の開発についても研究が進んでいます。患者さんからiPS細胞を作り、いろいろな実験を行うことが可能となりました。これまでは分からなかった病気の原因の解明が進んでいます。例えば、全身の筋肉にどんどん骨が出来てしまう難病があります。患者さん由来のiPS細胞を使うことにより、筋肉の中に骨がたくさんできてしまうメカニズムがわかってきました。さらには治療薬の候補を見つけることができ、昨年には、臨床試験が始まりました。
国が認定した難病は300種類以上ありますが、私たちは150以上の病気の患者さんからiPS細胞を作り、多くの研究者が使えるようにしています。患者さんが少ない難病については、あまり研究が進んでいませんでした。患者さん由来のiPS細胞を最大限に活用し、一つでも多くの難病の治療薬開発を目指しています。
iPS細胞の医療応用は、これまでのところは順調に進歩しています。しかし、それぞれの病気の治療法が国に承認されるまでには、まだまだ長い道のりがあり、多くの困難を克服していく必要があります。今後、10年、20年の長期にわたる研究開発を続けて行くには、優秀な人材や研究資金の確保が必須です。国からは多くの支援をいただいておりますが、ほとんどは5年程度の期限付きです。優秀な人材をより長期に確保することが課題です。これからも、国の支援と、国民の皆様からの直接の支援に支えていただきながら、日本で生まれたiPS細胞技術を、我が国の、そして世界の患者さんに届けることが出来るよう、全力で取り組んで参ります。