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「市民が守った古墳 世界遺産への道」(視点・論点)

文化財保存全国協議会常任委員 宮川 徏(みやかわ・すすむ)

日本政府は大阪の「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に推薦することを正式に決め、ユネスコに推薦書を提出しました。来年の世界遺産登録を目指し、本格的に動き出すことになりました。

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日本が世界遺産として誇りをもって、その価値を世界に問いかけるこの二つの古墳群のひとつ、百舌鳥古墳群には、国内最大の大きさの仁徳陵古墳とされる陵墓をはじめ、大きさや形が様々な古墳があります。そのなかに、いたすけ古墳という前方後円墳があります。この古墳、実は「大切な文化財を守りたい」という市民の思いによって守られたものです。

市民による文化財保存運動の先駆けとなったこの出来事は、どのようにして起こったのか、そして、守られた文化財は市民の手でどのように活用されていくべきかを、実際にいたすけ古墳の保存運動にかかわった経験から、考えてみたいと思います。

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いたすけ古墳の保存運動が始まったのは今から60年余り前のことです。先の太平洋戦争から敗戦後にかけて、堺市の空襲による戦災復興や、1950年のジェーン台風被害の復旧事業などで、百舌鳥古墳群内の古墳が手っ取り早い土取場に当てられ、次ぎつぎと古墳が潰されていったのです。

1955年秋、住宅難解消の宅地開発のために、百舌鳥古墳群で陵墓以外の民有地の古墳としては、保存状態のよい、いたすけ古墳の濠に橋を架ける工事が始まり、破壊の手が目前に迫ってきたのを地元の若い研究者たちが知ったのは、9月17日のことでした。         
いたすけ古墳を失うことになれば、よく保存された前方後円墳は陵墓しか残らないという危機感がみんなを突き動かしました。

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いたすけ古墳は後円部直径がおよそ100メートル、墳丘の長さがおよそ150メートルの前方後円墳で、ズングリした形に見えます。               

 前方後円墳の設計を研究している立場からみますと、いたすけ古墳は後円部の直径の二分の一の長さで前方部を設計しているので、ズングリした形になり、大王に従属する身分を古墳の形に表すように設計されたことを示しています。

大王の古墳にはこの短い前方部の古墳はなく、いたすけ古墳の主はヤマト王権の大王から覇権をすすめる任務をあたえられた、将軍のような立場にあった人物でなかったかと思われます。

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百舌鳥古墳群には、仁徳陵古墳や履中陵古墳のような巨大古墳があるため、いたすけ古墳は相対的に小さく見えますが、いたすけ古墳は、大王とそれを支えた将軍というような、古墳時代に成り立っていた身分秩序や古墳の主の立場を古墳の設計の比較から、具体的に知ることができる重要な文化財なのです。 

堺に生まれ小学生の頃から古墳好きだったわたくしは、敗戦直後中学2年生の時、高射砲陣地で破壊された古墳で露出した遺物を発見し、ある大学の学術調査となるきっかけもつくりました。
                                   
その後も土取りで破壊され、目の前で壊されてされていくのを止める手だてもなく、ただ見ている無念さを味わってきました。
いたすけ古墳が破壊に直面していることを知った、20歳前半から20歳半ばまでの若い研究者たちは、いたすけ古墳を守ろう、という大まかな申し合わせをし、居合わせた五、六人だけで、運動は始まりました。    
みんな軍国主義教育を受けた若者でしたが、自分の考えで正しいと思うことを貫くのに、だれにも遠慮することはないんだという、つぶされた古墳の弔い合戦のような気持で運動を行いました。

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破壊された古墳の位置を地図に書き込み、リストを付けて研究者仲間や新聞社に送って、「いたすけ古墳を守ろう」と訴えかけましたが、今のように簡単にコピーできる時代ではないので、1枚1枚手作りするのが大変でした。

 運動が始まってすぐ、ある高名な考古学者が、「前方後円墳の一つや二つが潰れるぐらいで、そんな大騒ぎすることはない」というのを聞いて、唖然とするとともに、大人たちを当てにせずに、若者だけで遠慮なく思うように運動を始めてよかったと思いました。
投書の効果があったのか、新聞がかなりの紙面を割いていたすけ古墳を守れのキャンペーンをはじめました。まだテレビがなかった当時、新聞に掲載されたいたすけ古墳の航空写真は、問題の現場を茶の間に視覚的に届ける上で、大きな役割を果たしました。               
                                 
 大阪の教師たちがはじめた、いたすけ古墳を買い取るための10円カンパをはじめ、世論も大きく盛り上がって、新聞社主催の講演会は満員で熱気があふれていました。
この年の11月には、保存を求める世論に押されるように、国の文化財保護委員会が史跡仮指定を発表し、12月には堺市長が宅地業者からいたすけ古墳と橋を、400万円で立替払いして買い取り、破壊される危機は回避され、翌年5月15日に正式に国史跡になりました。
買い取りのためのカンパは、1956年2月の新聞報道によると、50万から60万円とされていますので、短い期間に買収金額の1割を超える額が寄せられたことになり、市民の関心が高がったことを示していますが、このカンパは買い取りの資金には加えられなかったので、世界遺産として整備されるときにはぜひ生かしてほしいと思います。

身近にある古墳や遺跡は、そこに暮らしている自分達につながる歴史を残している、かけがえのない証しだ、ということを、いたすけ古墳の保存運動は教えてくれました。
古墳の見学会で現地に行き「ここに住宅が建っているのと、古墳が今のようにあるのとどちらのほうがいいでしょうか。」と聞きますと、みんな、「住宅なんてとんでもない。古墳が残されて良かった。」と答えてくれます。

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今現場には崩れ落ちた橋の残骸が見られますが、これはこの古墳を破壊するために橋を架けようとした行為と、それを押しとどめた市民の英知の歴史を学ぶために、残しておくよう堺市に申し入れて残されているものです。
                        
百舌鳥古墳群には陵墓に指定された多くの前方後円墳があっても、自由に見ることもままなりませんが、我がいたすけ古墳はきちんとした整備の方針を立て、手続きを踏めば市民に開かれた、無限の活用が広がる素晴らしい文化財として残されました。
保存運動からもう60年余りたちました。いたすけ古墳がどんな古墳か、中に入ってじっくり見たい、という要望が堺市民をはじめ、いたすけ古墳の保存運動に参加した人やその歴史を知っている人たちからも出されています。                                 
   世界遺産登録されますと、世界の各地から観に来る人が増えると思いますが、今のままの百舌鳥古墳群の現状では満足してもらえるでしょうか。
文化財は人々が関心を持ち、守り活用していくことこそに意味があります。        世界遺産にふさわしい活用と整備をどうしていくか、そのチエと力量が国と地方自治体に問われていると思います。
  
(※「すすむ」は、ぎょうにんべんに「歩」)


   






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