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「地名の古層をさぐる」(視点・論点)

文筆家 伊東 ひとみ

日本には何百万という地名があるといわれています。古いものから新しいものまで、この日本列島の大地の上には、成立年代も誕生の経緯もまったく異なる多種多様な地名がひしめき合っています。
平成の大合併の折には、歴史的な地名のかわりに多くの新地名がつくられ、ひらがなやカタカナを使った地名も生まれました。どれも、わかりやすさやイメージを重視した“平成風”のセンスが特徴的な創作地名です。

しかし、地名というのはなかなか一筋縄では行かないもので、ほんの数文字の小さな言葉なのに、その由来を探ってみると、見かけからは想像できないほどに、奥深い広がりをもっています。民俗学者柳田国男の研究などでも明かされたように、土地の名前には人々の記憶や情緒が地層のように積もり、さまざまな時代の層ごとに、その地に暮らす人々の心のありようや文化が凝縮されているのです。「地名は無形文化財だ」と言われる所以です。
ただし、地名をじっと眺めているだけでは、そこに埋め込まれている「名づけの理由」にアクセスすることはできません。たとえば、『古事記』や『日本書紀』にも出てくる「対馬」のように古代から脈々と続いている地名がある一方で、あたかも古くから伝わるように見えるのに意外に新しい地名もあります。愛知県の「蒲(がま)郡(ごおり)」は、じつは明治の大合併の際に、宝(ほ)飯(い)郡蒲(かま)形(がた)村の「蒲」と西(にし)之(の)郡(こおり)村の「郡」を合成してつくられたものです。外見を眺めただけでは、その地名が長い歴史を背負っているかどうかさえも、容易には見分けがつかないのです。
山梨県韮(にら)崎(さき)市の「清(せい)哲(てつ)町(まち)」、長野県安曇(あずみ)野(の)市の「豊(とよ)科(しな)」なども、大胆な合成法によって明治期に生まれた地名です。「清哲」は、「水(みず)上(かみ)」「青木」「折居」「樋口」という合併した四村の名前から、「水上」の「水(サンズイ)」と「青木」の「青」を合わせて「清」、「折居」の「折」と「樋口」の「口」を合わせて「哲」として、その名がつくられました。
また「豊科」は、六つの村が合併してできたのですが、村名に含まれる「鳥羽」「吉野」「新田」「成(なり)相(あい)」という語の、頭の一音ずつをとって「ト・ヨ・シ・ナ」と順番に並べたもの。漢字は単なる当て字です。ただ、やみくもに字を当てたわけではなく、信州には蓼(たて)科(しな)、倉(くら)科(しな)、仁(に)科(しな)など「科」のつく地名が多いことを踏まえて、その文字が使われています。
これらは中央の政策によって地名が大々的に改変させられた事例ですが、じつは、そうした大改変は近代だけに限ったことではありません。後世に多大な影響を及ぼした地名政策の最たるものと言えば、奈良時代初めに出された、いわゆる「好字二字令(こうじにじれい)」が挙げられます。国・郡(こおり)・郷(さと)の名称を好字、つまり良い字に変えるよう命令したもので、「二字にせよ」とは言明されてはいませんが、この頃から一斉に地名が二字化されたことがわかっています。今でも地名に漢字二文字のものが多いのは、これに起源があります。
それにしても、それまでは一字もあれば三字や四字もあった地名が、いきなり二字に改められたのですから、無理も生じます。たとえば、北関東に「毛(け)野(ぬ)の国の上下」という意味で「上(かみつ)毛(け)野(ぬ)の国」「下(しもつ)毛(け)野(ぬ)の国」と呼ばれていた国があったのですが、二字化政策で「毛」が省かれて「上野」「下野」という表記になりました。ところが、漢字は「毛」が抜けたのに、読みは「け」が残って「ぬ」のほうが抜け、それぞれ「かみつけ」「しもつけ」に。漢字表記と読みがズレた難読地名になってしまいました。
ほかにも、「近淡海の国」が「近江の国」に改変され、読みは「ちかつあわうみ→ちかつおうみ→おうみ」となったり、「木の国」が「紀伊の国」になったり、強引に好字二字化された例は枚挙にいとまがありません。
そもそも、自前の文字を持っていなかった日本では、コトバは長らく声のみで伝えられてきました。やがて異国の文字である漢字が導入され、コトバは漢字の音を借りて表記されるようになりました。しかし漢字は表意文字。単なる音として用いても、漢字からは意味の気配が立ちのぼり、いつしか独り歩きを始めます。文字を与えられた地名も、律令国家の政策の圧力で変形させられたのみならず、その後もさまざまな偶然をはらんで漢字表記や読み方を変化させ、いつの間にか原形がわからなくなってしまった古地名も少なくありません。
栃木県の「日光」も、ダイナミックに変貌した地名の一つです。もともとは、日光東照宮の隣に鎮座する二(ふた)荒(ら)山(さん)神社の「二荒(ふたら)」が「日光(にっこう)」の原形です。「二荒」は、訓読では「ふたら」ですが、音読すると「ニコウ」。そこで、それに「日光」の字が当てられて「ニッコウ」と呼ばれるようになったのです。さらに一説によれば、「ふたら」は観音菩薩が住む山とされる「補陀洛(フダラク)」が訛ったものともいわれています。この「フダラク」自体、サンスクリット語の「ポタラカ」の音訳ですから、そうなると、「日光」という地名の下には、いくつもの名前が重なって隠れていることになります。
さらに、文字導入以前から使われていた地名について考えてみると、古地名の中には、弥生時代や縄文時代に生まれ、さまざまな困難を乗り越えて何千年という寿命を永らえてきたものがあります。たとえば、関東地方から東北地方にかけて分布する「ヤツ」「ヤト」は、縄文時代に生まれた地名ではないかといわれています。この言葉は古い東国方言で、谷合の低湿地を表しているのですが、文字化される際には、「湿地」ではなく「山の低く窪んだ所」を意味する「谷」という漢字を用いて「谷津」「谷戸」などと表記されることが多かったようです。
東日本には、「ヤツ地名」だけでなく、「渋谷」「四谷」「越谷」など、「谷」を「や」と読む地名が偏在しています。ところが、西日本では「たに」と読むことがほとんどで、大阪府池田市の場合、「渋谷」は「しぶたに」と読みます。西日本の「たに地名」は、地形的に見ても、この漢字本来の字義に沿っているものが多いことから、「たに」は「や」より新しく、弥生時代になって、渡来文化の影響を受けた稲作農耕民のもとで使われるようになった語ではないかと考えられます。
私たちが地名を口にするとき、それと気づかなくとも、この列島の大地に養われてきた先人たちの声がそこに低く響いているのです。地名について思いを馳せることは、私たち日本人の「心の古層」を見つめること。社会のあり方、人間のあり方が問われている時代だからこそ、地名に込められた「名づけの意味」を考えてみることが大切なのではないでしょうか。

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