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「『和』から『容』へ」(視点・論点)

JT生命誌研究館 館長 中村 桂子

今、少し社会が騒がしいですけれど、今日は、ちょっと落ち着いて日常のことを考えてみたいと思っています。

私の専門は生命誌。今、生命科学がとても盛んで、色々研究が進んでいますけれども、生き物を機械のように見ているのではないか。医学なども機械を修繕するかのように行われているのが気になります。私は生き物を機械とは見ずに、生きているところを見たい。生まれて、育って、残念ながら死んでいく、そういう時間のこと、関係のことをよく考えてみたいと思って、生命誌の研究をしています。
社会も時間を切っているところが多いですね。
ところで生き物は、みんなDNA、この頃はゲノムという言葉をお聞きになったことがあると思うのですが、ゲノムDNAが入った細胞でできています。
そこはみんな共通です。38億年という遠い昔に海の中で生まれた細胞から全部の生き物が進化してきたからです。その中の1つが人間なのです。
つまり人間は生き物である、自然の一部である。ほんとうに当たり前のことですけれども、これを基本に生き方や暮らし方を考えていきたいと思っています。
ところで、生命ということを考えるわけですが、生命と言ってしまうと、何を考えていいかとても難しい。生命尊重という言葉がありますが、言葉で終わってしまって、何をしたらよいかわからない。
そこで生きているということを具体的に考えるために動詞で考えたらどうだろうと思いました。
例えば「続く」という動詞で考えます。続くといったら、生き物は続いていくものですね。1人の人間が生き続け、そして残念ながら亡くなりますけれども、子どもに続いていく。
そう考えますと、次の世代、次の次の世代、その人達は、どういう風に生きていくんだろうと考えて、自分のことだけでなく先のことが考えられます。
そして100年先、1000年先。先程38億年前からと申しましたけれども、その長い長い時間の中でいろいろなことを考えられるようになります。
動詞としては、続くだけではありません。私がこれまで毎年考えてきた動詞をちょっと挙げてみますと、「関わる」。そうですね、いろいろな関わりがある。
それから「変わる」、私は私でずーっと私ですけれども、でも毎日毎日変わっていく。
それから「巡る」、「循環する」ですね。それから「揺らぐ」というのもありました。
カチっとしていないで、ああだなこうだなと揺らぐ。自分のことを考えても生き物って揺らぐなと思います。それから「遊ぶ」という動詞で考えたこともあります。
そのようにして考え続けている中で、去年、どうしても「和」という文字が頭から離れなかったのです。「和」というのは動詞で言いますと、なごむ、やわらぐ、のどまる、あえる、などがあるのです。
「のどまる」は、はじめ考えた時には知らなかったのですけれども、子ども番組で、のどまるがあるよと教えてもらいました。
意味は、のどかになる、静まる、落ち着く。とってもいい言葉だなと思って、以来、のどまるも考えています。
ところで、この「和」という字のやわらぐ、のどまる、なごむ、に続いて、あえるがありますが、実は、このあえるにとても興味を持っています。
例えばアメリカがよくサラダボールだと言われますね。トマトがあって、キュウリがあって、レタスがあって、いろいろなものが混じっている。さまざまな人がいることの例えです。
確かにそうです。でもレタス、キュウリ、トマトがあるサラダは、私はトマトが嫌いだと思ったらトマトをつまみ出せます。
一方、和え物、白和えを考えます。ホウレン草、人参、キノコ、そういうものをすったゴマとお豆腐であえる。
そうしますと、それは、みんな一緒にいただくしかないですね。
でも、一緒にいただくのだけれども、ホウレン草はホウレン草、人参は人参、キノコはキノコ。ミックスジュースですと全部混ぜて同じ味になってしまいますけれども、和え物は1つ1つの味がありながら、でも一体になっている。
なんか独自性を持ちながら一緒になっている。
こういう生き方っていいんじゃないかなと思っています。
そこで、和え物をいただきながら考えますと、やはり「和」というのは平和です。
平和でありたいと思いながら去年1年、そのためには独自性を持ちながら一緒になって暮らす必要があると考えてきました。
そんな風にして1年が経ち、今年に入った時に、次は何しようと思った時、浮かんだのが「容」、容器の「容」、これは寛容です。寛容ということが思い浮かびました。
動詞で言いますと、いれる、容器ですからいれる、ゆるす、いろいろなものを入れて、みんなで赦し合って暮らす、寛容に暮らしたいというのが今年の私の願いです。
とても日常的な考え方で笑われそうですけれども、こうやって生きていくということを考えたいと思っています。
人間の歴史を見ますと、特に宗教とか政治思想とか、もう譲れないということがあって、何か赦すということが難しくなっているように思います。
赦すことができないために平和も手にできずにいる。
そんな状況が今あるのではないかと思っています。
人間は生き物である。ほんとうに当たり前のことですけれども、その視点で考えると、生き物の世界は、自分が生きていくためには、時には確かに戦わなければならないことがあります。けれども排除するということはあり得ないのですね。
みんなで一緒に生きていく、よく共生と言われますが、一緒に生きていこうと思わなくても一緒に生きていかなければ生きていけないという状況がある。
それが生きていくことの答えだということに生き物を見ていると気づきます。
数千万種類の生き物がみんなでそうやって生きていく、これが生きていくということなんだ。それを作っているのが生態系です。
それなくしては生きてはいけない。
それが生き物なのですが、そういうことに気づけるのは数千万種いる生き物の中で人間だけです。他の生き物は一生懸命生きているだけで、みんなが共に生きているということには気づけません。
ですから人間だけに与えられているこの能力を生かして、「和」、あえるということで象徴される「和」と、それから、いれる、ゆるすという「容」という言葉、「和」と「容」ということについて考えて、そして行動していくと、人間はもちろん、他の生き物達もみんな生き生き暮らせるはずだ。なごむ、やわらぐ、のどまる、あえる、いれる、ゆるす、なんか聞いてるだけで、ゆったりしてくるような言葉だと思うのです。
こういう動詞を思い浮かべて、平和で、お互い赦し合う年にしていきたいな、ほんとうに心からそう願っています。

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