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「残しておきたい日本の美」(視点・論点)

法政大学 総長 田中 優子

今年は、現在の暦の2月16日に新春を迎えました。「新春」という名前のとおり、ようやく春らしい気候になるところです。旧暦では1月から3月が春です。つまり、今年の私たちの暦で言えば、2月16日から5月14日までが「春」です。それを想像しながら、『枕草子』の次の言葉を聞いてみて下さい。

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春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

春は夜明けに限る。その時間がもっとも美しい、と言っているわけです。なぜなら、山際のあたりの空が少し明るくなると、紫がかった雲が細くたなびいて、実に美しいからだ、というわけです。この季節、機会があれば、晴れた夜明けに山のあたりを見てみたくなります。

清少納言の時代は和歌で美しいと感じたものを残しました。春の歌には春がすみと花、つまり桜が、頻繁に出てきます。それが定番の春の美しさで、ともすると、それだけが眼に入るようになります。しかし清少納言はかすみも花も選びませんでした。自分で美しいもの、面白いもの、寂しいものを選ぶことにしたのです。このような「発見」の連続が、残ってきた日本の美なのです。

「夏は、夜」と清少納言は断言します。夏は、私たちの新暦の5月中旬から8月中旬です。「月の頃は言うまでもないけれど、闇がまたいい」と。なぜなら蛍が飛ぶからなんですね。しかも「ひとつふたつなど、ほのかにうち光りて行く」のが「をかし」つまり、素敵だ、と言っています。和歌における夏の定番はほととぎすですが、ここでも清少納言は自分のまなざしを信じます。そしてそのまなざしには、「少しだけ」「ほのか」が素敵に見えたのです。
「秋は、夕ぐれ」と、断定します。秋の定番は月です。しかしここに月は登場しません。からすが寝床に急ぎ、雁(かり)も列を作って飛んでいくのを、清少納言は見ています。からすは「みつよつ、ふたつみつ」、雁は空の彼方に小さく小さく見える。それが「あはれ」つまり心を打ち、「素敵」なのです。ここでも、少ないこと、小さいことが、美しいのです。これら、後々までの日本文化の特徴になった「ささやか」が、発見されたのです。

 さて、春夏秋冬、何がもっとも美しいでしょう。面白いでしょう。残念なことに、日本はヨーロッパに合わせていちはやく新暦を導入したため、季節を感ずるのが難しくなりました。今年の正月はまだ旧暦の11月15日でしたから、「新春」にはほど遠かったわけです。当然ですが、ずいぶん寒かったですよね。「五月晴れ」という言葉は、今年は6月中旬から使える言葉です。つまり、梅雨のあいだの、いっときの晴れをさすのです。決して、5月のさわやかな天気を言うのではありません。刹那(せつな)の晴れが素敵なのです。旧暦通りに使って下されば、その感情が伝わります。

3月3日の季節感もずれてしまいました。清少納言は、「うらうらとのどかに照りたる。桃の花のいま咲きはじむる」と書いています。

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まさに桃の節句なのです。しかし我々の3月3日はまだ旧暦1月16日ですので、桃が咲くわけはありません。桃は現在の3月下旬か4月上旬ごろから咲き始めるのです。今年は4月18日が本来の3月3日ですので、桃は咲いているわけです。

 清少納言は、小さくてかわいらしいものに美を感じていました。赤ちゃん、雀の子供、小さな葉っぱ、そして「ひいなの調度」つまり、人形遊びの調度類です。

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3月3日はひな祭と言って、ひな壇を飾りますが、まだこの時代、ひな壇はありませんし、3月3日にひな遊びはしませんでした。3月3日は水で身を洗い清めるみそぎをした日です。水に関連して、貴族の家では曲水の宴がおこなわれました。

4月18日のころですから、もう時々、汗ばむ日もあります。水が恋しくなるころですね。
 ではひな人形はどこから来たのでしょう。ひな人形はもともと、紙で作られた「ひとがた」です。これは人間のメタファーで、人間のけがれや災いをそこに移し、水に流したのです。

後の文楽人形も、ひとがたとして、人間の物語を担い、神に捧げる神遊びの道具でした。人形は鑑賞の対象ではなく、人間の身代わりを務めてくれる、もっと重要な存在だったのです。それを思いながら、ひな人形と文楽とを、ともに残していきたいです。

私がもっとも残したいと思うのは、日本の細長い多様な地域における、四季の変化です。それこそが、和歌や俳諧となり、祭となり、布や紙を生み出し、文化の基礎になったのです。四季は様々な言葉や姿になって表現されました。
着物では「襲(かさね)の色目」という、布の重なりに現われました。やなぎ、かえで、もみじ、さくらなど、自然に由来する名称が着物の着方に使われたのです。後に刺繍(ししゅう)や友禅染めの技術が発達すると、色の重なりではなく、もっとはっきりと、文様や絵によって、着物に季節が表わされました。
和食も季節の色合いを出しますが、和菓子はそれにも増して、着物の世界と同様に、自然をそこに写しこむ世界を構築しました。

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「花びら餅」は、新年の「歯固め」の儀式で使う餅と鮎の形を模したもので、お正月にいただきます。

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初桜、花がすみ、木枯らし、菜の花、青柿、蛍狩り、そのほか様々な自然界の名前が和菓子にはつけられています。お茶も茶碗も名前をつけます。考えてみれば不思議ですが、そのように生活の中に自然を呼び込むのが、日本の特徴なのです。

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庭園も、四季をそこに呼び込むことができるように作られています。回遊式庭園は歩きながら月を眺め、池の水で涼をとり、紅葉を楽しみます。座敷から障子を通して虫の音を聞き、あるいは障子をあけて月や風や雪を楽しみました。江戸は全国から参勤交代の武士たちが押しかけていて、彼らの暮らす大名屋敷には必ず庭園がありました。庭園は、手入れが必要です。都市の自然は常に、庭師によって綿密に作られ、丁寧に手入れされてきたのです。

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都市の堀も、人工的に作られた川です。江戸には、他の国の都にあるような城壁はありません。城壁の代わりに内濠、外濠が作られ、水と樹木と庭園の都市になったのです。法政大学には今年、江戸東京研究センターができました。このセンターで、江戸と東京に見える日本の特徴や面白さや美しさを発見し、それを次の時代に受け渡していこうと思います。水辺も庭も、まだ取り戻せます。
 清少納言がおこなったように、残したい日本は、誰かが発見、あるいは再発見した日本です。『古事記』や『源氏物語』は、本居宣長によってその価値を「発見」され古典となりました。利休は、人々の日常生活のなかで使われていた陶器を発見して茶の湯に使い、新しい美意識を作りました。『平家物語』その他の物語類は能の演目に編集しなおされました。能の演目は歌舞伎や浮世絵の中で表現され、後世に受け継がれました。柳宗悦は全国を旅しながら、織物や道具類や和紙を発見して、それを民衆の伝統に位置づけました。つまり、具体的な「誰か」が愛することによって、残ったのです。
 着物を着る人がいなくなり、能の謡や仕舞い、茶の湯などの稽古をする人が少なくなりつつあります。誰かが使ったり、稽古をすることで、それは残ります。残るか残らないかは、私たちひとりひとりの行動にかかっています。

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