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「富と成功の福音の国 アメリカ」(視点・論点)

国際基督教大学 副学長 森本 あんり

ニューヨーク5番街は、「トランプタワー」があることで有名ですが、そこから南へ30分ほど歩いたところに、小さな教会があります。4百年近く前に創立された、アメリカで最も古い教会の一つです。その教会の正面玄関に、ある銅像が立っています。二〇世紀の半ば、五〇年以上にわたってこの教会の牧師をつとめた、ノーマン・ビンセント・ピールという人の像です。

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 ピールは、1952年に『積極的考え方の力』という本を出版して一躍有名になりました。この本は、3年にわたってベストセラーを続け、アメリカで5百万部、全世界で2千万部を売り上げたと言われています。
 いったい何が書かれていたのでしょうか。一言で言えば「自信を持ちなさい」ということです。物事の積極的な面を見なさい。そうすれば、万事がうまくいく。楽観的にものを考えれば、かならず成功する。これがピールのメッセージです。
 キリスト教の牧師であった彼は、これを聖書の言葉で教えました。たとえば、これから一世一代の大事業を始めようとしている人には、「わたしを強くしてくださるかたによって、何事でもすることができる」という聖書の言葉を紙に書いて、仕事に出かける前に三回繰り返し読みなさい。
 あるいは、販売実績に悩むセールスマンには、「もし神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」という言葉を三回唱えてから出かけなさい。そうすると、自信がわいてくる。その自信が相手にも伝わって、信頼を得ることができる、というのです。
 にわかには信じがたい話ですが、たしかに、物事にはいろいろな面がありますから、どんなことにも肯定的なところはあるでしょう。つまり、同じ事実でも見方によって変わる。これこそ、最近言われるようになった「ポスト真実」の世界です。ここには、アメリカが生んだ「プラグマティズム」という哲学の伝統も巧妙に取り入れられています。
 さて、1960年代の終わり頃、このピール牧師の説教に心酔した一人の青年がおりました。それが若きドナルド・トランプです。トランプ青年は、ピールの言葉を徹底的に受け入れ、まさに「積極的思考」の生ける模範となりました。今でも彼は、演説の中でよく単純な言葉を繰り返しますが、それは彼がこの頃に学んだことです。
 ピールの方でも、青年実業家として知られるようになったトランプのことを「自分の最高の弟子だ」と褒めていました。1983年に「トランプタワー」が完成すると、ピールはトランプが「全米一の建設家」になるだろう、と言ってその開業を祝福しました。
 今回の大統領選挙では、白人福音派の8割がトランプに投票したと言われています。どうしてそんなに人気があるのでしょうか。彼は、必ずしも敬虔なキリスト教徒とは言えないでしょう。けれども、勤勉な父からはプロテスタントの労働倫理を受け継いでおり、その生活にはどこか奇妙に禁欲的なところがあります。何よりも、彼はピールの積極的な信仰を体現しています。その内容を一言で言うならば、「富と成功の福音」です。
 一般に宗教には、善悪や道徳を超える価値観が備わっているものですが、同時に、「因果応報」「信賞必罰」という考え方もあります。聖書にも、神は正しい者に祝福を与え、悪い者に罰を与える、という考え方が含まれています。アメリカに渡ったキリスト教は、こちらの考え方を極端に強調するようになりました。

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 この論理は、普通に機能しているうちは、信仰も道徳も奨励されるので、特に問題はありません。しかし、やがて逆回転を始めます。「正しい人は、神の祝福を受ける」。これを逆に読めば、「祝福を受けているなら、それは正しい人だ」となります。宗教社会学者のマックス・ヴェーバーが注目したのも、この論理の逆転でありました。ヴェーバーの資本主義論には、イギリスよりもアメリカのピューリタンがよく引用されています。
 つまり、キリスト教はアメリカに渡って大きく変質しました。このような地域的な変容を、神学では「土着化」と言います。キリスト教の本場のように思われているアメリカですが、実はそのキリスト教は非常に独特なものです。宗教は、社会に深く根を下ろせば下ろすほど、土着化してゆきます。アメリカのキリスト教も、国や文化との結びつきがあまりに強くなり、自分の国への批判的で超越的な視点を失ってしまいました。
 その結果を示しているのが、ピールの「積極的思考」であり、トランプの「富と成功の福音」です。日本では、「成り上がり者」や「にわか成金」にはどこか冷たい眼差しが向けられますが、アメリカではまさにそれこそが正しい成功の方法です。親のカネやコネによらず、裸一貰でゼロから出発し、自分の才覚と能力で成功をつかむ。だから成功は、いつも「アメリカン・ドリーム」になるわけです。
 トランプが福音派の人びとに評価されている理由も、ここにあります。彼は、自分で稼いだ金を使って、自分の言いたいことを言っている。政財界のお偉方の言いなりになってきた既存の政治家たちとは違う、というわけです。
 それだけではありません。彼があれほど成功したのには、きっと訳がある。たしかに、自分でも努力したことだろう。だが、あそこまで大きな成功を収めるには、神もまた、彼を祝福し、彼に幸運を与えてくれたに違いない。神が祝福しているのだから、彼は正しいのだ。人びとはそう考えて、彼を支持するのです。

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 ここでは、「この世の成功」と「神の祝福」がイコールで結ばれています。ローマ時代の言葉で言えば、「民の声は神の声」ということです。直接神の声を聞くことはできないが、多くの人の声がそれを代弁してくれる。人びとが賞賛しているなら、それは神もその人を是認していることの印だ、と考えるわけです。
 ただしここには、大きな落とし穴もあります。これは、「勝ち組」にしか通じない論理なのです。自分の「勝ち」を説明するには便利ですが、「負け」を説明することはできません。かりに、失敗した人にこれをあてはめると、どうなるでしょうか。「自分は神にも見放された負け犬だ」ということになるでしょう。そんな結論を正面から受け止められる人は多くありません。ほとんどの人は、「それはおかしい。自分はまっとうに働いてきた、真面目な人間だ」と思います。それなのに食えない。上手くいかない。とすれば、原因はどこか別のところにあるに違いない――
 こうして「陰謀論」が流行ることになります。自分たちの没落の原因は、移民にある、外国にある、国連にある、と思うようになるのです。このように、アメリカの現状を理解するには、政治や経済の説明だけではなく、人びとの心の声に耳を傾ける必要があります。それをどのように聞き、どのように受け止めるか。トランプ政権の今後は、そのことにかかっているように思います。


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