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「『学び直し』を支援する社会に」(視点・論点)

関西国際大学 学長 濱名 篤

社会人の学び直しについて、現在、文部科学省は中央教育審議会に置かれたワーキンググループを中心に審議を進めています。その中では、社会人が実際に必要とする新しい教育プログラムの開発や、1科目から始めても、修士や学士といった学位が取得できるものに繋がる仕組みづくりが検討されています。
学生というと、若者、毎日朝から夕方まで学校に通う人たちというイメージが強いですが、社会人もいれば、夜間に学ぶ人もいれば、eラーニング等通信で学ぶ人も学生です。
しかし、日本の大学生に占める社会人の割合は2%と、OECDの平均である18%を大きく下回り、先進国の中で最下位という状態です。きょうは、これからの時代に必要となるといわれている「社会人の学び直し」の課題について考えます。

それでは、社会人の学び直しの障害とはどのようなことなのでしょうか?
次の5つを上げることができます。

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1)    時間:仕事が忙しく学びにいく時間がとれない
2)    場所:学びに行く適当な場所が近くにない
3)    費用:学費を自己負担するのが大変
4)    教育内容、方法:自分たちの学びたい内容や社会人に合った教育方法が少ない
5)    職場の理解:職場からの理解が得られず、学びに行くと言いにくい
こういった理由が挙げられます。
   
しかし、現在の安倍政権が“人生100年時代”の観点からの政策を進めていく中で、置き去りにされてきた社会人の学び直しに注目が集まりつつあります。
こうした社会人の学びが必要となってきた背景には、大きく分ければ2つの時代の変化があります。ひとつはサイバー空間と現実空間を高度に融合させたシステムの新しい社会”Society5”が到来するといった予測や、”消滅する職業”についての予測です。野村総研によれば、日本の場合はこれから10年ないし20年でAIやロボットに取って代わられ、職業自体が消滅する人が現在の就業者の49%という結果になりました。技術革新によって就職したのちの職業生活が保障されないということで、社会人の学び直しは一層避けられない時代が到来しそうです。日本は永らく終身雇用社会だと思われてきましたが、現在の50代の男性で一度も転職したことがない人は36%しかいません。30代未満の正規従業員の中では、現在または将来転職を考えている人が50%以上になっています。
二つ目は、少子高齢化による影響です。我が国は労働力不足の時代を迎えつつあります。個人はより長く働くことが期待され、企業等は人手不足になってきています。すでに地方都市の中小企業の一部では採用難、後継者難での廃業などの事例が出始めています。大手企業には実感がないようですが、採用側が新規採用するためや現在の雇用者を時代の変化に対応した能力やスキルを伸ばしてもらうためにお金を使う時代は目前です。
看護師の場合、すでに学校によっては3割とか5割近くの学生が貸与制の奨学金を受けているケースがあります。奨学金を出すのは将来の雇用先の病院や自治体で、一定期間勤務すれば返済しなくていい、言うならば「御礼奉公型」奨学金です。資格がなければ就くことができない職業で多く、介護士などでも外国から来る学生にこうした奨学金を出すケースも増えています。自分のための進学だから、学費を自己負担するのは当然という考え方自体が問い直されてきています。これからの高校新卒者については年収380万以下の家庭からの進学者に国が奨学金を給付するようになります。これは大きな前進で、東京大学の小林雅之教授の試算では就職していた高卒者の11%が進学できるようになるそうです。これからは限られた人材の確保のために将来の雇用先が奨学金をだすケースが増えていくかもしれません。

働く社会人は自分のお金で学ぶ、これが当たり前なのでしょうか。企業の中には資質向上や自己啓発のための補助制度を設けているところもありますが、決して多くはありません。
海外でも学費の自己負担が一般的なのでしょうか。私が最近訪問したアメリカの西海岸のある大学では、インタビューした社会人学生の多くは、雇用先が離職防止のために学費を負担していました。この大学はeラーニングだけで卒業することができる大学で、コンピテンシー・ベース・エデュケーション(CBE)といって、履修時間に縛られるのではなく、一定の到達度、すなわちコンピテンシーがテスト等で確認できれば合格で、次の科目が履修できる仕組みで、実務経験を持つ社会人向けになっていました。
ヨーロッパではEQF(ヨーロッパ資格枠組み)といって、各資格・学位を8段階(レベル1~レベル8)に分類し、各国の各資格や学位が、どのレベルにあるか比較可能にし、EU域内共通でわかりやすくレベルの整理をした枠組みが作られています。

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これは、イギリスの例ですが,様々な資格や学位がレベル1からレベル8まで、それぞれがどのような「知識(Knowledge)」「技能(Skills)」「職業能力(Competence)」の3つを満たしているかを説明をして、EU内の他地域のものと比較がし易くなっています。EU内の他の国に同様の仕組みがあります。
これによって、労働者や学習者の国際的な流動性が高まり、生涯学習が促進されると見込まれています。

さて、それではどのようにすれば日本でも社会人の学び直しがしやすくなっていくのでしょうか。国、産業界、大学等の教育機関それぞれに求めたいことをあげてみましょう。

第1に、国への期待が3つあります。
1つは、学びやすい学習システムへの転換です。1科目からでも始められ、その積み重ねからでも大学院で修士号取得にまで繋がっていく可能性を開いてほしいと思います。小さく始めても学位が取れるような柔軟な仕組みづくりと、プログラム同士のつながりがわかるヨーロッパのEQFのような国家的資格枠組みが必要です。
2つめは、学習者への費用援助の継続と公務員・教員への機会拡大です。民間企業に勤務する人には厚生労働省の職業訓練給付金という制度があり、次第に充実したものになってきています。この制度の継続とさらなる充実が大切です。他方、公立学校の教員も含め公務員は雇用保険に加入していないのでこうした支援の対象外です。新しい学習指導要領や特別支援教育など新たな課題の取り組む学校教員には体系的な学び直しが必要です。公務員にも自然災害、情報セキュリティ、等新たな学び直しをしなければ対応できない案件が急増しています。彼らが必要性を感じて能動的に学び直しに取り組むことができる。民間企業の学び直しの模範を国が示すべきではありませんか。
3つめは、従業員の学費支援をする企業等に対して法人税減免などのインセンティブを提供してほしいということです。

企業等の事業所に対しては、1つは、従業員の資質向上の必要性への認識を変えてもらい
学費支援や勤務への配慮をすることです。従業員の学び直しは、時代の変化に必要な対応であり、人材育成、離職防止対策にもなることを理解し、そのための配慮や支援を期待したいと思います。
2つめは、学ぶことやその成果を昇進や昇給に結び付けることです。

大学をはじめとする教育機関に対しては次のことです。
1つは、学習者が必要とする教育内容の提供です。産業界のニーズも大事でしょうが、それ以上に社会人の学習者の目線にあった教育内容を開発していくことが重要です。
2つめは、教育方法を社会人向けにしていくことです。テキストを使った単なる知識伝達ではない、職業経験を持つ学生には、実践に沿ったケースメソッドやグループワークのとり入れも有効ですし、教室に来なくても学べるeラーニングの充実も必要です。
3つめは、教育や学習のマネージメントと品質管理でしょう。私が見学した成功しているビジネススクールでは、すべての授業の教育内容、教育方法をモニタリングし、教育の品質管理から卒業生の処遇がどうなっているかまで確認しています。

人生100年時代とは、学校を出て就職したら学びを卒業するのではなく、就職してからも、何度でも学びをくり返す時代でしょう。
よりよい社会を創るために、親や本人だけが負担をし続けなければならないという悪循環を断ち切り、学ぶということ自体を評価して社会全体が次の担い手を育成していく環境づくりや制度が必要ではないでしょうか。

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