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「人工知能は脳を超えるのか?」(視点・論点)

東京大学 教授 合原 一幸

今日は、人工知能、AIは、人間の脳の知能を超えるのか?という問題を論じてみたいと思います。

最近、AIに関する情報が、毎日のように報道されています。特に将棋や囲碁のAIがとても強くなって、トップレベルのプロ棋士も勝てなくなってしまった事実は、大勢の人たちに衝撃を与えました。
そして、このようなAIの進歩により、それほど遠くない将来に、AIが脳の知能を超えるのではないか?という問題が真面目に論じられるようになって来ました。これにかかわる論点を、ちょっと難しい言葉ですが、技術的特異点もしくはシンギュラリティの問題と言います。まず押さえておきたいのは、個別の能力で人間を超える機械が存在するのは当たり前で、だからこそそれらの技術の存在価値があるという点です。たとえば、18世紀のワットの蒸気機関の発明は、動力に関して、人間どころか馬の力をも凌駕して、産業革命を先導しました。

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人間の脳の機能に関しても加減乗除の四則演算や論理式の計算能力に関しては、デジタルコンピュータは人間よりもはるかに高速で正確な処理能力を早い時期から発揮していました。さらには、手塚治虫さんの「鉄腕アトム」に関しても、暗い中でものを見る能力や小さな音を聞き取る能力などは、すでに実現されています。このように、脳が有する個別の能力に関しては、コンピュータやAIなどにとっくに抜かれている例は多い訳です。
したがって、AIが脳を超えるのか?という問題は、その問いの内容にもよることになります。脳は実に様々な能力を持っているし、学習によってまったく新しい能力も獲得し得ます。ひとつの問い方は、個別の能力をきちんと定義して、その能力に関して、AIが脳を超えるかいなかを問うという方法です。たとえば、チェス、将棋や囲碁、さらには様々なゲームなどは、基盤となるルールが不確かさなく明示されるので、AIにとって比較的容易なタスクでした。
他方で、予想外の出来事が起こりうるような、時々刻々変化する開かれた環境下での情報処理は、AIにとって容易ではありません。したがって、一般道を完全な自動運転で走る車を実現出来るかどうかは、AIの進歩を判定する重要な試金石になります。さらには、脳の知能をまるごと実現するAIを目指す研究者もいます。日本では1990年代から、「脳を創る」という領域が活発に研究されてきたという歴史があるので、この問題の難しさはよく理解されています。
たとえば、心臓と脳を比較すると、この問題の困難さがよくわかります。心臓と脳はともに、科学的にも臨床医学的にもとても大切な対象です。心臓は心筋細胞、脳は神経細胞から主に出来ていますが、どちらの細胞も電気的な活動を生み出すという意味で共通の性質を持っています。それゆえ、ともに数学的にはよく似た形式でモデルを作ることが出来ます。

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心臓全体の働きは血液を送り出す一種のポンプとして理解できるので、説明すべき機能が明快なため、優れた心臓の大規模シミュレータが構築され、また人工心臓も実用化されてきています。これに対して、脳全体の情報処理の仕組みはほとんど未解明なので、したがって神経細胞レベルでは優れた数学モデルを作れても、それをどうつなげて実際の脳全体の知能にせまればいいのかは、今日でも依然として手がつけられない問題です。
人間の脳は1000億個の神経細胞から出来ていると言われています。このような大規模な脳のシミュレータをスーパーコンピュータを使って作ることは不可能ではありませんが、そのようなものを現時点で作っても、おそらくあまり有効ではありません。そもそも脳全体の知能をどのように具体的に記述すればいいのかすら、きちんと定義できていないからです。これが、脳の情報処理解明の難しさです。
情報処理システムとしての脳の大きな特徴は、デジタル的情報処理とアナログ的情報処理の共存と融合です。さらには、神経細胞と神経細胞の間の情報伝達は、化学物質を介して行われるので、脳は電気的のみならず化学的な情報処理システムでもあります。
このようなアナログとデジタルの混成系である実際の脳に対して、シンギュラリティなどの議論では、脳をデジタル的にとらえる傾向があります。そして、もしも脳がデジタルシステムとして記述出来るならば、デジタル技術の進歩に伴って、いつかは脳に手が届く可能性が出てきます。しかしながら、脳はデジタルとアナログの混成系なので、単純にデジタル情報処理システムとしては表現出来ないのです。
アナログは、デジタルでいくらでも精度よく近似出きるのではないかと思われるかもしれませんが、実はこのようなデジタル的近似すら拒む現象が脳にはあります。神経細胞や脳のカオスと呼ばれる複雑な振る舞いです。このカオスの存在は、数学的には1,2,3,4, ...と数えられる無限よりも、さらに大きな無限性を内在しているため、デジタルでは近似しきれないことになります。
このように、AIが脳全体の知能を超えるのか?という問題に肯定的に答えるのは難しいように思われます。他方で、脳の個別の知能という意味では、これからもAIの進歩に大いに期待出来ます。たとえば、現時点で脳科学的にも深い研究が可能で、ロボットや自動運転などの応用上も重要な脳の高次機能として、選択的注意があげられます。
脳にはこの選択的注意機構があるため、複雑な環境の中で、状況に応じて、適切な対象に選択的に注意を向けて、様々な問題を次々にリアルタイムで解決することが出来るのだと思われます。
さらに、人間の脳で大いに発達した
大脳皮質固有のネットワーク構造は、視覚や聴覚といった異なる感覚に関しても同様な構造で情報処理が行われているので、汎用の人工知能を目指す上で重要性が高いと考えられます。その上、センサー技術や IoT 技術の進歩で、今や人間や生物の感覚を超えた様々な情報が検出できるので、もしもこれらを処理する人工の「大脳皮質」が出来れば、応用上大きな能力を発揮するはずです。そしてこのようなAIは、脳が検出できない信号を処理するという意味で脳を超えます。人工知能は脳を超えるのか?という問題に現時点で明快に答えることはできません。
しかし、少なくとも個別の能力で脳を超えるAIが今後も次々と生み出されることは、どうやら確かなようです。とても刺激的な時代になってきたのだと思います。


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