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「クルド独立住民投票の波紋」(視点・論点)

日本エネルギー経済研究所 主任研究員 吉岡明子

 イラク北部のクルド人の自治区で、イラクからの独立を問う住民投票が9月25日に行われました。当日の投票率は72%、賛成票の割合は93%に達したと発表されています。しかし、独立に向けて動き出すことに対して、イラク政府はもちろん、周辺国や国際社会も強く反対しています。この住民投票の背景とクルドの独立問題についてお話ししていきます。

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 クルド人とは、現在のトルコ、イラン、イラク、シリアのあたりにまたがって居住し、周辺のアラブ人やトルコ人などとは異なる独自の言語や文化を持っています。第一次大戦後に現在の中東諸国の国境線が引かれた時、クルド人は独自の国を得ることができず、それぞれの国の中で少数民族となり、そして基本的には、それぞれの国の中で、中央政府に対してクルド人の権利や自治を求めてきました。現在のクルド人の総人口は3000万人程度で、そのうちイラクには500万人以上が暮らしています。

 イラクにおいてクルド人は、1960年ごろから本格的な反政府ゲリラ闘争を開始し、中央政府に対する武力衝突や和平交渉を繰り返してきました。その過程で、当時のサダム・フセイン大統領は、民間人を含めたクルド人の大規模な無差別虐殺を行い、一部の村では毒ガスを使って数千人を殺害したことが知られています。

クルド人がイラクで自治区をもつに至った最初のきっかけは、1991年の湾岸戦争でした。湾岸戦争直後にイラク各地で民衆蜂起が起こった際、一度はイラク軍が反乱を鎮圧しましたが、その際、再び毒ガスが使われるのではないかと恐怖にかられたクルド人は、一斉にトルコやイランの国境に向かって逃げ出しました。しかし、国境を越えられず、行き場を失った難民の苦境が国際社会で注目を集めたことにより、初めて国際社会がクルド人の人道危機に対して介入しました。その結果、フセイン政権は北部のクルド人が多く住む一帯から撤退し、そこが事実上の自治区となりました。

2003年のイラク戦争によってフセイン政権が倒されると、イラクでは新しい政治プロセスが始まり、新しい憲法が起草されました。その中で、クルド人がそれまで得てきた事実上の自治区は、法的に認められた公式な自治区となりました。

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そこでは、すでにイラク政府の手を離れていた地域を再びイラク国家と統合するため、自治区の現状を追認する形となり、クルド人がそれまでに築いてきた、独自の政府、議会、政党、法律、裁判所、警察、軍隊などの組織をそのまま保持する形となり、「事実上の国家」とも言える高度な自治を手にすることになりました。

しかしながら、自治区の境界を巡る領土争いや、イラクの主要な天然資源である石油を輸出する権利、イラク国内の予算の分配などをめぐって、自治政府とイラク政府との間では、解消されない問題が積み重なり、様々な対立を引き起こしてきました。

そして、イラクは2014年に、過激派組織ISがモスルを陥落させ、イラクの領土の3分の1を占領するという国難に直面します。このISとの戦いの過程で、クルド人自治区の軍隊ペシュメルガは、それまでイラク政府と帰属を争ってきた係争地を、ほぼ手中に収めることに成功しました。そして、ISと戦える有力な地上部隊として国際社会の評価を得たことや、この頃からトルコ経由で石油を輸出するためのパイプラインが稼働し始めたことなどを背景に、自治区の幹部は、もはや自治区という枠組みでイラクに留まるのではなく、将来的に独立国家となることを目指す、と公言するようになります。民族自決の権利という普遍的な価値を掲げ、第一次世界大戦後に得られなかった主権国家を、今こそ手にしようと動き出したのです。

私は先月、現地でこの住民投票の様子を見てきたのですが、投票日の直前、自治区の中心都市で行われた大規模な投票キャンペーンの集会には数万人の人々が集まり、非常に大きな盛り上がりを見せていました。

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自治区では独立を支持する声が圧倒的に多く、投票日には、民族衣装を身につけたり、クルドの旗を持ったりした人々の姿の目立ち、夜には花火が上がるなど、お祭り騒ぎの様子でした。

しかし、この住民投票に対して、米国を始めとする国際社会は強く反対してきました。理由は、まだISとの戦いが完全に終わっていないタイミングで、かつ、イラク政府の反対を押し切って住民投票を行うことは、イラク国内や中東地域における新たな不安定化要因になりかねないためです。

ただ、クルドの自治政府、とりわけ住民投票を主導した与党の間では、これまでイラク政府と何度も話し合いを重ねてきたが、結局問題は解決されなかったという失望があります。ですから彼らは、住民投票を行うことで、独立賛成が圧倒的多数というクルド人の民意を盾に、あくまでも独立というゴールに至るための話し合いをイラク政府としたいと考えています。また、住民投票のタイミングについても、国際社会には、主権国家の領土的一体性を重視するという規範が存在する以上、クルドの独立に対して良いタイミングなど今後も来ない、という思いがあり、それが今回、反対を押し切ってでも住民投票を行うという決断に至ったと考えられます。

住民投票が強行されたことに対して、特に強く反発しているのは、トルコやイランなどの周辺国です。トルコもイランも、イラクと同様に国内に少なからぬクルド人人口を抱えていて、住民投票の実施によって、国境を越えてクルド民族のナショナリズムが広がることを懸念しています。ただ、クルド人の状況は国ごとに大きく異なり、イランやトルコでは、クルド人が自治区を持っているわけではなく、独立問題がすぐに飛び火するような状況ではありません。それでも、内戦中のシリアでは、クルド人が自治区を形成しつつあり、そこにトルコの反政府クルド組織が強い影響力をもっていることも、トルコは懸念しています。

他方でトルコは、自国内のクルド組織と対立する一方で、イラクのクルド自治区とはこれまで良好な関係を築き、様々な経済権益を得てきました。自治区が経済的に自立できる見通しを持っているのも、トルコ経由で石油が輸出できているからに他なりません。したがって、イラク・クルド人が自治区から独立国家に至ろうとすることをトルコが最終的に許容するかどうかは、今後、独立問題の重要なカギとなります。

また、イラクのクルド人が独立を実現するには、イラク政府との交渉と同意が不可欠です。しかし、ISとの戦いが終盤に入り、これから国土の再建に取り組んでいこうとする機運が強い現在のイラクでは、国家を分裂させようとするクルド人への反発は強く、住民投票の結果を前提とした交渉を行うことを拒否しています。イラク戦争後、憲法に明記された自治区という存在にクルド人も同意したはずだという思いや、自治区はあくまで特例であり、基本的にはイラクは中央集権型の国家が望ましいと考える国家間の違いが根底に存在し、感情的な対立にもなっています。

住民投票を実施した後、2~3年の交渉期間を経て独立国家に至る、という自治政府が当初描いていた楽観的な見通しは、イラクや周辺国の反発によって、実現が困難になっています。しかし、クルド人の自治区ができてからすでに四半世紀が経っており、住民投票の結果が示すように、イラクに留まることを支持する声は自治区では皆無になりつつあります。近い将来には実現せずとも、独立を目指すという、イラク国家の枠組みへの挑戦は、今後も続くことでしょう。

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