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「『ユマニチュード』が介護を変える」(視点・論点)

国立病院機構東京医療センター 総合内科医長 本田 美和子

私は内科医として20年あまり働いてきました。
この間医学の進歩と共に、人々の平均寿命は順調に伸び続けてきましたが、その一方で、仕事を始めた頃にはあまり遭遇する事のなかった事態を、私は経験するようになりました。
内科医として働き始めた頃は、病院にお越しになる方は、ご自分が病気であることをわかっていて、それを治したいというご希望があり、検査や治療に協力してくださることが前提でした。しかし、最近私たちが現場でお目にかかる方々の中には、その前提が必ずしも得られない場合が増えてきました。

これは私たちが到達した長寿社会のもうひとつの側面です。
年齢に伴って認知の機能が低下した、脆弱な状態にいらっしゃる方々の中には、ご自分がどこにいるのかわからない、目の前にいる人が誰だかわからない、なぜこんな嫌な事をされるのかわからない、と困惑し不安になっている方がいらっしゃいます。その意味がわからないために、提供されるケアを激しく拒絶するようになり、良いケアを提供したいと全力を尽くしている方々と、その意味がうまく理解できずに拒絶するご本人との間に、大きな断絶と互いが疲弊する状況が生まれています。
これはケアを職業としている方だけでなく、家族の介護をしていらっしゃる方々も同じです。私たちには、自分たちが届けたいケアを届けるための、新しい技術が必要になってきました。

このような状況に困っていた時に、私はケアを受ける人と良好な関係を結び良いケアを提供する技術を開発し、40年近く実践している方々がフランスにいらっしゃる事を知り、見学に行ってみる事にしました。それがユマニチュードというケアの技法です。ユマニチュードとは人間らしさを取り戻すという意味のフランス語です。
この技法は複数のコミュニケーションの技術要素を同時に組み合わせて行います。その要素は見る・話す・触れる・できるかぎり立つ、の4つです。何も目新しい事はないように思われますが、実際やってみると本当に難しい事でした。
私たちはケアを行う際にもちろん相手を見ています。でも、その見ている場所は例えば口の中のようなケアを行いたい部分であることが多いのです。話す時も「じっとしていてください」というような相手を制する言葉をはっしたり、あるいは相手からの返事を待つことなく、無言で黙々とケアを進めてしまいます。触れる時には、一生懸命のあまり、相手の体を掴んでしまう事を無意識のうちに行なっています。実はこれらの行動では、あなたを大切に思っている、という気持ちが相手に届かず、逆に正反対のメッセージを伝えてしまっている可能性があります。

ユマニチュードでは、見る・話す・触れる・立つ の個々の技術は、すべて相手を大切に思っている事を、相手が理解できる形で伝えて、良い関係を構築するための基本の柱であると考え、それを徹底して行います。

日本では6年前から導入が始まりましたが、この技術をきちんと実践できるようになるには、十分なトレーニングが必要であることを痛感しています。でも、一旦身につけてしまえば、これまで困難を極めていた状況が、劇的に改善する事をこの技法を学んだ多くの方々が実感しています。ときに魔法のようだと表現される事すらあります。しかしこれは魔法ではなく、学ぶ事で誰でも身につけて実践することができる技術です。

まずは、ケアを職業としている方々を対象に始まった日本でのユマニチュードの活動ですが、現在その対象は大きく広がってきています。一つ目には、自宅で介護をしていらっしゃるご家族に、ユマニチュードを学んでいただく取り組みを福岡市で行ないました。2時間の講習とその後ケアに関するポイントを12週に渡って毎週ハガキでお送りしたこの研究では、介護を行なっている方の介護負担感と、介護を受けている方の認知症の行動心理症状の、いずれもが統計学的にも有意に改善したことが示されました。

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二つ目に、脆弱な高齢者だけでなく、自閉症傾向の子供をお持ちの親御さんに、ユマニチュードを学んでいただく取り組みも始めています。まだ小さなパイロット研究ですが、お子さんの行動や親御さんのストレスに、良好な変化がみられています。

私たちが実施しているトレーニングには、救急隊の隊員の方や学校の先生方もご参加になり、仕事に役に立っていると感想をいただいています。これを踏まえ、三つめに、ユマニチュードの基本技術、つまり「あなたのことを大切に思っています」ということを相手にわかる形で伝える技術は、ケアの現場にとどまらず、社会の様々な場において有効なのではないかと私たちは考え、自治体と共同での取り組みを進めています。福岡市では地域社会全体で高齢者を支えることを目指す 福岡100というプロジェクトのリーディング事業としてユマニチュードを導入することになり、現在様々な事業を計画しています。

ユマニチュードのケアの技術は数百に及びますが、その基本にあるのは 見る・話す・触れる・立つ の4つのコミュニケーションです。例えば 見る ことについては、相手を大切に思っていることを伝えるために、相手の目を「近く・正面から・長く」見る事、相手から見てもらうよう工夫する事を徹底しますが、日本でこれを始めた時には「日本人はアイコンタクトは苦手だし、そんな近くから見る事は恥ずかしい。だいたいフランスと日本は文化が違いすぎる」という指摘がありました。しかし実際にはこの映像でご覧いただけるように、日本人にももちろんできます。必要なのは相手にケアを届けるために良い関係を結びたいという決意と、そのための技術を実践する勇気です。

現在、なぜユマニチュードの技法がケアに有効なのかについて、私たちは情報技術や心理学の専門家と研究を進めています。今年度、国の戦略的創造研究推進事業としてユマニチュードに関する研究が採択されました。これから5年半に渡って京都大学を中心に、ユマニチュードを科学的に分析する研究を行なっていきます。

この技法を学ぶには、実際のトレーニングを受けることが一番良いのですが、そのほかにも書籍や映像教材があります。映像は厚生労働省の研究費を使って家族介護者向けに作成したもので、何度も同じことを尋ねるとか、食事を食べてくれないというような、よくある困った状況への対応を提案しています。インターネットの検索サイトで「高齢者ケア研究室」と検索すると、一番最初に出てきますので、ご興味のある方はどうぞご覧になってください。

この技法を通じて「介護を辛いと思わなくなった。楽しくなってきた」という方がたくさんいらっしゃる事、また専門職の離職率が下がる事から、この技法が実際に役に立っているという手応えを感じています。

高齢社会の中で生じた、自分の仕事の行き詰まりを打開するために、技術を身に付けようと思って学んだこの技法でしたが、実はこれが単なる技術ではなく、職場を変え、家族関係を変える事、更に私たち自身と社会を変える可能性に満ちた哲学である事を、私は6年の経験を通じて実感しています。ケアを行うにあたって、困難に直面していらっしゃる方々にお役立ていただく事ができましたら、こんなに嬉しい事はありません。

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