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「錯覚と安全」(視点・論点)

明治大学 特任教授 杉原 厚吉 さん

私たちには目が二つあって、それを日常生活の中で当たり前のように使っています。ものを探したり、手にとったり、障害物をよけたりするとき、いつも目で見て判断しています。これは私たちにとってあまりにも当たり前のことなので、ともすれば、見たものの位置や形は正しく理解できるはずと思いがちではないでしょうか。でも、本当にそうでしょうか。実は、見たものが実際と違うように見えてしまう現象が日常生活のなかでも起こり、事故や渋滞の原因になったりしています。

今日はこのことに注目し、安全を図るための対策を考えてみたいと思います。
見たものが、実際とは違うように見えてしまう現象は、「目の錯覚」とか「錯視」とか呼ばれます。この現象がありますから、見たからといって安心はできません。
まずは一つ例を見てみましょう。

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ここに2枚の写真があります。これは、晴れた日に家の壁を撮影したものですが、みなさんには何が見えるでしょうか。どちらも4本の線が横に走っています。そして、左の写真では線は4本ともくぼんで見え、右の写真では4本とも出っ張って見えると思います。でも、この2つの写真は同じものなのです。左が撮影したときの姿勢のままで、右はその写真を180度回転させて上下を逆にしたものです。同じ写真なのに、一方はくぼんだ溝が見え、もう一方は出っ張った線が見えます。なぜこんなことが起こるのでしょうか。
写真は平面であって、奥行きの情報を含んでいません。これを見て奥行きを感じるのは、私たちの脳が奥行きを作っているからなのです。

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私たちは、上から照らされた環境でものを見ることに慣れています。そこでは、上を向いた面は照明の光がよく当たりますから、明るく見えます。下を向いた面は照明があまりよく当たりませんから、暗く見えます。それを知っている私たちの脳は、明るく見える面は上を向いている、暗く見える面は下を向いていると判断します。ですから、写真の上下を反対にすると、脳は凹凸を逆に解釈してしまうのです。この錯視は、月のクレーターの写真でよく起こるので、クレーター錯視と呼ばれています。

もう一つ、例を見ていただきましょう。

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この立体は、中央の一番高いところから四方へ斜面が下っているように見えます.でも、斜面に置いた玉は、すべて真ん中へ向かって転がっていきます。重力に逆らって、坂を上っていくように見えます。

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でもこれも錯覚です。立体を回転させて別の方向から見ると、中央が一番低いことが分かります。玉は重力にしたがって低い方へ転がっているだけなのです。
ところで、皆さんは今、この姿勢で立体を見て中央が一番低いことを理解したはずです。

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ここで玉を除いて、最初の視点へ戻してみましょう。すると、最初に思い浮かべた中央が一番高い立体が、また脳に浮かんでしまう方が多いのではないでしょうか。
私たちは、画像からそこに写っている立体の奥行きを読み取る脳の働きは、知識や理性に基づいた知的な作業だと思いがちです。でも、実際には、脳は網膜に写った画像を、意識の届かない奥深いところで自動的に処理し、勝手に立体を思い浮かべてしまいます。知識や理性はどこかへ行ってしまい、役に立ちません。ですから、真実を知った後でも、また錯覚は起こってしまうのです。

皆さんは、こういう錯覚の例を見ても、それは特殊な形を見たときだけに起こる例外的な目の振る舞いで、日常生活には関係ないと思われるかもしれません。でも、そうではありません。同じような錯覚は、日常生活の中でも起こります。錯覚は目の前の状況を間違えて判断することですから、事故につながりかねません。ですから、日常生活で起こる錯覚には注意を払う必要があります。
日常生活の中で出会う錯覚の代表例のひとつは、車を運転しているとき、走っている道路が上り坂か下り坂かを逆に感じてしまう現象です。次の写真を見てください。

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これは、四国の香川県の屋島ドライブウエイの途中にあるお化け坂と呼ばれる道路です。手前から向こうへ向かって下り坂があり、その向こうに上り坂が続いているように見える方が多いと思います。しかし、それは錯覚です。実際には、手前の坂も、向こうへ向かって上り坂になっています。緩い上り坂の向こうに急な上り坂が続いているという道路なのですが、私たちの脳は、2種類の傾斜がつながると、一方を下り坂、もう一方を上り坂と思ってしまう傾向があり、それがこの錯覚を生み出していると考えられます。
このように登りと下りを読み違えると、ドライバーはブレーキやアクセルを適切なタイミングで踏むことができなくなります。ブレーキを踏むのが遅れてスピードが出すぎるのはもちろん危険ですが、逆にアクセルを踏むのが遅れてスピードが落ちることも、自然渋滞の原因となりますから、望ましくありません。

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もう一つ例をあげましょう。
次の写真は、左右両方にコーナーミラーが備え付けられた十字路ですが、ミラーに映った車が、左右どちらから近づいてくるのかを逆に感じる危険性があります。なぜなら、右のミラーは左の道路を映し、左のミラーは右の道路を映しているからです。あまり深く考えないで漫然とミラーを見ていると、逆だということに気づかないまま交差点に進入してしまいかねません。

私たちは、錯覚の仕組みを明らかにし、錯覚の起こりにくい安全な生活環境をいかに整備するかを研究しています。錯覚の仕組みは次第に明らかになってきているのですが、その錯覚を減らすことは簡単ではありません。たとえば先ほどのお化け坂は、壁を水平面と平行な模様にすると上り坂であることを認識しやすくなると期待できそうなのですが、個人差があって、その効果は完全ではありません。錯覚は、脳が勝手な情報処理を行う結果ですから、訓練で取り除くことはできません。「上り坂注意」などと文字で表示しても、言葉の意味が脳に届くのには時間がかかるため、あまり効果がなく、道路が混むといつも同じ場所で渋滞が起こってしまいます。これから新しく作る道路に対しては、ゆるい傾斜と急な傾斜の二つの坂道をつなげてはいけないなど、避けるべき道路構造の指針は作れるのですが、既にできている道路に対して、錯覚はなかなか減らせないのが現状です。
ですから、ドライバーの方には、道路の傾斜を逆に感じてしまうなどの錯覚があることを理解し、一目見て道路の形がわかったと安心しないで、常に注意深く見ていただきたいと思います。
最近では、車の自動運転の技術が急速に進歩し、実用化も間近いと期待されています。でも、大量のデータをつぎ込んで学習させるという方法で、人の真似をする人工知能を不用意に作ると、人と同じように錯覚を起こす自動運転システムができてしまう危険性もあります。錯覚から逃れられない脳の性質を直視し、それをそのまま人工知能に組み込むことのないよう注意しなければなりません。
今日は、目の錯覚が日常生活の中でも起こり、それが事故などの原因となりますから、注意が必要だということを紹介しました。

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