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「謎の漢字を調べる」(視点・論点)

早稲田大学 教授 笹原 宏之
 
 漢字は、一体いくつあるのか、誰にもわからないという、珍しい文字です。
体系をなしてはいるものの、これまでに作られた漢字が何文字あって、そのうちの何文字が今も使われているのか、はっきりしていないのです。
新しく作って、使う人がいれば、もうそれは新たな漢字と認めざるをえません。私は、珍しい漢字を見つけると、過去の文献や現在の使用例などを調べています。今日は、そのいくつかを紹介していきましょう。

魚偏に休む(「鮴」)という字を見たことがありませんか? 寿司屋の湯呑みに書いてありそうですね。
ふつう「ゴリ」と読みます。よく「鮴押し」と使いますが、このゴリは、川底に暮らす小型の淡水魚です。川底にへばりついているので、休んでいるように見えたところから、魚偏に休むという字を作った人がいたのでしょう。江戸時代から辞書に載りました。とくに石川県の金沢の郷土料理やお土産品で、よく見られる字です。
この魚偏に休むという字は、パソコンやケータイに打ち込むことができるのですが、それはJIS漢字という工業規格に採用されたためでした。1978年のことです。ところが、それはたった1か所の地名にこの字が使われていたためだったのです。私が、地名の資料を、厚みにして3メートルぶん調べていく中で、突き止めました。
実は広島県に、この字を使った「めばるざき」(鮴崎)という地名があります。目の大きな魚、メバルは、瀬戸内の海域でよく獲れたのだそうです。その港町に、船を停めて休んでいってほしいということで、この字を当てたといわれています。メバルのお蔭で、ゴリも入力できるようになったわけです。

山田耕筰という作曲家がいました。「赤とんぼ」「ペチカ」など、東京式アクセントを意識した作曲で有名です。この人の名前、「耕作」のサクには、もともと竹冠がありませんでした。どうして竹冠が乗っかったのか、本人が70年程前に書いた説明を見つけました。
彼は、若くして、髪の毛が少なくなったそうです。指揮者をやっていたときに、友達から、カツラをかぶるように忠告されましたが、それはイヤでした。そこで、漢字辞典を取り出して、格好の字を見つけました。「作」の上に竹冠の付いた字です。せめて名前にだけでも、と「毛」を、それも二つもカタカナにして「ケケ」と乗せたのです。
この「筰」という字は、ほぼ山田耕筰という人の名前を打つときにしか使われません。しかしこれが入力できたのも、実は、小さな地名のお蔭に他なりませんでした。
この字は、福岡県久留米市にある「筰ケ田(しょうけだ)」という地名だけから、JIS漢字に採用されたものだったのです。

「男女男」を並べた字があります。
この字(嬲)は、中国で、1700年以上前の三国時代に作られた俗字でした。なぶる、いじめるという意味です。
この男女を入れ替えて「女男女」とした字(嫐)も生み出されました。中国では、この二つは「なぶる」という全く同じ意味で使われていました。

以前、インターネットを見ていたときに、この二つの字を見かけました。
この文が、読めますか?
「嬲るより、嫐られたい」
「なぶるより、なぶられたい」と読みます。どなたの文章かは分かりませんが、なんとなくニュアンスが伝わってくるようですね。
日本人はときどき、このように二つの字を使い分けます。男の人、女の人の数と配置をきちんと考えるのです。日本人は、漢字の形から、意味や情景を思い浮かべるのが大好きです。
「人」という字は、もともと一人の人の象形文字なのに、二人の人が支え合って…、と解釈したがります。
「桜」という字は、木の横で、はなびらが女の人に舞い散っているなどと言いますが、実は木偏に、発音を表す「嬰」の略字を書いたものにすぎません。
 中国では、「なぶる」という字も、元々挟まれているのが男性か女性かを、区別していなかったのです。しかし、これも日本人の手に掛かると、このように誰がいじめているのかを考える人がたくさん現れて、二つの字がしばしば書き分けられるようになりました。
 さて、この字は、どうしてパソコンで打てたのでしょうか。そこには複雑な経緯があったのですが、そのエッセンスとしてはこういうことです。
 実は、「男女男(嬲)」という字は、そこそこ使われていたので、1978年にJIS漢字を決めるときに、すんなりと採用されました。「女男女(嫐)」のほうは、歌舞伎の世界では、市川家の十八番、オハコの一つに「うわなり」と読ませる演目がありました。
この字は、日本では、なんと平安時代から後妻さん、とか嫉妬という意味をもつ「うわなり」という読みで使われていました。
なるほど、この「女男女」という字面は、女性がさらに一人、後から加わってきたように見えますし、そうすることで起こる修羅場が目に浮かびます。中国の人とは異なる、日本人の独自の発想を見て取ることができますね。
この「うわなり」が九州の熊本で訛って、「わなんざこ」という地名になりました。その「嫐迫」は、実際にそういう修羅場のような結婚式があったことが由来だ、と伝えられています。
この小さな集落の名前を表すためだけに、「嫐」という字は、JIS漢字に採用されていたのです。これは方言漢字といえます。この事実も、3メートルの地名の資料を眺めていって、やっと突き止めることができたのです。
歌舞伎の外題がケータイに入力できるのも、「ナブラレタイ」とパソコンに打ち込めたのも、みなワナンザコのお蔭だったわけです。

さて、今年、フランスの日本語教師の会に招待していただき、パリの大学で、講義をする機会がありました。そこではフランス人の学生たちと、さまざまなやりとりができたのですが、その中で、漢字の意味を当てるという課題をやってもらいました。
彼らが習ったことのない字として、この「嬲」も加えてみました。日本で尋ねてみると、「もてる」とか「ブルゾンチエミ」とか、なるほどという解答が続出します。
フランスでは、どうでしょう。一人のパリジェンヌが答えました。
「まもる」
ん? そうか!と、ハッとしました。男の人が二人で、女性を守っている。この発想は、中国にはなかったものです。漢字を和風にアレンジしてきた日本にも見られなかったものです。さすがはフランス、レディーファースト、騎士の国、愛の国と言われるだけのことはある、と感心しました。
日本のアニメや小説が好きになって、日本語を学ぶ外国人が増えています。そうした中で、日本文化の影響をしっかりと受け入れながらも、フランス式の発想をきっちりと持ち続けて、それを見事に日本語で表現してくれたのです。
彼女たちも、日本語の使い手となって、世界で活躍する日が来るでしょう。
そして、日本語を書く中で、この字に振り仮名を付けて「嬲(まも)る」と書く機会が生まれれば、日本人が作った訓読み、国訓ならぬ、フランス人作の仏訓(ふつくん)として、知られ始めることでしょう。それを、他のヨーロッパの人たちがしっくりと感じて使うようになったならば、さらに欧訓というものになることでしょう。
私はこれまで、中国や日本などの文献を大量に見てきました。また、東アジアの人たちと、漢字についてたくさんの意見交換をしてきました。
今年になって初めて、漢字のもつ新たな可能性というものを、パリというフィールドに赴くことで、見つけることができたのです。

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