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「札幌共同住宅火災 『無届け施設』が問うもの」(視点・論点)

生活困窮者自立支援全国ネットワーク 代表理事 奥田 知志

今年1月、札幌市にある「そしあるハイム」という「民間施設」で火災がありました。築50年を経た木造アパートは、一気に燃え広がり、11人が亡くなりました。亡くなった方々を思うと胸が痛みます。
現在、この建物の安全性や運営に関する検証がなされていると思いますが、同時に重要なのは、「そしあるハイム」がどのような役割を担ってきたのかということについて検証することだと、私は考えます。

このような火災は、実は繰り返し発生しています。2009年3月群馬県の高齢者施設の火災で10人が亡くなり、最近は、昨年も5月には北九州市のアパートで6人が、8月には秋田県横手市のアパートで5人が亡くなっています。
これらの火事に共通しているのは、犠牲となった人々が元ホームレスであったり、自力でアパート入居が困難な方、専門施設に入るほどではないが一人暮らしが難しい人々だった、ということです。
私は、30年近く困窮者の支援をしてきました。彼らが抱える困難の第一は、経済的貧困ということです。私たちは、それを「ハウスレス」と呼びました。食事の提供、入居、就職などの支援をします。関わりは自立後も続きます。アパート入居で生活は安定し、野宿時代とは隔世の観があります。
しかし、部屋の中でポツンと独り過ごされている姿は、野宿時代、路上に独り座っておられた姿と何も変わっていません。路上では「畳の上で死にたい」と仰っていた人が、アパート入居後「俺の最期は誰が看取ってくれるのか」と話されます。そこにある、もう一つの問題は「ホームがない」、つまり「関係」や「絆」を失っているということでした。
私たちは、「ハウス」と「ホーム」は違うと考え、「ハウスレス=経済的貧困」と「ホームレス=社会的孤立」を同時に解決できる仕組みが必要だと考えました。
これまでに私のNPOが関わった自立者は三千人を超え、生活の継続率は九割を超えています。出会いから看取りまでの伴走型の支援を実施しています。
「そしあるハイム」の入居者の大半が単身の困窮者でした。これらの人々は、「制度の狭間」におかれた、いわば「行き場のない人々」でした。

 では、なぜ、彼らは制度につながらなかったのでしょうか。
一つ目の理由は、多くの制度が「家族」や「縁者」を前提にしているという事です。困窮者の多くが家族と縁が切れています。こうなると、介護など、制度を利用する資格があったとしても、お世話をする人がおらず、制度と繋がらないという結果になります。
二つ目の理由は、制度の対象には入らないが、見守りや何等かの支援を必要とする人が存在するということです。その部分は、従来、家族が引き受けてきました。しかし、家族がいない、無縁状態の人が増える中、家族以外の受け皿、すなわち社会が支える仕組みが必要になってきています。「そしあるハイム」のような「民間施設」は、それらの人々を引き受けてきました。
今、「民間施設」と申しましたが、この「施設」という呼称には実は問題があります。当初、「自立支援施設が火災」という報道がありましたが、一般に「施設」は、法律に基づき、定義や基準に従って設置されます。「自立支援施設」に該当する法律や制度は、この国に存在しません。だから「自立支援施設」は通称に過ぎません。
また、高齢者が多かったので「有料老人ホームではないか」との意見も聴かれました。しかし、被害者の中には40代の方もおられ、就労支援を必要とする人もこの「施設」を利用していましたので、単純に「高齢者施設」とも言えません。
このような事実を考えると、「無届け施設」という指摘もまた、正確だとは言えません。「無届け」という言い方には、「本来届けを出さねばならなかった、にも拘わらず届けを出していない」という批判が含まれていますが、このような「幅広のニーズ」に応える制度がそもそも存在しないのですから、「届け出をしなかった」のではなく、「届ける先が無かった」のが現実です。

では、今回の火災を受けて私たちは、どうすべきでしょうか。三つの課題を考えたいと思います。
第一に「そしあるハイム」のような「間口の広い民間施設」に対する公的制度を整えることです。
今、国がなすべきことは「規制」でもなく、また、無理やり既存の制度に押し込むことでもありません。そんなことをすると多様なニーズに対応できなくなります。
「無届け施設」は全国に千カ所以上存在し、利用者は1万6千人以上と言われています。ニーズがあるにも関わらず受け皿が無く、被害が相次ぐ状態を放置すれば、行政や国会の不作為と言われても仕方がありません。
ただ新たな制度を考える上で、気を付けなければならないことは、「利用者」を限定しないということです。既存の制度や施設は、対象者が限定され、縦割り状態になっています。しかし、困窮者支援の現場は、そのような「縦割り」は通用しません。複合的な課題を抱え、かつ家族との縁の切れた困窮孤立状態にある人のために、「間口の広い誰でも入れる施設」が必要です。運営に対する公的助成をするためには、「対象者を誰にするのか」が問題になります。しかし一方で「誰でも引き受けるという総合力や自由さ」を担保できるかが課題となります。
「無届け施設」の中には「貧困ビジネス」が含まれるのも事実ですので、一定の基準を設ける必要があります。ただ、繰り返しますが、欠かせない「条件」として、新たな縦割りが生まれないように「対象者を限定しない」ということが重要です。難しい課題ですが、考える必要があることは、これまでの火災が証明しています。
第二に既存の制度を横断的に利用できる仕組みにすることです。そもそも住宅施策は、国土交通省が担当し、生活や福祉は厚生労働省が担当してきました。昨年10月、国土交通省は「新しい住宅セーフティーネット法」を施行しました。厚生労働省は2015年より「生活困窮者自立支援法」を施行し、現在この法律の改正案が国会で審議されています。複合的な困窮状態にある人々を漏らすことなく、両省の施策が一体的に運用できることに期待したいと思います。
これまでの「施設」の多くが、住宅とサービスを一体的に運用してきました。一つの施設の中に、同じ課題、例えば介護ニーズのある人だけが暮らしています。それが日本の施設です。今後、人口減少社会になる中で、同じ利用資格の人だけの施設を個々別々に設置することはだんだん困難になります。色々な人が「ごちゃまぜ」に暮らし、個々人にサービスを外付けしていくような仕組みを考える必要があります。居住とサービスを分離して考えるということです。「民間施設」は、この形のものが多いと言えます。
第三に、わが国の住宅政策は、一部の公営住宅を除けば賃貸住宅市場が担ってきました。今後、住宅と福祉の一体的な仕組みを考える上で民間事業者との連携や新たな事業モデルの開発は欠かせません。これらの動きが促進されるために、国は何をすべきかも課題です。

最後に。被害に遭われた11人は帰ってきません。私は、彼らの死と向かい合い、いのちを引き継ぐ責任を感じています。
「そしあるハイム」のような「最後の砦」を担ってきた人々は、創意工夫しながら、手弁当覚悟で活動してきました。スプリンクラーがあった方が良いに決まっています。ですが、設置するには多額の費用が必要で、すでに「善意」の限界が見えています。
もう、これ以上、悲惨な事件を繰り返さないために、何とかしようと立ち上がる人々の情熱をくじかないため、抜本的な対応を考える必要があると、私は思います。

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