NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「人類の歴史を変えたトラクター」(視点・論点) 

京都大学 准教授 藤原 辰史

 今日は、トラクターの歴史についてお話をしたいと思います。

トラクターは、犂(すき)を牽引して農地を耕したり、その農地に肥料を撒いたり、大量の作物を運搬したり、まさに、現代農業の「カナメ」となる機械です。トラクターがなければ、現在の農業も、わたしたちの食生活さえも、ほとんど成り立ちません。
 しかも、20世紀の重要な事象の背後には、かならずトラクターが存在しているのです。トラクターを無視した20世紀の歴史は、画竜点睛を欠くといわざるをえません。きょうは、それらの事象を、主にアメリカ、ロシア、日本という三つの国に絞って見てみたいと思います。
 
 第一に、アメリカです。
 トラクターが産声をあげたのは、一八九二年、アメリカの穀倉地帯であるサウスダコタ州でした。
発明者は、ジョン・フローリッチという人物です。

s180710_01.jpg

s180710_02.jpg

これまで農地を耕すのは牛や馬などの家畜でした。しかし、家畜は、疲れたり病気になったりするうえに、飼料、つまりエサを必要としますので、エサを育てる土地を確保せねばなりません。こうした限界を乗り越えるために、蒸気機関を用いて農地を耕す方法が模索されてきましたが、
フローリッチは、蒸気機関よりも軽くて扱いやすいエンジン、すなわち内燃機関を使うことに初めて成功しました。

 そして、トラクターの爆発的な普及に貢献した人物こそが、自動車王ヘンリー・フォードでした。

s180710_03.jpg

ベルトコンベア方式で自動車の大量生産に成功したフォードは、一九一七年頃にトラクターの開発に乗り出し、「フォードソン」と命名します。

s180710_04.jpg

そのとき、ヨーロッパは第一次世界大戦の真っただ中で、おびただしい数の兵士と文民が亡くなっています。とくにドイツとイギリスは、労働力不足で収穫高が低下し、輸入量が激減したため食糧危機に苦しんでいました。フォードは、このトラクターをイギリスに輸出し、食糧危機をビジネスチャンスに変え、世界中に大量生産型の安価なトラクターを普及させていきます。

s180710_05.jpg

 ただ、華やかに見えるトラクターの歴史もその始まりからすでに歴史の暗部と切り離せない存在でした。第一次大戦のとき、キャタピラ型のトラクターがモデルとなって、戦車が開発されたのです。第二次大戦時には、たくさんのトラクター工場が戦車工場に様変わりするのも、20世紀を象徴する風景だったといえます。

 1930年代には、アメリカ各地で、ダストボウルと呼ばれる砂嵐が猛威を振るい、上空が砂で覆われ、昼でも夜のように暗くなりました。その原因は、土壌の浸食です。大量の人工肥料を施し、重いトラクターによる土壌圧縮で土壌の構造が破壊されたため、土壌が砂のようになり、風にあおられて宙に舞ったのです。トラクターは、家畜と異なり、糞尿(ふんにょう)を生み出せません。糞尿は、堆肥化すれば、土壌を肥(こ)やしてくれるのですが、トラクターにはそのような機能はもちろんありません。トラクターは、その意味で、化学肥料の世界的な普及をもたらす一翼を担ったのでした。なお、トラクターによる土壌流出の現象は、いまアフリカの開発地帯でも問題になっています。

 また、トラクターと化学肥料の普及によって農作物の大量生産が可能になったため、過剰生産状態になり、価格が大幅に下落しました。それが一つの原因となって一九二九年に世界恐慌が起こった事実もトラクターの世界史の暗部に位置付けられるでしょう。

 つぎに、ロシアに目を転じましょう。20世紀を代表する歴史的事象として、社会主義革命を無視するわけにはいきません。ロシア革命を率いたレーニンも、中華人民共和国を建国した毛沢東も、日本の社会主義者たちもトラクターという機械に大きな希望をかけていました。

 とくに、昨年100周年を迎えたロシア革命以後、トラクターの重要性は日に日に高まって行きました。たとえば、1919年の党大会の演説で、レーニンはこう述べています。
「もしも明日、農村に十万台の第一級のトラクターを供給し、トラクターに燃料と運転手を与えることができるならば、中規模農家は「共産主義に賛成する」と言うだろう」。

s180710_06.jpg

s180710_07.jpg

レーニンのあとにロシアを率いたスターリンも、トラクターを軸にした農業技術体系を前提にして、小さな土地を集めて集団化を進めていきます。初期はアメリカからフォードソンなどを輸入しました。ただ、トラクター購入のためのお金を払わない農民たちが迫害され、トラクターが農民支配の道具に用いられました。農村では、トラクターは「悪魔の発明」であり、やがて世界を滅ぼす「反キリスト」として恐れていました。

 そして、重要なのは、ソ連にしても、中国にしても、女性トラクター運転手の存在をアピールしたことです。「資本主義国は男性中心主義的だ」と社会主義国を批判していましたから、女性のトラクター運転手は社会主義の宣伝にうってつけでした。映画に登場したり、詩の題材になったりしましたが、実態は、男性運転手にいじめられたり、健康を害したり、とても厳しいものだったと言われています。

 最後に、日本の歴史を簡単にふりかえっておきましょう。

s180710_08.jpg

二〇〇〇年の統計によると、日本は単位面積当たりの乗用型トラクター利用台数が世界一で、海外にも輸出を続けています。
狭い土地にもかかわらず、なぜこれだけトラクターが普及したのでしょうか。

それは戦前から歩行型トラクターが開発され、その延長上に小型の乗用型トラクターが普及したからでした。

s180710_09.jpg

写真は、岡山の製作所で作られた代表的な歩行型トラクター「ますらお号」です。歩行型トラクターは、戦前から岡山県の干拓地を中心に普及します。低地にある田んぼに水をくみ上げるためのポンプを地元の鍛冶屋が製作・修理をしており、その技術がトラクター開発に結びつきました。また、岡山には「タタラ」と呼ばれる和鉄生産の伝統があり、その職人たちも歩行型トラクターの開発に貢献しました。1970年代から80年代にかけて、農業資金制度が整い始め、各メーカーの販売網も日本中に広がったため、小型の乗用型トラクターが普及していきます。しかし、農業機械を購入したものの、膨大な借金の返済から逃れられなくなる「機械化貧乏」と呼ばれた問題も生まれました。
 
 最後に、今日のお話をまとめたいと思います。
 第一に、トラクターは、「アメリカの世紀」と「社会主義革命」双方のシンボルであり、戦車開発のモデルになり、爆発的な農業生産力とそれによる人口増加をもたらし、20世紀の歴史を大きく変化させました。
 第二に、農民たちを重労働から解放し、農民たちを都市へ移住させ、都市人口と工業労働者を増やしました。
 そして第三に、現在にいたるまで土壌浸食の原因でもあり、家畜の糞尿を通じた農場の物質循環を断ち切った原因でもあります。トラクターは、家畜のようにエサを食べませんし疲れませんが、石油を大量に消費します。農業を石油依存型産業に変えた最大の貢献者は、やはりトラクターでした。トラクターの高すぎるコストも依然として解決されていません。
 発明から120年過ぎ、130周年が迫ろうとしています。トラクターの歴史は、単に過去の政治、経済、社会の変化をわたしたちに教えてくれるだけではありません。将来、人間と機械の関係がどうあるべきかを考えるヒントもまた、わたしたちに与えてくれます。それは、おそらく、機械の力で自然を収奪したり支配したりするといった強圧的なあり方ではありません。
その土地の自然や人間の個性にフィットするような人間と機械の柔らかい「付き合い方」こそが今後求められるように思えます。
トラクターの歴史を学ぶことで、そういった柔軟な人間と機械の関係が議論されていくことを、わたしは願ってやみません。

キーワード

関連記事