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「イラン核合意 アメリカ離脱の波紋」(視点・論点)

慶応義塾大学 教授 田中 浩一郎

米国のトランプ大統領は、5月8日、「米国と同盟国の安全を守る」ため、と称して、イラン核合意から離脱しました。併せて、イランに対して米国の経済制裁を復活させ、今後も史上最強となる制裁を科していく、と嚇(おど)しました。
米国が一方的に核合意から離脱したことに対して、合意を守ってきたイランが強く反発しています。さらに、欧州諸国からも、批判の声が上がっています。

米国世論も、合意維持への支持が優勢です。中東における米国の同盟国であるイスラエルとサウジアラビア以外には、離脱を支持する国がほぼないことからも、トランプ政権の孤立が見て取れます。
本日は、米国が離脱に至った経緯を振り返りながら、合意離脱が地域と国際情勢に突きつける、重大な課題について考えてみます。

イラン核合意は、核技術の軍事転用が疑われたイランと、米欧などの関係国との10年以上にわたる外交交渉を経て、2015年7月に成立しました。国連安保理決議によって裏書きを得た合意の内容は、このようなものでした。

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まず、イランは、ウラン濃縮などの核活動を一定期間にわたり、自主的に縮小することを約束しました。また、疑惑の焦点となっていた、過去の開発活動に関する情報を開示し、現在と将来の活動に対して最大限の透明性の向上をもたらす、モニタリングなどを受け入れました。核不拡散条約NPTに基づく保障措置よりも、広範な査察が可能となる追加議定書についても、改めて実施しています。これらの条件が揃うことで、イランによる核兵器開発の余地が、実質的に閉ざされたのです。
イランが約束を果たしていることを、国際原子力機関IAEAが確認したことで、イランに経済制裁の解除や緩和、そして原子力分野での協力が見返りとして与えられました。経済制裁のうち、国連の安保理決議に基づくものは撤廃されました。そして、米欧や日本などは、各国がそれぞれの制裁を解除するか、あるいは一時的に停止しました。当然ですが、米国も合意に則り、当時、世界でもっとも厳しかった、対イラン制裁を部分的に緩めたのです。
その後、現在に至るまで、イランが合意事項を守っていることを、IAEAが確認しています。
合意ができる前は、懸念されるイランの核保有を阻止するための、軍事介入の必要性が取り沙汰されていました。それが辛抱強い外交努力によって、軍事衝突に至らずに解決が図られたことが評価され、イラン核合意は、ノーベル平和賞の候補に取り上げられたほどです。
実は、トランプ氏は、大統領選挙中からイラン核合意を一貫して批判してきました。大統領に就任した初日に、合意を破り捨てる、と豪語したほどです。大統領に就任してからも、ことある毎に核合意を攻撃し、その修正や再交渉が成されないのであれば、離脱することを公言してきたのです。そして、この1年数カ月間で、段階的に、その準備を進めてきました。
 かたくななトランプ大統領を前にして、欧州諸国は、米国が破棄や離脱という、極端な行動に出ることが、国際的な威信の低下を招くことはもちろんのこと、地域に改めて核拡散の懸念が広がることを危惧しました。そこでフランスのマクロン大統領などは、善後策を施すべく、米国とイランの双方に働きかけましたが、核合意の一方的な修正にも、イランとの再交渉にも失敗しました。ここに至って、トランプ大統領は、核合意から離脱したのです。

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トランプ大統領が挙げた離脱の理由は、核合意に対する批判そのものでした。まず、イランが核合意に違反し、現在も核兵器開発を行っている。現行の合意は、欠陥だらけであり、イランの軍事施設に査察を行うことができない。一定期間が過ぎると、イランの核兵器開発を防ぐことができない。核弾頭が搭載可能な弾道ミサイルの開発を止められない。地域における、イランの影響力の拡大や、テロ組織に対する支援を止められない。
こうした状況にもかかわらず、イランに1000億ドルもの資金を与えた合意は、国辱ものであり、芯から腐っているということです。
 トランプ大統領の批判の多くは、意図的な曲解やフェイク・ニュースにまみれており、米国の情報コミュニティの評価とも相容れない内容です。
また、交渉の対象となっていなかった課題を、核合意の欠陥として取り上げ、さらには、離脱の理由とすることは、まさしく論点のすり替えです。
しかし、トランプ大統領が、気候変動に関するパリ協定、TPP環太平洋パートナーシップ協定などからの一方的な離脱や再交渉を要求してきたことからすれば、これは驚くに値しません。また、エルサレムをイスラエルの首都と認めることで、国際法違反を重ねるイスラエルに寄り添い、さらにはエルサレムに米国大使館を移転させたトランプ大統領にとって、安保理決議の下で米国が、核合意を遵守する義務を負っていることへの認識は希薄であったようです。
米国が核合意からの離脱を行えば、それが「歴史的な過ち」になると警告を発してきた
イランのロウハニ大統領は、当座のところ、残された締結国との間で、核合意を維持するべく協議を重ねています。

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しかし、復活した米国の制裁によって、欧州諸国や日本などが、イランとの貿易・投資関係を維持していくことは、非常に難しい状況です。制裁の影響は、数カ月後には実体となって表れ、イラン経済をむしばむでしょう。それが危惧されるからこそ、イランの最高指導者ハメネイ師は、米国はもちろんのこと、欧州に対して多くを期待せず、自助努力で難局を乗り切ろうとしています。

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こうなりますと、イランが核合意に留まるメリットが見出せなくなり、核活動の縮小を続けることの意義を、国内で問われるのも時間の問題です。最近では、NPTに留まることの是非について、責任ある立場の人から問題提起されるようになりました。これはまったく新しい動きであり、大いに懸念を覚えるところです。
イラン側で不満が募ることが当然だとしても、イラン自身の核合意からの離脱やその検討は、米国やイスラエルをいっそう刺激し、彼らに強硬策の採用、すなわち、対イラン軍事行動に乗り出す格好の口実を与えかねません。かつての北朝鮮のように、NPT脱退ともなれば、さらに緊張が高まることでしょう。イランをライバル視するサウジアラビアは、イランが核兵器を持つようになれば、サウジアラビアも核保有すると宣言しています。
このように、米国による核合意離脱は、いったん蓋をしたはずの中東地域における核拡散の懸念を再び燃え上らせ、さらには、軍事衝突の危険性も高めます。政権交代を境にして国際的な合意を反故にするようでは、米国に対する信頼がさらに揺らぐことは明白です。そして、国際法や国連安保理決議を軽視するトランプ政権の姿勢は、米国が鋭く批判する対象である、修正主義者の姿そのものであり、これでは中国やロシアの問題行動を非難することも覚束なくなります。
米国の離脱が投じる否定的な影響は数多くあり、これで地域の安定が担保されるとは思えません。ですが、トランプ大統領は、北朝鮮が求めてきた直接交渉のように、強硬策が実を結ぶことを確信しているようです。強い圧力をかけた結果、それまで頑なな態度を示してきた北朝鮮の指導者が、一転して、米国に首脳会談を呼びかけ、朝鮮半島の核廃絶を議題とすることに同意した前例が、イランに適用できると考えたのでしょうか。
 しかし、核保有を宣言し、大陸間弾道ミサイルで米国を脅してきた北朝鮮とイランとの間には大きな差があります。イランの核活動が世界でもっとも高い透明性を担保されている現状を、敢えて変更したいトランプ大統領。トランプ政権は、イランでのレジーム・チェンジ(体制転換)を叫ぶ人材に不足がなく、反体制武装勢力が主催する会議の常連もいます。
いまの米国の姿が、15年前のイラク戦争に至った米国と重なるのは、錯覚なのでしょうか。日本をはじめとする同盟国は、一丸となってその再現を防がなければいけません。

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