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「進化する卓球」(視点・論点)

卓球コラムニスト 伊藤 条太

先日の全日本卓球選手権で、女子は伊藤美誠選手が史上最年少の17歳で3冠を達成し、男子では張本智和選手が史上最年少の14歳でシングルスを制するという衝撃的な結果となりました。今日は、この二人の強さの秘密の一端を、卓球競技の本質に触れながら解き明かしてみたいと思います。

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まず伊藤選手で驚かされたのは、バックハンドドライブの強烈な回転量です。
世界で活躍する石川佳純選手や平野美宇選手でさえ抑えきれずにオーバーミスをする場面がありましたが、驚くのは、伊藤選手はそれを「表ソフト」という回転のかけにくいラバーで実行している点です。
伊藤選手がわざわざ回転がかかりにくいラバーを使っている理由のひとつは、相手の回転に鈍感であるというメリットがあるからです。伊藤選手がしばしばフォア側に来たサービスまで動いてバックハンドでレシーブをするのはそのためです。
ここで卓球における回転の威力について説明します。

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卓球はラバーの摩擦が非常に大きくボールが軽いために、回転しているボールがラケットに当たると、大きい場合は45°以上も斜め方向に跳ね返ります。そのようなボールを打ち返すためには、ラケットを45°以上も傾ける必要があるわけです。反対に回転するボールの場合は反対方向に傾けなくてはなりません。つまり回転するボールは相手にラケットの角度を90°以上も変えることを強いるのです。
これに対して、的の大きさはどの程度でしょうか。相手のコートに入ればよいかといえば実はそうではありません。遅いボールの場合、相手のコートに入っても、高く入ってしまえば、決定的な攻撃球すなわちスマッシュを打たれてしまうからです。

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スマッシュを打たれないためには、ネットの高さ程度の範囲を通す必要があります。仮に卓球台の内側3分の1の地点で打つとすれば、それは角度にしてわずか10°弱の範囲なのです。

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この二つの写真は、伊藤選手が平野選手のサービスをレシーブする瞬間ですが、ラケットの角度が大きく違います。伊藤選手は、平野選手の打ち方からボールの回転を判断し、それに適したラケットの角度を10°以内の精度で出しているのです。
一見、簡単に見える遅いボールのやりとりですが、かくも精妙な攻防が繰り広げられていることを、このラケットの角度の違いは物語っているのです。
話を元に戻しますと、このような回転の脅威を少しでも軽減するために、伊藤選手は回転に鈍感なラバーを使い、回転をかけたいときには自らの猛烈なスイングスピードでかけるという、強引ともいえる力技の戦略を取っているのです。
伊藤選手の戦略はそれだけではありません。伊藤選手はフォア側には回転をかけやすい「裏ソフトラバー」を使っています。当然、攻撃をするときには、ボールに回転をかける「ドライブ」を中心にするのが定石ですが、伊藤選手は逆に、回転よりもスピードを優先する「スマッシュ」や、いわゆる「美誠パンチ」を連発するのです。
つまり伊藤選手は、回転をかけにくいラバーで回転をかけ、回転をかけやすいラバーで回転をかけないという、比喩的に「逆位相」とも言える卓球をしているのです。このようなスタイルの選手は、知る限り現在も過去も世界のどこにも存在していません。卓球界でも極小の部類に属する伊藤選手の体格で、世界で勝つために設計された極めて独創的なスタイルと言えるのです。

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一方の張本選手の凄さは、ひとことで言えば、女子のピッチの速さと男子のパワーの融合です。卓球の試合では、女子は台の近くでプレーをし、男子は台から離れてプレーをする傾向があることがお分かりと思います。これは体格と筋力の差によります。トップレベルの卓球においては、勝敗を決するのは人間の反応時間を突き破るボールです。女子の場合は、台から離れると、そのようなボールを打つ筋力がないため、台に近づいて早いタイミングで打つことでそれを実現しようとします。一方で男子は、遠くから打っても十分に速いボールを打つことができるので、自分の時間を確保しつつ大きなフォームで速いボールを打つことを選択します。これが男女の台からの距離の差になっているわけです。
通常、台に近ければ自分の持ち時間が少なくなりますので、スイングは小さくなり、ボールの速さは一定限界内のものになります。ところが張本選手は、女子選手のように台の近くに陣取りながら、その位置ではありえないほど大きく体を使い、強烈なボールを放つのです。

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フォアハンドのときは、両足を肩幅の2倍以上にまで広げて、相手に背中が見えるほど上体を捻り、一気に180度も捻り返します。ラケットの旋回角度は実に270度にも達する特大サイズのスイングです。十分な時間があれば、トップ選手なら誰でもこのようなスイングができますが、張本選手はそれを時間がないはずの至近距離でやってのけるのです。これが、中学生である張本選手が、体格に勝る相手を打ち抜くことができる理由です。それを実現しているのは、驚異的な判断の速さと身のこなしの速さです。
さきほど、回転の威力についてお話しましたが、実は回転には、もうひとつ極めて重要な役割があります。それは、自分のボールを安定して相手のコートに入れる効果です。一般的に、ボールは速いほど直線的に飛ぶので、コートに入る確率は低くなりますが、ボールにドライブと呼ばれる前進回転をかけると、軌道が山なりになり、コートに入る確率が飛躍的に高まるのです。卓球選手があれほど速いボールを打ち合うことができるのは、この効果のためであり、これが現代卓球を成立させている根幹の原理なのです。
ドライブは、回転をかける分だけスマッシュよりスピードが落ちる打法ですが、男子の場合、スイングスピードが十分に速いため、ラリーの多くがドライブで決まります。スイングが速いとき、ドライブこそは威力と確実性の両方を兼ね備えた理想的な打法となるのです。

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これは張本選手が水谷選手を打ち抜く場面ですが、大きく後にそして下に引いたラケットから、これから、いかに激しくボールをこすり上げ、かつスピードを与えようとしているのかがわかります。これだけ大きなバックスイングを張本選手は瞬時に行っているのです。
そしてこの、卓球台よりも低いラケットの位置が、理想的であるはずのドライブという打法の根本的な制約、すなわち、卓球台の外でしかスイングできないということを示しています。そして、それは、ボールの長さをめぐる攻防をも暗示しているのです。
以上、卓球競技の本質に触れながら、伊藤選手と張本選手の解説をして見ました。
今から約120年前のロンドンで、ひとりの青年が、薬局で釣り銭皿の、突起がついたゴムシートを見て、それを卓球のラケットに貼ることを思いつきました。それから50年後、ある日本人がそのラバーを裏返しにしてその下に柔らかいスポンジを貼り付けて「裏ソフトラバー」と名付けました。このときから卓球は怒涛の回転スポーツへと歩み出したのです。その後、幾多の人々の情熱と英知によって卓球はドラマチックに進化してきました。伊藤選手と張本選手も、その進化の連なりの最先端にいます。それを、今、私たちは見ているのです。

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