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「被災地の文化を守る新たな地域の『核』を」(視点・論点)

国立歴史民俗博物館 教授 小池 淳一 

 1月17日は阪神淡路大震災が発生してから23年目でした。大変な被害をもたらした地震災害から四半世紀近くが過ぎようとしていることに改めて感慨を覚えた人も多いのではないでしょうか。そして3月11日になると、東日本大震災から7年が過ぎたことになります。20世紀の末から日本列島では各地で自然災害がしきりに起こり、大きな被害が生じました。そしてそれらを乗り越えて地域社会を再生しようとする取り組みがさまざまなかたちでおこなわれています。

こうした災害を契機として、さまざまな文化や生活に関する根本的な変化が、日本列島各地で進みつつあることが強く意識されるようになってきました。そうした大きな変動に対して、地域社会をよみがえらせるための取り組みとして、まったく新しいものを作り出すのではなく、それぞれの地域社会の歴史や伝統に根ざした文化を見直し、それらを今後の糧とすることが多くの場所で試みられています。地域社会とその復興にとって、無縁なように思われる土地ごとの歴史や文化が、実は大きな意味を持ち、その土地でのくらしを根本のところで支えていることに改めて気づかされることも少なくありません。
ここで注意してみたいのは、そうした事情をふまえて、災害や地域変動から歴史文化に関する資料を守り、保存すること、さらにそれらを活用し、未来に活かしていくためのよりどころとなる〝核〟作りです。

私の勤務先である国立歴史民俗博物館では、東日本大震災発生の後、2011年の5月から宮城県気仙沼市の小々汐(こごしお)地区の旧家、尾形家を中心とする文化財レスキューを開始しました。

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この地域に住んでいらした方々のご協力とご教示をいただきながら、がれきの山から、生活文化の長い伝統を示すさまざまなモノを救出し、保存処理をしたうえで、資料として後世に残す取り組みをはじめたわけです。それらは決して珍しい貴重な品物というわけではなく、大勢の人を招くときに使っていた食器やたんすにしまわれていた置き薬など、少し以前のくらしのなかで、ごく当たり前に使われていたものたちでした。それらをひとつひとつ泥をぬぐい、塩分を取り除いて、カビやサビが生じないように乾燥させることなどが主な作業でした。

そのなかで地域の歴史や文化を保存し、継承していくためには周辺の地域からの人と物の両面にわたる支援が必要であること、継続的な保存処置をおこなうためにはかなり広い空間が必要となること、さらに史資料や文化財の材質や性格に応じた保管や修復の技術が求められることなどを確認し、さらにそれらをひとつひとつ実践していきました。
これはやがて、国立歴史民俗博物館を含む人間文化研究機構全体での「日本列島における地域社会変貌・災害からの地域文化の再構築」というプロジェクトに発展しました。
現在では、地域の方言や文書などの資料保存、地域社会の復元力などをテーマにし、国立歴史民俗博物館をはじめとして、国立民族学博物館、国立国語研究所、国文学研究資料館、総合地球環境学研究所の5つの機関が連携しながら、日本列島各地で地域文化に関わる多様な活動をおこなっています。
特に国立歴史民俗博物館では、古文書のような文字で記されて伝えられてきたものだけではなく、慣習や習俗、しきたりのかたちで受け継がれてきたものにも注目しています。地域における文化は、文字による記録と生活のなかで受け継がれてきた伝承とがさまざまなかたちで組み合わされ、いろいろな条件のなかで生みだされてきたものだからです。そして地域における歴史文化を考えていくときには、それらの〝核〟となる場に注目し、それが果たしてきた機能を受けついでいくことが求められることになります。
江戸時代までは、人々の暮らしは家ごとに営まれていた一方で、村落やさらにそれを超えた広い地域におよぶ、さまざまなつながりによって維持され、発展してきたという面がありました。それらを支え、地域の歴史や文化を共同のものとして伝えていくなかで〝核〟となったのは、地域社会のなかの公共的な空間である寺院や神社、旧家や集会施設などでした。明治以降、こうした地域生活の〝核〟となる空間としては、学校をはじめとする地域の教育施設に加え、公民館やコミュニティセンターなども、社会教育や生涯学習の進展とともに大きな意味を地域のなかで持つようになっていきました。高度経済成長のなかで、地域の有形無形の資料を保存し、受けついでいこうとする動きも進みました。その際に作られた地域における博物館や歴史民俗資料館も、新たな地域の〝核〟としての働きが期待されていたのです。
先に述べた気仙沼の旧家もそうした〝核〟の古いかたちのひとつといえるでしょう。こうした旧家は個人の家としての役割をこえて、地域の生活の結節点でもありました。集落の行事や親戚たちが集まっての正月やお盆の集まりが行われ、たくさんの人びとが行き交い、多くの情報が集まっていました。結果的にそこには地域の歴史や文化に関する多くの資料が集まっていったのです。
さまざまな災害とそれにあらがうなかで、地域の文化を単に後世に伝えるだけではなく、日常の生活のなかで、どのように活かしていくかを考えていく必要があります。その際にこうした地域の〝核〟が果たしてきた役割や機能について改めて注目する必要があるでしょう。
地域における歴史をふまえながら、あらたな文化を生み出し、継承していくためには、地域の〝核〟を単に歴史や文化の調査対象あるいは資料の保管をするためだけのところではなく、地域でのさまざまな活動と結びつけ、人びとが集まり、学び、考える空間や関係を意識して作り、維持していく場としてとらえなおすことが必要です。これまで博物館や歴史民俗資料館が果たしてきた役割を、地域の図書館や公民館、美術館などの個別の施設やそこで行われてきた事業と結びつけることで新たな可能性を考えていかねばなりません。それは必ずしも新しい建物を必要とするものではなく、これまでに地域社会のなかにあった多様な施設と人びととを新たにつなぐネットワークを作り、目の前の変化に対応しながら、地域をとらえ直し、歴史や文化を持続的に考えていくきっかけにしていくことをさしています。
地域社会を健全なかたちで維持し、発展させていくための〝核〟は、こうした歴史や文化を絶えず、参照し、地域を考えようとした場合のヒントをもたらしていくところでなくてはなりません。
未来を模索するための手がかりは地域ごとの歴史と文化にあることを意識し、それを具体的に深めていくことを、絶えず考えていきたいものです。



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