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「時間とは何か? ~言葉で迫る~」(視点・論点)

佛教大学 教授 瀬戸 賢一

「時間とは何か?」は、永遠の問いのひとつです。これに言葉の側から迫ってみましょう。ふだん私たちは、頭の中で時間を、どのように理解しているでしょうか。

まず、時間は、触れることができません。ふつう絵にも描けません。抽象的な言葉だからです。それでも意味はあります。たとえば、『広辞苑』の定義は、こうです。「時の流れの二点間(の長さ)」。みなさん、この定義のここに注目してください。「流れ」「二点」「間」――「あいだ」ですね――それに「長さ」。
これらは、すべて空間の言葉です。驚くべき事実がここにあります。時間の意味を、すべて空間の言葉で説明しています。
一般に、抽象は具象に置き換えて理解します。このときに働く言葉の仕組が、比喩です。とりわけ、何か似ている具体的なものに喩える比喩。これをメタファーと呼びます。時間を空間に喩えるのは、メタファーの典型例です。
これもまたびっくりすることですが、世界中の言語――だいたい五千ぐらいあると言われていますが――そのすべてにおいて、時間は空間の言葉で表現されます。この逆ではありません。
もうひとつ、注目すべき事実があります。世界中の言語が、わかっている限り、時間を「動くもの」ととらえる点です。「流れ」はその代表ですね。では、時間はどの方向に流れるのでしょうか。
百人に尋ねますと、九十九人が、時間は、過去から未来に流れると答えます。しかし、ことばの証拠を集めますと、時間は未来から過去に流れます。
時間の流れを知るために、桃太郎の話を思い出してください。川上の方から大きな桃が、流れてきます。川の上流が未来、下流が過去に相当します。桃は川の流れに乗る出来事と考えましょう。これから起きる出来事が、未来から流れてくるわけです。

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こちらをご覧ください。
「夏休みがもう過ぎてしまった」、あるいは「もうすぐ東京オリンピックがやって来る」。夏休みやオリンピックが桃に相当します。右手が未来、川の流れは時間そのものです。その過ぎ去る方向、左手が過去。
一言付け加えますと、過去が、流れる時間の前方です。だから、「十年前」「以前」「この前」と言うのです。この見方に従うと、未来は後ろで、「十年後」「今後」などと表現します。
では、次に、これをすべて逆転させる図を考えましょう。

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図を見ます。
今度は、時間が、大地のように動きません。動くのは人。このとき、人は過去から未来に向かいます。こうなると、未来が前方で、過去は後方です。
「前途有望」という表現は、未来を前方に見据えます。「過去を振り返る」は、過去を後方に見ます。日本語も英語も、同じ見方を共有します。
では、先の「動く時間」の図と、いまの「動く人」の図を合成しましょう。矛盾することなく合体できます。
ちょうど空港などの動く歩道を、逆向きに歩む図を想像してください。外から見るとあなたは一歩も進んでいません。あなたの足元はいつも現在です。

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合体させた図をご覧ください。これでわかるように、あなたは、前方の未来に向かって歩み続け、未来からはいろいろな出来事が、時間のベルトに乗って、あなたに近づいてきます。そして、やがて過去に過ぎ去ります。
これが、おおよそ私たちが頭に描いている時間の流れのメタファーです。時間が未来から過去へ流れる、ということが、お分かりになりましたでしょうか。
時間のメタファーに関しては、もうひとつ、私たちの生き方に直結するメタファーがあります。こちらの方が、より重要です。「時は金なり」。タイム・イズ・マネー。いま、これが、ほとんど全世界を覆うメタファーとなっています。
どういうことでしょうか。時間=お金の比喩なので、お金の言葉で時間を語ります。たとえば、「お金を使う」ように「時間を使う」、「お金を浪費する」ように「時間を浪費する」、「お金は大切」なので「時間は大切」などのように。

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図で説明しましょう。
お金のさまざまな側面についての言葉を、どんどん時間の側に写していくのです。いまでは、お金そのものも売買されます。そこで、「時間を買う」という表現も広がりつつあります。
これは、放っておくと、どうなるのでしょうか。時間の意味は、お金に絡めとられて、ますます忙しい、窮屈な、せちがらい世の中になっていかないでしょうか。
ドイツの作家ミヒャエル・エンデは、このことをはっきりと意識して、『モモ』というファンタジーを書きました。そこは、タイム・イズ・マネーがさらに強化された近未来。なんと時間貯蓄銀行まで存在します。「時間は大切だ、時間を節約しよう」のスローガンの下、時間泥棒として登場する灰色の男たちが、人から時間を次々と巻き上げて、どんどん世の中にはびこっていきます。
奪われた時間を取り戻してくれるのは、「時は金なり」のメタファーから自由な女の子モモと、ゆっくりと歩む亀のカシオペイアです。
しかし、二十一世紀のいまの社会はどうでしょうか。ブラック企業、派遣労働の拡大、過労死。かつてのフリーターのような、時間と自由に付き合う遊民は、ほぼ姿を消しました。実際には、モモもカシオペイアもいません。
企業とて苦しいのはわかります。全世界が、タイム・イズ・マネーのメタファーに牛耳られているからです。その締め付けは強まる一方です。
すでにお気づきでしょう。たかが比喩、たかがメタファーではないのです。メタファーは、ことばの飾りではなく、しばしば、私たちの思考そのものなのです。知らないうちに、私たちの考え方を決定してしまうのです。
では、その呪縛を解くには、どうすればいいでしょうか。
そのひとつの手段は、「時は金なり」のメタファーを入れ替えることです。
時間は命
これは、エンデの『モモ』の中に出てくる言葉です。これに従えば、たとえば、「時間は大切」の解釈も、これまでとは異なります。時間は、お金のように大切なのではなく、命のように大切、と理解されるからです。
この新しいメタファーは、しかし、そう簡単に普及しないでしょう。それには、社会・経済構造を変えていかなければなりません。いつまでも右肩上がりの経済成長を願うのではなく、持続可能な定常経済に徐々に移行できるように、地球号の舵を大きく切らねばならないからです。
新しいメタファーは、新しい世界観、新たな生き方と歩調を合わせます。
日本は、すでに人口減少期に入りました。二十一世紀の後半に向けての制度設計をするには、いままでとは異なる世界観が必要です。そのとき、重要な役割を担うのは、新しいメタファーです。時間は、命のように大切なものだ、という時間のとらえ方を、ゆっくりと育てていきましょう。
 まとめますと、言葉による時間の理解には、二つの大きなメタファーがありました。ひとつは「時間は流れ」、もうひとつは「時は金なり」です。このうち、「時(とき)は金なり」は、今後、「時間は命」のメタファーに道を譲っていくべきではないかと述べました。
比喩としてのメタファーの重要性に、気づいていただければ、幸いです。

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