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「『持久戦』に入った日銀緩和」(視点・論点)

富士通総研 エグゼクティブ・フェロー 早川 英男

4月末に行われた金融政策決定会合の後、日銀が公表した「経済・物価情勢の展望」、通称「展望レポート」では、これまで「19年度頃」とされてきた2%の物価目標を達成する時期の見通しが削除され、それが多くの市場関係者の注目を集めました。この削除について私は、大胆な金融緩和を行っても2%目標の実現が容易でないことを日銀が改めて認めたうえで、時間を掛けて粘り強く目標達成を目指す、いわば「持久戦」の姿勢を明確にしたものと受け止めています。と言っても、これはかなりテクニカルな話で、一般の方に直ちに理解して頂くのは難しいと思います。そこで、これまでの経緯を振り返りながら、少し丁寧にご説明しましょう。

日銀が黒田総裁の下で大胆な金融緩和、いわゆる「異次元緩和」をスタートさせたのは2013年の4月、今から5年以上前になります。これは、日銀が金融市場に流すお金であるマネタリーベースの量を大幅に増やす、具体的には2年間で2倍に増やすことで2年程度の間に物価上昇率の目標2%を達成するというものでした。敢えて目標達成時期を明記したのは、「日銀が責任を持って実現すると強くコミットする」ためとされました。以前から申し上げている通り、経済理論的にはゼロ金利の下でマネタリーベースを増やしても物価が上がるという保証はありません。それでも、予想をはるかに上回る大胆な金融緩和が市場に衝撃を与え、大幅な円安が進みました。その結果、「異次元緩和」スタートから1年後の消費者物価上昇率は+1.5%と、2%目標の近くまで行ったのです。

しかし、物価上昇率はそれがピークでした。もともと円安に伴う物価上昇は一過性ですし、賃金がなかなか上がらなかったのが決定的でした。そこに原油価格の下落が加わって、インフレ率はむしろ低下してしまったのです。日銀は14年10月に量的緩和の規模拡大を行いましたが、それでもインフレ率は高まりませんでした。マネタリーベースを増やすには日銀が市場から国債を買い上げるのですが、長期間にわたってばく大な金額の国債を買い続けることはできません。その意味で量的緩和は「短期決戦」型だったのです。この追加緩和以降、「短期決戦」の限界が見えて来る中で、日銀は徐々に量を重視する政策から金利を重視する政策への転換を狙うようになりました。

その第一弾がおととし、16年1月に決定されたマイナス金利政策の導入でしたが、その後の金融市場の動揺などもあり、この政策はうまく行きませんでした。次いで日銀は、16年9月にこれまでの金融緩和の「総括的検証」を行ったうえで、金融政策の手段をマネタリーベースの量から金利へと戻すことにしました。
ただし、通常の金融政策は短期金利だけを政策手段とするのですが、日銀が新しく導入した枠組みでは長期金利を含めた利回り曲線、英語でイールドカーブの全体に影響を及ぼそうとするため、イールドカーブ・コントロールと名付けられました。具体的には-0.1%のオーバーナイト金利のほかに、10年国債の金利についてもおおむねゼロと、2つの金利目標が設けられている点が特徴です。それからもう1年半以上になりますが、その間、日銀は金融政策を一切変更していませんから、この段階で「持久戦」体制に入ったのだと私は理解しています。

また、日銀は長期国債保有額を年間80兆円増やすと標ぼうしながら、現実の購入ペースを50兆円以下まで落としています。日銀が長期国債発行額の半分近くまで買い占めてしまった以上、今後も長期間金融緩和を続けるには国債購入ペースを落とすしかないからです。その一方で、これまでは2%目標の達成時期を6回も先送りしながら、毎回の「展望レポート」で見通し時期を明記し、早期達成への意欲を示していました。今回の見通し時期削除には、「更なる先送りは追加緩和につながる」といった一部の誤解を解く意図が込められており、冒頭に申し上げたように「持久戦の姿勢を明確にするもの」だったのです。

こうした「持久戦」体制への転換は、物価が簡単には上がらない事実を正面から受け止めたものであり、現実を無視した楽観論を唱え続けたり、強引な追加緩和を試みたりするより、はるかにまともな対応だと私は考えています。実際、イールドカーブ・コントロールの導入以降、金融政策を巡る思惑で市場が動揺することはほとんどなくなりました。問題は「短期決戦」の失敗を総括することなく、なし崩し的に「持久戦」に移行してしまった点にあります。その結果、極端な金融緩和が長期化することの副作用や、長期戦の先に待つ課題などがきちんと整理されていないのです。今回の「展望レポート」では、物価上昇率の見通しが19年度、20年度ともに+1.8%でしたから、2%達成はまだしばらく先になります。つまり、超金融緩和がスタートから7年も8年も続く可能性を踏まえて、「持久戦」に入った日銀緩和の課題を明らかにする「総括的検証2.0」が必要だと思います。

金融緩和長期化の副作用としては、まず金融仲介機能への悪影響が挙げられます。金融機関の利ざやが大幅に圧縮され、地方銀行などが収益悪化に苦しんでいることは皆さんもご存知でしょう。もちろん、金融機関の低収益性は金融緩和だけのせいではありませんし、当初のもくろみ通り2%目標が2年程度で達成されたのであれば、金融機関には少し我慢してもらえば済んだ話です。しかし、長期金利までゼロ近傍となり、それが長期間続くとなれば、金融機関の収益悪化がさらに進んで金融システムの安定を脅かす結果ともなりかねません。日銀としては、金融環境を従来以上にきめ細かく点検するとともに、例えば長期金利目標の設定に当たっては、金融機関の収益環境にも配意する必要が出て来るのではないでしょうか。

もう一つの副作用としては、資源配分への悪影響が考えられます。中でも、日銀が上場投資信託=ETFを年間6兆円もの規模で買い続けていることが株価形成にゆがみをもたらしているとの批判をよく耳にします。日銀が実質的に企業の大株主となってしまえば、コーポレート・ガバナンス上も問題なしとしません。また、ETF買入れは当初リスク・プレミアムの拡大を防ぐためとされていましたが、株価2万円超が続く今でも購入が必要なのかという疑問もあります。ETFには償還がないことをも踏まえると、その購入圧縮は当然検討の対象とすべきでしょう。

さらに、金融緩和の長期化が財政規律を緩め、財政健全化の遅れに繋がっている面も否定できません。日銀の巨額の国債購入を前提とすれば、大きな財政赤字を抱えたままでも国債は容易に消化されますし、利払い負担もほとんど増えないからです。実際、安倍政権は予定されていた消費税の引上げを2度も先送りしたばかりでなく、国際公約だった「20年度の基礎的財政収支=プライマリーバランスの黒字化」まで守れなくなってしまいました。今年初めの内閣府の試算では、プライマリーバランスの黒字化は27年度まで遅れるという結果でした。一方、日銀から見れば物価目標達成後の金融緩和の「出口」の成否は、その時点で金融市場が財政の維持可能性を信じているかどうかに大きく左右されます。来月には新しい財政健全化計画が策定される見込みですが、日銀としても早期の財政健全化を強く訴えて行くべきだと思います。

最後に、金融緩和の長期化は金融政策そのものにも新たな課題を投げ掛けます。それは、金融緩和の「出口」を迎える前に次の景気後退が来てしまう可能性です。先の物価見通しを前提とすると2%目標達成は20年度以降ですから、「出口」はその後ということになります。他方、現在の景気拡大期間はすでに5年半近くになっており、来年初には戦後最長の景気になります。「出口」がそれからさらに1~2年以上後だとすると、世界経済のリスクなどを踏まえれば、その前に景気後退の可能性は十分あると考える方が自然でしょう。

問題は、その時バランスシートを目いっぱい膨らませ、マイナス金利まで導入した日銀には政策対応余地がほとんど残っていないことです。もともと物価目標を2%にしたのは、平時のインフレ率が高まれば平時の金利水準も高まる。そうすると、景気が悪化した時には利下げの余地が大きくなるという意味で、金融政策の対応力を高める狙いがあったと考えると、これは大変な皮肉と言わざるを得ません。

財政健全化を早く進め、景気後退に備えて財政出動の余地を作っておいた方がいいのでしょうか。それとも、2%にこだわらずに早めに利上げを行って、景気後退には金融政策で対応すべきなのでしょうか。次の景気後退にどう対処すべきなのか、今のうちからオープンに議論しておくことが必要だと思います。


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