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「潜伏キリシタン関連遺産の歴史と文化」(視点・論点)

九州大学 名誉教授 服部 英雄

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、現在ユネスコに世界遺産登録申請をしています。5月のはじめに審査会より登録が妥当とする勧告が出されました。大きな前進です。
200年以上に及ぶ禁教期間があり、弾圧にあっても決して祈りを捨てなかったキリシタンの歴史は世界的に珍しく貴重で、それを示す資産群が残されていることに価値がある。そう国際機関が認定したのです。

世界遺産候補として暫定リストに登録したのが2007年で、それから10年を越える長い道のりでした。もともと遺産候補の名称は「教会群とキリスト教関連遺産」(Churches and Christian Sites)でした。しかし2016年にユネスコの諮問機関の判断により一旦申請を取り下げることになりました。
その後、禁教の時期に焦点を当て、改めて世界遺産登録を目指し今回の登録勧告となりました。この変更は資産の価値を高める上でとても有意義であったと思います。 私は2016年の取り下げ以前には学術会議の委員でしたが、委員長ではありませんでした。潜伏キリシタンの村と歴史に焦点を当てた段階で、専門領域が近いとして、委員長を引き受けることになりました。重い責任があったから、喜びもひとしおです。

 潜伏キリシタンは、英語でHidden Christiansと表記されます。彼ら彼女らは姿を見せません。隠れて信仰しているのです。 隠れているもの、隠しているものを見せる。それは見えやすいものを見せるのとは反対です。世界遺産は資産、つまり土地・不動産です。見えにくいものを資産で示すことも容易ではありません。

 まず遺産の全体像を見てみましょう。

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「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、長崎県と熊本県にまたがっていて、12資産で構成されています。
この中に平戸市にある中江の島があります。

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美しいけれど、変哲もないかのようにみえる岩礁です。そこに、どんな資産価値があるのか。それを伝えるにはそこで何が行われてきたのかを説明しなければなりません。
キリシタンたちが人目をしのびつつ、離れ小島にて聖なる水を採った場所、殉教者サンジュアンさまの聖なる島なのです。

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その歴史に意味があります。説明を受けて、見る人は信仰の島によせた、村人たちの強い思いに心を寄せることができます。 弾圧を潜って守られてきたものが持つ力を知ります。
そこにまちがいなく世界遺産としての価値があると国際機関が認めたのです。

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 平戸の春日集落には安満岳(やすまんだけ)の棚田があります。美しい水田が山麓、高い位置にまで続いていきますが、一見する限り、キリシタンの歴史は見えません。しかし棚田を一望にすることのできる小さな丘、手前の祠がある部分です。ここは、実はキリシタンの墓でありました。そのことが発掘調査によってわかったのです。

今回の資産には集落以外にも遺跡である原城跡が含まれています。天草島原の乱の最も重要な舞台です。発掘調査が行われておびただしい数の犠牲者の骨が見つかりました。分析によれば10代の若い男女も多く含まれていました。
かれらは鉄砲の鉛玉を溶かして作ったクルス、十字架を持っていました。

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3万人が籠城しています。ひとつの都市よりも多くの人が城に入りました。彼らは信仰を守って敗れて死に、幕府はその力を恐れてますます弾圧を強化します。ポルトガルは危険である。キリスト教にも島原の乱にも関係が深い。そう考えた幕府は、ポルトガルを完全に排除する、と決定、鎖国を徹底化し、完成させます。
 しかしながら実は厳しい弾圧ばかりではありませんでした。

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 天草﨑津には美しい海を前面にした教会があります。おだやかに見える景観にもやはり苦難の歴史がありました。教会の建つ場所は庄屋の屋敷であり、踏み絵が行われていました。
信者は鮑の貝がらにうつる像をマリアの像と信じ、踏み絵をしてしまった罪の許しを請います。

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文化2年(1805)に天草崩れという事件が起きて、ほとんどの村人が怪しげな呪文(オラショ) を唱えていることが代官所にわかってしまいます。
詳細な記録が残されておりまして、﨑津周辺は7割以上の村人が「アンメンゼウス」「アベマルヤ」、と怪しげな言葉を唱えていたのです。つまりアーメンイエス、そしてアベマリヤですから、キリシタンであることは、歴然としています。 ところが処刑されることはありませんでした。異宗、すなわち異なる宗派のもの、心得違いのもの、勘違いをしているもの、として穏便にすまされます。監視は必要で、踏み絵も一回だけではなく二回させる。けれども処分はしない。大目に見ました。禁教といっても弾圧だけではなかったのです。心まで支配することはできません。島原の乱をくりかえさせてはならない。直接有害な行動を起こさなければ、為政者も黙認しました。こうしたバランスの中で信仰が継続されます。このように穏便にすませたことも資産が語る歴史です。残酷な弾圧ばかりではなく、現実には調和もありました。

 こうした長い歴史があって、長崎市大浦天主堂における信徒発見、キリスト教への復帰が行われます。じっさいには全ての潜伏キリシタンが教会に復帰したわけではありません。教会もなく、宣教師もいない中で、たとえ作法は同じでも日本で土俗化したキリスト教は大きく変質していました。やってきた神父によって、あなた方の教えは正しくはない、誤っていると指摘されてしまい、それまでの教え、先祖が弾圧の中で守り抜いた教えを否定された人たちの中には、教会に戻らなかった人たちもいました。天草﨑津集落の隣に今富集落があります。今富集落も﨑津集落の周辺保護区域・バッファゾーンとして世界遺産に含まれています。今富集落にも一旦は教会が建てられましたが、けっきょくは信者にはならず、自分達だけでオラショを唱え続けました。

 潜伏キリシタンという言葉はなじみが薄いかもしれませんが、学術用語でして、江戸時代に禁教下に信仰を継続した人をすべて指します。みなさんになじみのあることばはカクレキリシタンだと思いますが、その言葉は学術用語としては、いまも教会に復帰せずにじぶんたちの教えを継続している人たちを指します。秘密宗教であるがゆえに強く長く信仰されてきましたが、いまでは指導者の高齢化、過疎による人口減で、今後もながく継続されるという見通しはありません。
 潜伏キリシタン関連遺産はこのような複雑な歴史をもちます。景観に潜む歴史を読み取ることが必要です。資産を訪問される方は、まっすぐに教会を目指すのではない。その村にて、隠れた信仰を伝えてきた人々の熱い歴史を、見ながら考えながら歩くのです。これまでの世界遺産とは明らかに異なるジャンル、新しいタイプの世界遺産であり、それだけに魅力は十分です。
 多くの世界遺産のなかでも特色豊かなすぐれた世界遺産になると確信します。

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