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「スポーツは日本に新しい時代をひらくか」(視点・論点)

スポーツ評論家 玉木正之

 今日は「体育の日」です。
「体育の日」は、皆さんご存じのように、1964年の東京オリンピックを記念して、日本国民の誰もが広くスポーツと親しむことを目的に制定されました。
 実は今、この50年以上続いた「体育の日」の名称を「スポーツの日」に変更しようとする法案の準備が進んでいます。

というのは、今から6年前の2011年、それまで半世紀以上も変更なく存在していたスポーツ振興法が改定されスポーツ基本法が生まれました。以前のスポーツ振興法も、1964年の東京オリンピックをきっかけにして、制定されたものでしたが、アマチュア・スポーツだけを対象としており、プロスポーツについては触れられず、パラリンピックの障害者スポーツも、スポーツと言うよりリハビリテーションと考えられ、スポーツとしては取りあげられてはいませんでした。またスポーツは、「体育」と捉えられ、学校教育的な要素が色濃く反映されたものでした。
 改めて言うまでもなく、スポーツは体育とイコールの概念ではありません。
 例えば、古代メソポタミア文明に起源を求めることのできるフットボールの歴史――サッカーやラグビーやホッケーの歴史は、ローマ帝国、中世ヨーロッパからイギリスの産業革命までの歴史と密接な関わりを持っています。また古代メソポタミアのフットボールは、アジアの東の国々へも「毬打ち」の文化としえ伝えられ、飛鳥時代の大和朝廷でも、中大兄皇子や中臣鎌足が打鞠(くゆるまり)として楽しんだ、ということが、『日本書紀』にも記されています。
 また、イギリスで生まれたあと、アメリカに伝わり、ルールが完成されたベースボールの歴史や、アメリカ東部の大学を中心に生まれたアメリカンフットボールの歴史、アメリカ東部のYMCAでルールがつくられたバレーボールやバスケットボールの歴史などは、アメリカの建国と発展の歴史と密接な関係があります。
 そのような人類の文化としてのスポーツの歴史は、明治時代に嘉納治五郎が柔術を発展させて柔道を創りあげた歴史とともに、スポーツの知的な側面――つまり知育の要素を示しているものと言えます。
 そして、スポーツに、徳育の要素もあることは、スポーツマンシップという言葉の存在を示すだけで、十分でしょう。
 つまりスポーツは、体育だけでなく、知育も、徳育も含む、人間の全人的成長に関わっている素晴らしい文化と言うことができるのです。
 スポーツとは、もともとラテン語のデポルターレ―日常の労働から離れた非日常的な時空間、つまり、遊び、娯楽、レジャーなどを意味する言葉だったのですが、それがディスポルト、スポルト、スポーツと変化したもので、多くの民族にとっては、自分たちの言語に存在しない言葉だったため、スポーツという輸入された言葉を、そのまま使うようになりました。
 そこで、我が国でも、1964年の東京オリンピックから約半世紀を経て、すでに多くの人々が日常的に使用している「スポーツ」という言葉を積極的に用いて、身体を鍛えることが中心の体育だけに留まらない、スポーツの大きな価値を再認識しようということになったのです。
 もちろん、青少年の身体を鍛えるといううえで、体育も極めて重要な教育といえます。が、スポーツにはさらに大きな意味があります。体育は、先生の指導に従って、身体を鍛えたり、身体を使う技術を磨きます。
 が、スポーツは、自主的に、自発的に、主体的に、という姿勢が何よりも基本になります。経験と知識が豊かなコーチのアドバイスを受けることは、もちろんありますが、コーチとは、もともと「馬車」という意味で、プレイヤーを目的地まで運ぶのが役割です。その目的地を決めるのは選手、プレイヤー自身であることが基本です。
 この基本姿勢は、練習だけでなく試合でも同じで、プレイヤーである選手は、自分が何をするべきか、自分が何をしなければならないのか、どう判断するのか……などを、自分で自主的、自発的に考えなければなりません。そういう能力は、スポーツ・インテリジェンス――SI(エスアイ)という言葉で表され、現代社会のビジネスや政治や教育的判断などの、あらゆる局面で要求される要素とも言えます。
 1964年の東京オリンピックの頃は、高度経済成長の時代で、体育会系のモーレツサラリーマンが、体力と根性を武器に、ガムシャラに仕事をすれば、それなりの成果を得られた時代とも言えました。
 が、バブル経済の崩壊やリーマンショック、長期のデフレなど、大きな経済危機を経験したのち、現在は、ガムシャラの通じる時代でなく、自主的、自発的に、自ら計画を立て、いろんな人の助けを借り、プロジェクトチームを組みながら、目標をクリヤーする時代――すなわちスポーツ・インテリジェンスを発揮する時代とも言えるのです。
 そういう時代の変化に伴って、スポーツそのものに対する考え方も。大きく変化してきました。
 かつては、「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーが、スポーツの3要素とも言われました。が、ドイツの哲学者で、1960年のローマ・オリンピックでのボート競技の金メダリストでもあるハンス・レンクは、その3つの要素だけで現代のスポーツを語るのは不十分だとして、「より速く、より高く、より強く」に、「より美しく」と「より人間らしく」の2つの要素を加えることを提案したのです。
 これは、新しい時代のスポーツの価値を判断する基準として、素晴らしいものに思えます。
 たとえば、最近、桐生祥秀選手が、100m9秒98という日本人初の9秒台の記録を樹立しました。が、日本の400mリレーは、その記録以上に、世界選手権やオリンピックで、銀メダルにも銅メダルにも輝く結果を残しています。
 それはひとえに、バトンパスの見事さという日本人の「美しく」「人間ならでは」の技術力を示したものと言えるでしょう。
 また世界陸上選手権では、直立二足歩行を行う人間にしか不可能な競技である競歩で、日本人選手が2位と3位の成績を残しました。
 さらに、多くのパラリンピック選手――パラリンピアンたちが、リハビリテーションとしての体育として身体を動かすのではなく、一人の人間として、スポーツ競技のアスリートとして、注目を集めるようになってきています。
「体育」一辺倒だったスポーツに対する考え方が、「スポーツ」という新たな広がりを見せ、「体育の日」が「スポーツの日」にかわり、「国民体育大会」も「国民スポーツ大会」にかわり、「日本体育協会」も「日本スポーツ協会」にかわる。そして、「より速く、より高く、より強く」と言われていたスポーツも、「より美しく、より人間らしく」と変化する。
 そんななかで、3年後には、2度目の東京オリンピック・パラリンピックが開催されるのです。体育からスポーツへ。より美しく、より人間らしいスポーツへ。それが2020年東京オリンピック・パラリンピックの最大のレガシー――遺産になると私は思っています。

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