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「書く力をどう育むか」(視点・論点)

作家 藤原 智美

今からちょうど3年後の、2021年1月に実施される、大学入学共通テストは、これまでと方式が変わります。従来のセンター試験にはなかった記述式の解答問題が一部、採用されるんですね。センター試験のマークシート式の解答方法は、あらかじめ答えがいくつか用意されている選択式のものですね。それと違って記述式というのは、文章を手書きして答えるものです。つまり選択式の選ぶ、から自分で答えを書く、作るという風に変わる訳ですね。記述式によって、受験生の思考力や判断力をみる事ができる、と期待されている訳です。 
しかし解答の一部分とはいっても、文章を手書きして答えにするのは受験生にとっては大変なプレッシャーになる訳です。一体それに向けてどんな用意をしたらいいのか、どんな勉強をすればいいのか、生徒だけでなく先生、親御さんも悩んでいるといいます。記述式にはいうまでもなく、文章を書く力が必要です。

では一体、現代の子どもたちの文章力はどれくらいあるんでしょうか?実はこの文章力、全体に落ちてきている、という印象をもつ先生が多いんですね。この間、ある小学校高学年の児童のおもしろい作文を読んだんですが、これが面白いというか、困った文章なんです。紹介しますと、例えば接続詞のそして、しかし、などが使えないんです。その代わりに、あと、という会話調の繋ぎ文句を文の頭にもってくる。例えば「動物園に行った。あと、ゴリラを初めてみて、あと、パンダは人が多くて見にくくて、あと、モノレールに乗って」というようなものなんです。先生によると、こういう会話調の作文がよくあるという事です。
私が子ども頃の作文というと、ともかくかしこまって書いたものです。普段使っている会話調ではなく、きちんとした書き言葉でなくてはならない。そんな構え、があったように思います。だから作文は難しかったんですね。
ところが最近は、会話調の文章があったり、短いセンテンスの文書をつなげただけの支離滅裂なものが、少なくありません。なぜなんでしょう。私はそこにネットの影響も大きい、と思うんですね。現代の子どもたちはネット上のソーシャル・メディアを使って、常に言葉のやりとりをしているんですね。もちろんそれら一つ一つも文章だし、作文なんです。そう考えると、今の子供達はどの時代よりもたくさん文章を書いているという事になります。しかしその言葉、内容が貧しいんですね。まずほとんどが簡潔で短い、短すぎるという事があります。本当に短いセンテンスのやりとりに終始している。さらにそこにはスピードが必要とされます。とにかく早く文字を打って送る事が肝心なんですね。そうすると、どうしても使う語彙も限られたものになりがちだし、内容を考えぬくという事がおろそかになります。ネット上では、こんなとるに足らないようなメッセージが、毎日大量にやりとりされている訳です。
これは若い世代だけの事ではないんですね。大人たちも多かれ少なかれそうした傾向があります。また一般のネット・ニュースなどでも、誤字脱字があったり、言葉の正確さや論理性に欠けるものがよく見られます。十代の子もそうしたニュースを読んでいる訳です。そして、若い人達の場合、仲間内だけで言葉をやりとりしている事が、ほとんどなんですね。仲間に通じる言葉でいい訳ですから、例えば多くの人に伝わるように内容を工夫したり、掘り下げたりする事がなくなりつつあるように感じます。さらにスタンプ、画像、最近では動画などのやりとりが重視されているという事もききます。言葉を使わない、いわば言葉離れ、という現象もあります。
このようにネット上の瞬間的な言葉のやりとりと、紙に言葉を連ねていく作文は、実はまったく別次元のものです。異なる技術、力がそれぞれにいる訳です。ですから、ネット上の文章に慣れてくる、ネット上だけで文章を作っていくとなると、その一方で、言葉を紙にひと文字ずつ書いていく作文は、上達しないままになる。こんな事が子どもたちの間で起こっているのではないかと思います。
では作文、書く力というのは、どうしたら手に入るか。そこが気になるところですね。私は書く力というのは、読む力であると考えています。というのも、例えば一行文章を書くとき、まず頭の中で書き出す言葉を読みます。先読みする訳です。そのあとで書き始める。これがほぼ同時に起るので、人はただ書いていると思いがちですが、やはり先読み、読むという行為がまず頭の中にあるんですね。そして書かれた言葉は、書きっぱなしではなくて、それが正しいか、うまく書けているか、ほぼ同時に後読みされるんです。つまり文章を書くという事は、先読み、後読みという、読む事のサンドイッチになっている訳です。さらに書き終えたあと、今度は推敲という確認のための、読みがまっている訳です。つまり書くという事は読むという事でもある。読む力と書く力は車の両輪で、どちらか片方が欠けても言葉の力にはならないという事がいえると思います。つまり書く力をつけるためには文章を読む、すなわち読書が必要なんですね。
ただし読む力、書く力は一朝一夕には生まれません。結局読んで書くという事を早くから習慣化し、継続させる事が、書く力をつける事になります。しかしこの継続するという事が難しいんですね。結局読書好きになるしかない訳です。これには家庭の雰囲気や親の姿勢が大切なんですね。ある父親は廊下に子どもが手にとりやすいように高さの低い長い本棚を作ったそうです。そこに絵本から児童書まで揃えた環境作りをしたといいます。それで作文が大好きな兄弟が育ったそうです。
私はこう考えています。書くという事は内省的で、個人的な、思考の営みだと思います。だからこそ文章は他者の内面の奥深くに働きかける事ができる。そう考えているんですね。紙の上に言葉を記してそれを読むという事は、思考の水源となる、井戸を掘る事だと思います。

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