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「グランドゼロから見た日本 〜利休と踏み絵〜」(視点・論点)

画家 マコト フジムラ

私達は「波乱の時代」に生きています。私はアメリカに住む日系人の芸術家として、このパラダイムシフトをどう見るかという課題を抱え、外から日本を見つめています。

歴史的には、そのような波乱に満ちた時代にこそ、心に残るアートがトラウマから生まれていることがわかります。14世紀後半、フラアンジェリコを始め、ダンテ、ゴッホ、ルオー、ヘミングウェイなども、似たような不安定な時代に、優れた芸術を生みだしています。

私は9・11の時、タワーから50メートルのマレーストリートに住んでいました。家族もあの煙とトラウマに巻き込まれ、過去の17年、いまだに後遺症を抱え生きています。その間、芸術のあり方、そのような波乱の中にある美の必然性を考えさせられています。

その結果、欧米のトラウマから生まれた芸術だけでなく、日本の文化がより大切になってきました。アウトサイダーとしての観察が今の絵に結びついているのです。

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私は日本の国費留学生の時、日本画を学びつつ、16−17世紀の琳派などの研究をしていました。その時受けた二つの影響が未だに続いており、「グラウンド・ゼロ」という視点で制作しています。その二つの影響とは、千利休、そして踏み絵です。アウトサイダーとして見る日本の視点に、この二つは繋がっていて、9・11の煙の先に、利休の姿が見えるようになったのです。

利休は文字通り「戦国時代」に生き、その波乱の中に静止点を生んだ革命派です。彼の全体像は現代美術の前衛アーチストと言っても良い、「美」のコンセプトを越え、秀吉の野望にも対立した時代のリーダーであり、世界の視点から見ても、例のない革命派であり、長谷川等伯を始め、数々の優れた芸術家に影響を与えました。外国で利休の茶道の話をすると、この革命的な利休と彼が世界に今与える影響力が浮き出てきます。

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このグランウンド・ゼロの広がる世界にアーチストとして生き、その波乱の中で新たな「美」を創るという思想が産まれます。世界が不安定であるからこそ生まれるアートとは何か。その「美」の追求を通して、利休の生きる道、そのアートが人生そのものとなってきます。利休は波乱の中でのみ生まれる「台風の目」であり、今の世界にも必要な存在です。

奇妙なことに、その利休の持つ静止点と踏絵とのオーバーラップに私は気がつきました。エッと思うかもしれませんが、ちょっと説明いたします。

利休の残した影響は、遠藤周作が語る、日本のキリスト教禁止250年の「迫害時代」で生き延びる可能性をもたらします。利休が、妻のおりきを通して、当時のカトリックの宣教師と交流を持っていた事は大徳寺の歴史が語っています。つまり、その時代のオーバーラップには「隠された美」が潜んでいるわけです。

その「隠された美」とは何でしょうか。

踏み絵とは、徳川幕府が仕掛けた「拷問武器」と言っても良いでしょう。スコセッシ監督の「沈黙ーサイレンス」をご覧になったでしょうか。250年の迫害の結果、何千の人々が踏み絵を踏んだので、イエス様の姿がもうツルツルです。

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遠藤は、その踏み絵、すなわち「愛するもの、理想とする人の顔」を踏んでしまう普遍的な人間の姿を小説「沈黙」で捕らえたかったと書いています。未だにその踏み絵の表面は、人間の脆(もろ)さ、トラウマが産む現代人の心の痛みを語っています。それを私は「踏み絵文化」と呼んでいます。常に村八分をしてしまう文化のことです。

遠藤の思考は20世紀のトラウマを掴むため、まず「迫害時代」の16、17世紀の歴史を導入点とすることで、それが「沈黙」になったのです。

さて、「沈黙」、踏み絵、利休に一体何の関係があるのだろうかと思っている方もいらっしゃるでしょう。

その繋がりは京都の「一条戻橋」にあります。

利休が自害した自宅の茶室は一条戻橋から約600mです。秀吉はわざとその橋にさらし首としました。すなわち当時京都に住む民衆には、利休の自害の6年後に迫害時代のきっかけとなる「26聖人」の殉教の歴史の始まり、一条戻橋から長崎へ向かう姿が重なる事となります。踏み絵文化は一条戻橋の延長線上にあります。

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遠藤が長崎の私立博物館で出会った踏み絵の表面には、彼の「一条戻橋」、彼自身の痛みが反映されていたと私は推測します。遠藤はフランスに留学中、結核に悩み、パリの病院に隔離状態で入院し、自分のアイデンティティーどころか、自分の命も長く保てない可能性も抱え、留学の目的であったリオン大学のフランス文化博士号も取れず日本に戻っていました。「なぜ、この『神』は私を見捨てたのか?」と思ったことも当然です。これが彼の「グラウンド・ゼロ」の体験となります。

パリで、そしてその後、日本での入院が続きます。隔離状態に苦しみ、自分の体に裏切られたような体験をしたかと思います。

しかしその葛藤の中での発見から彼の人生の道が開けるのです。

ふと、自分のベッドから自分の惨めな状態で他のベッドに眼を向けると、5歳の子供が泣いている姿がありました。遠藤は、「たぶん私は自分の運命を受け入れることができるが、あの少年はどうだろう?・・・彼が何をしたというので、あのような運命に陥るのだろうか?」

この疑問から遠藤は小説家として出発したと私は思います。これが、遠藤の「一条戻橋」となっていくのです。

人生の痛み、病、そして苦しみは文化を超える共通点だということです。

自分の苦しみは当然描くとしても、その5歳の子供の苦痛は誰が描くのか?このように、彼の考えは、自己の苦しみから、声なき者を代弁するという使命感となっていったのではないかと私は推測します。そこには哀れみという、日本の文化に流れる、ある「美」があります。そこに遠藤は「西洋のキリスト教」と、日本の文化とのオーバーラップを見つけたのです。これは、仲間外れにされた者に与えられる観察力でもあり、科学、芸術の発展の源であるとも思います。

踏み絵の表面には、利休の「わび、さび」と言われる茶道のコンセプトが表われています。すり減って行く顔に私は「日本の美」を感じるのです。その踏み絵の捉える聖像は、日本のトラウマを超える唯一の「大きな羊」つまり、「美」と言う漢字の構造そのものだと思えます。

外から見つめる日本は、踏み絵の表面と同じように美しく見えます。その美は、トラウマを通して生まれるすり減った聖像、すなわち哀れみに満ちた新たな日本の独特な文化ではないかと私は思います。利休の道は、私のアートと人生では踏み絵にも繋がります。日本の隠された美は、この波乱の満ちた日々にも語りかけているのです。その踏み絵のトラウマで磨かれた表面は、グラウンド・ゼロのアーチストとしては貴重な存在です。世界に広がっていくグラウンド・ゼロのアートとは、人生の嘆きから生まれる美です。今だからこそ、日本の文化、私の言う「踏み絵文化」からこそ新たな可能性が生まれるのでは、と思ってこの日本の美を語り、制作を続けていきたいと思っています。

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