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「シリア『化学兵器事件』と米英仏の攻撃」(視点・論点)

東京外国語大学 教授 黒木 英充

今月7日、シリアのダマスカス郊外の町ドゥーマで、化学兵器の使用が疑われる事件が起きました。これをアサド政権の仕業と断定したアメリカ、イギリス、フランスは、1週間後の14日、シリアに対するミサイル攻撃に踏み切りました。今日はこの問題についてお話ししたいと思います。

まず、この事件が起こった場所とタイミングについて振り返っておきます。

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 今年の1月、アサド政権は東グータ地区の最終的な制圧に乗り出しました。ここには、ほぼ6年間にわたって様々な反体制派が立て籠もり、ダマスカス市内に向けてロケット砲などによる無差別攻撃を散発的ながら続けてきました。隣に同じ縮尺の東京の地図がありますが、首都中心部に非常に近いことがわかります。この地域の制圧をこれまで政権側ができなかったのは、シリア全国の内戦現場に対応するため手が回らなかったことに加えて、東グータの民兵も大規模な地下トンネルを掘るなど様々な戦術を駆使し、人口密集地の住民の逃亡を禁じて「人間の盾」にしてきたこと、にもよります。

アサド政権軍は2ヶ月余りかけて、市街地への爆撃により多数の住民の死者を出しながら、東グータの大部分を制圧しました。最後まで残ったのがドゥーマ地区でした。ここには過激派組織「イスラム軍」がサウジアラビアの支援を受けて立てこもっていましたが、4月に入るとついにロシアを通じて政権側と交渉し、シリア北部の反体制派支配下のイドリブ地方への安全な移動を条件に、ドゥーマからの撤退に合意しました。

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ダマスカス市内に住む人々からすると、いつどこに飛んでくるかわからないロケット砲の攻撃が、ようやく収まる日が近づきました。
そんななか、4月3日にトランプ大統領は、IS掃討作戦はほぼ終了したとして、シリアから米軍をすみやかに引き揚げると発表しました。突然で事前の相談もなかったので、国防省や国務省の高官たちが慌てて大統領を説得しました。しかし、アメリカの著名な大型シンクタンク・ランド研究所の外交・安全保障の専門家たちからも、アサド政権を認めて国の再建に向かわせるために、米軍だけでなく外国の民兵たちも段階的に撤退させるべきだ、との提言もなされる時期だったのです。
 この撤退発言の翌日、4月4日にはトルコの首都アンカラで、ロシア、トルコ、イランの首脳会談が行われ、プーチン大統領のリーダーシップのもとでシリアの今後について協力しあうことが確認されました。

 アサド大統領からすれば、首都近郊の厄介な民兵集団をようやく追い出し、全国の主要な都市部を完全に押さえて、あとは北部の反体制派の巣窟となっているイドリブ地方と、トルコ軍が入り込んだアフリン地方とその周辺、そしてユーフラテス川の東のクルド人支配地域をどう回復するかに専念すればよい状況となったのです。

 そこに突然、4月7日、化学兵器使用の疑われる映像が反体制派メディアから流れました。シリアへの関心を失ったかのように見えたトランプ大統領は、アサド大統領のことを「けだもの」と呼んで1年前の化学兵器疑惑事件の時と同様の敵がい心をむき出しにしました。サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子は対イラン強硬派として知られますが、直後にフランスでマクロン大統領と会談する日程になっており、このシリア情勢について意見が交わされたことは確実です。12日にマクロン大統領は、アサド政権の化学兵器使用の証拠を持っている、と発言しました。
 一方、OPCW(国際化学兵器禁止機関)は、すぐにこの事件に強い関心を持ち、現地調査する方針を固め、シリアとロシアもOPCWに調査を依頼し、両方の意志が一致して直ちに準備が開始されます。現地調査は14日に実施される予定でした。
 この間、国連安保理ではアメリカとロシアとの間で現地調査団に与える任務をめぐって決議の潰しあいが演じられます。そして11日にトランプ大統領がシリアをミサイル攻撃する、との脅しをツイッターで発信しました。しかし、この攻撃予告はまたも国防省や国務省の高官との事前相談なしに行われたことが知られています。
 そして14日の未明に米英仏3か国の軍の共同作戦という形でシリアにミサイルが多数撃ち込まれました。シリア軍の戦力や人々の生命や生活を大規模に破壊することがないよう、またロシア軍の戦力に影響が出ないよう、配慮がなされた攻撃ではありました。しかし、この攻撃の意味するものは重大です。

 まず問題点を4点指摘したいと思います。
第1に、化学兵器をアサド政権が使ったことを根拠に、懲罰としてこの戦争行為がなされましたが、これまで米英仏3か国から、その証拠が示されていません。マクロン大統領は証拠があるとしながらもそれを明らかにしていません。事後になってイギリスのメイ首相は、メディアに流れた映像だけが根拠だったと認めています。これでは極めて薄弱です。明らかな証拠をまず国際社会に示して戦闘行為を正当化する手続きがすっ飛ばされました。
第2に、ミサイル攻撃が、まさにOPCWが現地調査を行なおうとしていた、その日の未明になされたことです。これはどう説明すればよいのでしょうか。なぜOPCWの調査を待てなかったのか。
第3に、軍事的・政治的状況からして、アサド政権がこのタイミングでドゥーマにて化学兵器を使用する理由は見出されません。もう決着はついていたのであり、あとは明け渡しを待つばかりでした。これについては、イギリスのBBC放送のラジオとテレビで、それぞれイギリスの元シリア大使と、海軍の元長官も同じ指摘をしており、反体制派が仕組んだ可能性を述べています。
第4に、昨年4月にシリアの反体制派支配地域のハーン・シャイフーンにて発生した、やはり化学兵器使用が疑われた事件、そして2013年のダマスカス郊外の東グータを含めた数カ所で発生した化学兵器事件をいま一度振り返って検証する必要があります。
詳細をお話しする時間はありませんが、今回の事件と共通する問題点は多く見られます。
 最後に、今回のシリア攻撃が今後の国際社会にもたらす意味を簡単に述べたいと思います。
 化学兵器の使用が疑われながら、それが調査されぬままに、アメリカ大統領のツイッター発言をなぞるような軍事行動が、国連安保理も、各国の議会も無視する形でなされました。国家による恣意的な軍事力行使に歯止めをかけるという、第二次世界大戦後の国際社会が曲がりなりにも作り上げてきた規範が、その国際社会をリードしてきた主要国によって無残にも破られたことになります。このたびカナダで開催されたG7外相会議でもシリア攻撃は支持されました。ロシアに対抗するばかりのために、あまりに大事なものを失っていないでしょうか。
戦争で最初に犠牲になるのは真実だ、という言葉があります。また、戦争を遂行するためには「法の支配」は無視しても良いとの考え方は、過去にいくらでも見出すことができます。
7年が経過したシリア内戦は、まさに今、こうした拡がりを見せているのであり、この国際社会の総崩れ現象が、今後さらに悪化しないという保証はどこにもありません。

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