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「登山者が自ら取り組む『山岳医療』」(視点・論点)

国際山岳医 大城 和恵

山の医療は、山で発生する病気や怪我への医療を指し、高山病や低体温症などに対応する医学が発展してきました。この医療は登山者の安全を守るためにあります。医療というと医者が行うことのように思われがちですが、山のように病院から離れた場所で病気になったり怪我をした場合、救助隊員が駆けつけるまでには一定の時間がかかります。このため、現場に一番近いその登山者自身、あるいは居合わせた登山者が応急処置を行うことで、命を救い、体のダメージを小さくする必要があるのです。

山の医療の学問を作り支えるのは医療者、研究者ですが、山の医療の担い手は、登山者自身なのです。私たちはこれを「山岳医療」と呼んでいます。
しかし、この「山岳医療」の知識がまだ十分に広がっていないと感じています。そこで今日は、山岳医の立場から登山者が自ら取り組む山岳医療についてお話します。

一般に登山は、装備、技術などを準備し、自分自身で安全を守るものですが、それは医療面においても同様で、「山岳医療」も登山者が身につけるべき登山技術の一つです。
指を切ったら指を押さえて血を止める、これは、医師でなくても一般に行われています。医療の知識や技術は、医療資格の無い人でも備えて実施できます。

そもそもなぜ山岳医療は登山者自らが取り組む必要があるのか、その根拠となるデータがあります。
私の調査研究で、2011年から2015年の5年間の死亡が多かった10道県の登山活動による死亡者553名中、救助隊が到着した時に生存していた人数は、わずか14名、2.5%という低いものでした。

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これだけ、通信環境が拡大し、ヘリコプターの運用が上がり、救助技術や装備の進歩した現在でも、到着時の生存率は低い値でした。
この理由は、山の中での死亡は、転落、滑落などで多くが最初の衝撃で運命が決まっていること、気象条件が悪く救助隊が現場に早期に到着できないことなどがあげられます。救助活動に医療者が同行しても、救命率を上げる効果は低いことがわかります。

2005年には、すでにそのことが国際的に報告されており、医師が山岳救助ヘリコプターに同乗することは、救命率を上げないばかりか、費用がかかる、と指摘されています。
日本では、まだ、病院到着前に医者が介入することを重要視する考えがあります。
山に医者が行くと助かるのではないかという実態と見合わない考えや、救助ヘリコプターから途中でドクターヘリや救急車に中継することで病院到着が遅れることが現状としてあります。
時速200km以上で飛ぶヘリコプターですから、中継による時間ロスより、ヘリポートを準備した病院へ救助ヘリが直接搬送する方が、より早期に設備と技術の整った医療を提供でき、人命保護に繋がります。

別の視点から、医療者の現場介入のデメリットがあります。それは、救助を行う側のリスクになり得るということです。ヘリコプター救助はリスクが伴いますので、現場滞在は短時間にして退避するのが原則です。また、陸路の救助においても、天候変化のある環境で、長い滞在はリスクとなります。病院でできるような医療が山の中でできることはありません。多くの医療資機材を運び込むこともできず、人手、環境も十分ではありません。その場で骨折した骨が元に戻るわけでも、心筋梗塞がその場で治るわけでもないのですから、遭難者の病状をできるだけ悪化させないようにして、最終医療機関への迅速な搬送が優先されます。

救助の鉄則は、救助者の安全です。登山者もその範囲でしか、救助されません。病院での医療と異なり、医療を提供する人が安全を担保されているわけではないからです。
登山者は、自分がいざ遭難した場合、その地域、天候に応じた救助レベルの範囲でしか救助されないことを理解しなくてはなりません。
救助に期待を抱く以前に、自分で対応できる力をつけて山に入ろう、と思うことが、本当に自分の身を守ることになります。
本来、自分の意思で登山をするのですから、自分の身に起こったトラブルは自分で解決できるよう、登山者自身が自助能力を身につけ、高めておくことが理想です。これらの知識は、予防にも役立ちます。
ただ、山岳医療と言うと、難しく聞こえ、登山者から敷居が高くなっているのも事実です。もっと理解しやすく、実践しやすい形にして、「山岳医療」が本当に登山者のものになるよう、我々医療者が工夫して努力していく必要があると思います。

山岳遭難を防止するために、現在私が登山者に向けて行なっている医療的な活動は、大きく3つあります。
1つ目は、山で発生する病気や怪我への対処方法を普及するための「ファーストエイド」講習で、対象者は登山者と救助隊員です。2つ目は、登山外来で、主に登山中の心臓死を防ぐために事前に病院で心臓の検査を行っています。3つ目は、登山口や山の中で、季節や山に応じ発生しやすい遭難の予防法について具体的な指導を行うことです。

一般登山者を対象としたファーストエイド講習では、低体温症や高山病、熱中症などの応急処置と防ぎ方を教えています。

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一方で、搬送が救助活動だった時代は終わり、現代の山岳救助は、隊員の安全、遭難者の救命、後遺症の軽減、を図った救助技術が進歩してきました。私は、現在、全国警察山岳遭難救助の医療アドバイザーを行っていますが、山岳医療を制度として救助に導入し、格段に遭難者の救助が発展するとともに、隊員の安全に寄与できるようになってきています。
中でも、北海道警察山岳救遭難助隊と構築した「低体温症ラッピング」は、外の冷たい風や雨などから隔離・保温・加温する方法です。医学の知識を救助と搬送に取り入れた、実践的な医療救助として人命を救う実績を残してきています。

「山岳医療」は、救助隊員には高い質を求め、一般登山者にはより多くに普及を、という、質と量、両面で広がることで、山に関わる人全てに、安全をもたらします。
私の先ほどの調査では、日本の山岳遭難の3大死因は、外傷、低体温症、心臓死でした。
いずれも、登山中の予防は大切ですが、心臓死の予防には登山前の心臓の検査が非常に重要になります。
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そして、その登山者の心臓の状態や体力に応じた、登山のペースや水分補給の方法を具体的に指導し、「山岳医療」を予防に用いる方法を身につけてもらいます。

3つ目ですが、遭難は季節や山に応じて特徴があります。残雪期は滑落や道迷い、夏は心臓発作や疲労など脱水が悪影響を及ぼすものが多く、通年起こりやすいのは下山中に起きる足首の捻挫です。
夏は、登山口で、水分を500ml飲んでもらい、登山前に脱水に傾いている身体を回復させてから登るよう指導しています。また、下山時は足首の捻挫が多いので、山頂で足首の捻挫予防テーピングを行っています。これは、「山岳医療」を現場で実施しながら、登山者に何が今日の登山のリスクかを知ってもらい、次回から自分でできるようにという教育の場になっています。

発生した山岳遭難にだけ対応していても、遭難者数、死亡者数を将来的に減らしていくことには、限界があります。遭難を発生させない、必要のない救助を減らす、登山者の安全、これらは、登山者自身で築くことができます。
山岳医療は、助ける側に浸透するもの、と考えがちですが、担い手は、山に入る人なのです。
私たち医療者は、山岳医療を科学としてさらに進歩させ、多くの人が実践できるよう伝える努力をしていきたいと思います。
登山者、救助隊、医療者それぞれの立場で医療を活用することが、山岳遭難を減らし健康増進としての登山文化の発展に繋がっていくと思います。

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