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「最期から考える幸せな人生」(視点・論点)

訪問診療医 小堀 鷗一郎

67年前の1951年には、自宅で最期を迎える人が大部分で、病院・診療所における死亡は約1割に過ぎませんでした。今日では、逆に8割以上が病院・診療所で最期を迎えていて、在宅死は約1割となっています。在宅死と入院死が逆転したのは1975年頃ですが、在宅医療のシステムが整備された現在でも老衰や癌末期など死期の近づいた患者を最後まで自宅で看病しようと考える家族は例外的といえます。死にゆく家族と共に過ごす経験がほとんどなくなったことで、多くの人々が自分や家族がいずれは死ぬということを考えなくなっているのではないでしょうか。

私は65歳の定年まで、外科医として、大学病院・国立医療機関に40年間勤務しました。外科医として過ごした40年間を一言で表現するなら救命・治癒・延命の日々でした。定年退職と同時に堀ノ内病院に赴任しました。堀ノ内病院は、埼玉県新座市に1980年に開設された急性期病院です。ここで私は在宅医療に13年間従事してきました。この13年間を一言で表現するならば患者とともに死に向き合う日々です。
13年前の私には在宅医療は何らの準備もなく遭遇した未知の世界でした。臨終の場所について、私はとりあえず本人と家族の意向に100%従うことにしました。ここで医師が在宅医療を行うことで在宅死を選ぶ患者の割合がどのように変わったのかをお示しします。

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図は13年間に私が看取り(みとり)に関わった患者の数をグラフで示したものです。この図で注目していただきたい点が2点あります。第一は私が在宅医療を始めた最初の3年間で、すでに在宅死と入院死が半々となっています。つまり、わが国全体の在宅死は1割ですが、ここでは医師が家へ定期的にやって来るだけで在宅死が5割を占めるまで上昇したことになります。第二は在宅死と入院死の割合を示す曲線が2008年を境に分離しはじめ、次第にその隔たりが大きくなり、現在では在宅死が75%を占めるに至った点です。

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これは在宅主治医である私が自分の考えを本人と家族に説明するようになった、いわば私の”方向転換“に関係すると考えています。その方向転換の契機となった事例は次のようなものでした。病院における孤独死ともいうべき事例であります。

この方は101歳の女性でした。長男夫婦と通常の生活を送っていましたが、急速に歩行不能となり何も食べなくなりました。ご長男は、一旦は在宅看取り(みとり)の方針でしたが、患者が息を吐くときに発するかすかな息遣いを「母が可哀想で耐えられない」と急遽入院を要請し、堀ノ内病院に救急搬送しました。直ちに延命治療が施され、患者はその後10か月余りを暗い集中治療室で、見舞いの家族の足も遠のく中で生き続けられました。週1回の病棟回診の度、この患者の、そこだけは変わらない童顔を目にし、私は彼女にとっての幸福な死とは何なのかを考えざるを得ませんでした。それ以降、看取り(みとり)について自分の経験に照らした見解を患者さんとその家族に述べるようになりました。

衰弱した患者さんが食物や水分を口にしないのは、ものを飲み込む力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなくて、死ぬべき時が来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきであること。このような状態で病院に入院させて水分や栄養を補給すると、患者さんの限界にきた心臓や肺に負担がかかり、患者さん自身もつらい思いをするし、周囲の目にはむくみなどの兆候が明らかになること。家族にとって患者が飲まず食わずの状態で日々衰弱していく状態を目にするのがつらいなら、患者の体に負担の少ない皮下注射で最低限の水分を供給する方法もある。
このようなことを患者の死期が迫ってからでなく、日々の訪問診療の際に折に触れ話すうちに、患者自身とご家族が死を直視し、死を問い続けた結果、4分の3の患者さんが在宅死を選ぶに至ったのだと考えています。

実は、在宅医として私が最も大切にしたいのは「入院死か在宅死か」という二者択一の問題ではありません。
私は自分の医療の目指すところを「culminatoin」という言葉で説明しています。この言葉は「最高点、頂点、最高潮、全盛」という意味です。死に行く人とともにその人のculminatoinを実現すること、それが叶わぬものであるなら、少しでもそこに近い最期を提供することです。
数年前ですが、このような事例がありました。
この患者さんは胃がん末期の87歳の女性でした。人工肛門を造設すれば3か月、しなければ3週間の余命と言われ、手術を拒否して自宅へ帰ることになりました。介護を行うのは長男で重度の身体障害者です。訪問初日、患者からは「病院には戻りたくない」「塩辛いものが食べたい」という希望を、介護にあたる長男からは退院処方で出された薬をすべて服用させるのに毎食後1時間半かかる、何とか薬を減らすことは出来ないか、という相談を受けました。私は患者本人には「好きなものを何でも食べてよい」、長男には鎮痛を目的とした麻薬以外は全て捨ててよいと即答しました。2日後立ち寄ってみると患者は仰向けのまま水を飲み上機嫌で、枕元にはポテトチップスの空袋がありました。次の訪問は3日後の死亡確認だったので、短い期間の接触でしたが、水を飲んでいたときの患者の笑顔と、薬を服用させる苦行から解放された長男の安堵の表情が印象に残っています。

「culminatoin」は一人一人異なります。この患者さんは入院中、誤嚥予防のために水を飲むことを固く禁じられていました。彼女の「culminatoin」は自宅で自由に水を飲み、塩辛いものを食べることだったといえます。
別のヘビースモーカーの患者さんは、脳梗塞麻痺で右半身不随の体でしたが、杖にすがってタバコを自動販売機まで買いに行くことをリハビリの目的にしました。喫煙は彼の生きる目的であったと思われます。
99歳の女性は、生まれ育った大阪の自宅近くにあった造幣局の通り抜けの桜をもう一度観ることを望んだので、私が学会に行った折に写真に収め、何とか希望を叶えることができました。
「culminatoin」は、その人その人にとっての価値観の表れです。死に行く患者が何を最後の拠り所にしているのかを知り、それを共に求める努力をしながら、最後の日々を共に過ごしていきたいと思います。

7年後の2025年には団塊の世代が全員75歳以上の後期高齢者となります。人口の4分の1は後期高齢者が占めることになり、死者の数も現在より年間約30万人増えます。このいわば高齢者の人口爆発に対処するために最も必要なことは優れた国家戦略でも、つぎ込まれる莫大な国費でもなく、社会、とりわけ直接の当事者である医師・患者・患者家族が「老いる」ことを理解し、「死ぬ」ことを受け入れ、自分にとって、家族にとって、そして社会にとって「望ましい死」とは何かに思いを致すことであり、これは日本の医療における壮大なパラダイムシフトとも言えるのではないでしようか。

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