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「オウム事件の教訓とは」(視点・論点)

ジャーナリスト 江川 紹子

 地下鉄サリン事件など5つの凶悪事件に係わった高橋克也被告に対する無期懲役判決がこのほど確定し、オウム真理教による一連の犯罪を裁く刑事裁判は、すべて終了しました。教祖・幹部・信者192人が起訴され、教祖を含めて13人に死刑が言い渡されました。無期懲役刑が6人。そして2人に無罪判決が出されています。オウムに対する警察の大がかりな強制捜査が始まって、まもなく23年。高橋被告ら17年間逃亡していたこともあり、裁判終結までにこれだけの時間がかかりました。

裁判を通して、分かったことはたくさんあります。

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 まず、それぞれの事件が、どういういきさつで、誰がどのように関わって起こされたのか、その詳細はかなり判明しました。
 また、信者の心を支配し、「目的のためには手段を選ばない」というカルトの特異性も、明らかになりました。
 特に凶悪事件に係わった幹部信者を裁く法廷では、それぞれの生い立ち、教団に引き寄せられ、のめり込んでいく経緯、教団生活や事件当時の心理状態なども語られました。
 坂本弁護士一家殺害の実行犯となり、サリンの製造などにも関わった中川智正死刑囚は、教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の法廷で、何も語らないかつての師に対し、説明をするよう懇願し、こう言って号泣しました。
「私たちは、サリンを作ったり、サリンをばらまいたり、人の首を絞めて殺すために出家したんじゃないんです」
 実際、中川死刑囚をはじめ、凶悪事件に関与した多くの者も、教団と関わる前は、犯罪とは無縁の、ごく普通の、むしろ心優しい若者たちでした。彼らの多くが入信した1980年代後半~90年代初めは、バブル景気のまっただ中。そんな中で、本当の幸せとは何かを考えたり、人や社会の役に立ちたいと願ったり、自分らしく生きるための道を模索したりする、まじめな青年たちでもありました。
 その気持ちが、修行による解脱悟りや人類救済を標榜していた教祖に吸い寄せられるきっかけになってしまいました。
 教団は強固な階級社会であり、その頂点に立つ教祖の言うことは、常に絶対的に正しいとされていました。そうした価値観に心を支配された信者は、自分で善し悪しを考えたり、疑問を抱くことなく、すべて修行だと信じて、ひたすら教祖に付き従う心理状態に陥っていったのです。事件当時も、まさにそのような状態でした。
 そんな彼らの中にも、逮捕され、裁判にかけられ、被害者の悲しみや怒りに満ちた声を聞いて、教義に疑問を持ち、自分の過ちと向き合うようになった者もいます。彼らにとって、こうした刑事手続きは、オウムの呪縛を解き放って、本来の人間性を取り戻すプロセスでもありました。
 事件の真相を知りたいと、裁判傍聴を続ける被害者遺族がいました。その姿は、犯罪被害者がもっと裁判に関われるように、仕組みを改める契機にもなったと思います。
 裁判でも、十分分からなかったこと、あるいは今後の検証にゆだねたいこともあります。
 たとえば、松本サリン事件の動機や地下鉄サリン事件を起こすことになった経緯は、必ずしも十分明らかになったとは言い切れません。その主な原因として、次の2つが挙げられます。
 第一に、教祖であり凶悪事件を指示したとされる松本死刑囚が、裁判で一切語らなかったこと。彼を裁く法廷では、かつての弟子達が証言し、中川死刑囚以外にも、事実を語るよう求める者が何人もいましたが、松本死刑囚は自分の殻に閉じこもるだけで、それに答えようとはしませんでした。第二に、教祖の最も近くにいて、一連の事件に深く関与していた教団ナンバー2の幹部が、強制捜査が始まった後に、暴漢に殺されてしまったことです。この幹部殺害は、真相解明にとって本当に残念なことでした。
 また、裁判は比較的軽微な事件から始まりましたが、その頃はサリン事件の衝撃が未だ冷めやらぬ時期でした。絶対的な教祖と弟子の関係、オウムのマインドコントロールの実態も十分知られていませんでした。そんな時期の裁判は、信者の内心について、適格に評価できていただろうかと、今になって思えば、いささか疑問なしとしない事件も思い浮かびます。
 こうしたことを新たな目で解明したり検証したりする努力は、今後も必要でしょう。
 と同時に、裁判で明らかになった多くの事実や教訓を、次の世代に引き継いでいくことは、さらに重要です。
 人々を巻き込み、悲惨な結果を生み出すカルトは、いつの時代、いかなる社会にも現れる可能性があります。
 最近では、「イスラム国」と称する集団が、ヨーロッパの若者をもひきつけ、テロや残虐な殺りくを行いました。この集団もまた、カルト的な側面があります。また、日本でもオウムの後継団体が活動を続け、松本死刑囚の教えを伝えると共に、過去の事件を否定するような言動もしています。
 悲劇を繰り返さないためにも、事実は次の世代にしっかりと伝えなければなりません。そのためにも、すべてのオウム裁判の全記録を適切に保存し、できるだけ早い時期に公文書館に移管するなどして、カルト問題やテロ対策に関する調査・研究、報道などに役立てるべきでしょう。
 また、教育の場でも、カルトの危険性やそこから身を守るための知恵を、若い人たちに伝えていく必要があるのではないでしょうか。
 すべての裁判が終わったため、次は死刑の執行に、世間の関心は移っているようです。それについて、この事件を見てきた者として、いくつか注意して欲しいこと、議論してもらいたいことがあります。
 死刑は、同一事件は同時執行が原則のようですが、13人を同じ日に執行するのは、極めて困難でしょう。となると、順番を決めることになりますが、最も責任のある教祖より、弟子が先に執行されるようなことがあってはなりません。
 また、教祖と弟子を同時に執行することは、その弟子を、現在の信者たちが「教祖と一緒に転生した殉教者」として崇めるなど、弊害も心配されますので、避けていただきたいと思います。
 教祖に関しては、精神状態をいぶかしむ声もあります。法律では、心神喪失状態にある者は死刑の執行ができません。法に反する執行をしたとの、あらぬ批判を避けるためにも、執行の前には専門家による精神状態のチェックがなされるべきでしょう。
 さらに、その遺体や遺骨が教団の勢力拡大や金集めなどに利用されるのではないかという懸念に対し、対策も考えていただきたいところです。
 元弟子の中には、自分がオウムにのめり込んだ経緯などをじっくり整理し、若い人たちのために提供するなど、深く反省悔悟している者もいます。こうした者は、執行を急ぐより、オウム問題の教訓、カルトの怖さを語り継ぎ、カルト信者やテロリストの心理などを研究するのに貢献させる道もあるように思います。
 起訴され、裁判になったオウム真理教の犯罪は、すべて平成の時代に入ってから起こされたものです。この平成の時代が終わろうとしている今、オウム事件をどのようにして次の時代に引き継いでいくのか、そして死刑をどうするのか、多くの方に議論して欲しいと思います。

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