NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「父と息子の歌」(視点・論点)

東京大学 教授  渡部泰明

 今日は『百人一首』の中から、藤原基俊が詠んだ一首を取り上げてお話しいたします。

s170721_01.jpg

 契りおきしさせもが露をいのちにてあはれ今年の秋も往ぬめり

 藤原基俊は、十二世紀前半前後を代表する、有名な歌人です。「約束しておいたさせも草の露を命綱にしていたが、ああ、今年の秋も過ぎてしまうようだ」という意味の歌です。この一首だけを見たら、どんな状況で詠まれた歌だとお思いになるでしょうか。「契りおきし」つまり「約束しておいた」とありますが、どんな約束なのか、これだけではよくわかりませんが、普通「契り」といえば男女間の恋愛の約束のことですから、これも、秋になったらお会いしましょうと約束していたのに、その約束が破られて、秋が過ぎてしまったではありませんか、と恨み言を言っている歌ではないか、と想像することができます。歌だけ見ると、まるで恋の歌に見えるのです。ところが、実際には恋の歌などではありません。この歌は、藤原俊成の編集した勅撰集である『千載和歌集』に選ばれていますが、その詞書、つまり歌の前書きには、こう記されています。

s170721_02.jpg

律師光覚、維摩会の講師の請を申しけるを、たびたび漏れにければ、法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、「しめぢの原の」とはべりけれども、又その年も漏れにければ詠みてつかはしける(千載集・雑上・一〇二六)

 光覚という僧侶が、奈良の興福寺で行われる維摩会という盛大な仏教儀式の講師という役職を担当できるよう、何度も申請していたが、採用されなかったので、法性寺入道前太政大臣、すなわち藤原忠通という当時の権力者に恨み言を言ったところ、「しめぢの原の」という答えだった。「しめぢの原の」というのは、任せておけ、という意味です。どうして任せておけ、という意味になるかというと、「しめぢの原の」が、
  なほ頼めしめぢが原のさしも草わが世の中にあらむ限りは
という、清水寺の観音様が詠んだとされる和歌に基づいているからです。

s170721_03.jpg

第二句に、「しめぢが原の」とありますね。しかし言いたいことは、初句の「なほ頼め」の方です。「やはりあてにしておきなさい」、つまり「任せておきなさい」と言いたいわけです。ところが、またその年も維摩会の講師に採用されなかったので、光覚の父親である基俊が、この和歌を詠んだ、という事情が明らかになります。講師というのは、法会で高座にのぼって経典を講義する役目で、維摩会の講師を務めるというのは、大変に名誉なことでした。名誉なだけではなく、さらに僧侶として出世していくための重要なステップでした。つまり、藤原基俊は、自分の息子の出世のために、和歌を通じて浅からぬ関係にあった、権力者藤原忠通とのコネクションを生かして頼み事をし、色よい返事を得ていたにもかかわらず、今年も上手くいかなかった、そのことを忠通に嘆き訴えた歌だということがわかるのです。いつの時代も、こどもの出世を願う親の気持ちは変らないものだ、と思わざるをえません。ずいぶん俗っぽい嘆きだなあ、とお思いになるでしょうか。でも、こんな人間くさい、込み入った事情にまつわる願望を、まるで恋の歌のようなみやびな言葉で表現できることが、和歌の魅力の一つであることは間違いありません。

 さてここで、少しこの歌をめぐる人間関係について整理しておきましょう。

s170721_04.jpg

この「契りおきし」の歌を『千載和歌集』に選び入れた藤原俊成は、実は作者基俊の弟子にあたります。さらにこれを『百人一首』に選んだ藤原定家は、俊成の息子であり、弟子でもあります。冷泉家として現代まで続く歌の家の継承者です。本来なら、光覚こそ、基俊から歌の家を継いでいたかもしれません。そう考えると、もう少し微妙な事情がこの歌から見えてきます。そのことを考えてみましょう。
 実は俊成が編集した先ほどの詞書には、一つの嘘があるのです。どれが嘘かというと、「維摩会の講師の請を申しけるを」の「講師」という語です。ただしくは、「竪義」なのです。冷泉家に所蔵されている基俊の家集である「基俊朝臣集」をみると、この歌が収められていて、その詞書には、たしかに「竪義」と書いてあります。「講師」と「竪義」とではだいぶ異なります「竪義」は法会において口頭試問を受ける立場の僧侶です。私たち研究者の世界の学会でたとえると、「講師」が著名な学者の講演だとすると、「竪義」は、厳しい質問を浴びせられ、厳格な審査を受ける若い研究者の研究発表だといえるでしょうか。かなり格が違うのです。嘘と申しましたが、俊成が講師を竪義にしたのが、ただのケアレスミスなのか、意図的にすり替えたのか、正確にはその真相は不明です。ただ結果的に、基俊や光覚の格が上がり、印象が良くなったことはたしかです。定家はこの間違いに気づいていたでしょうか。基俊は、俊成・定家親子にとって、大事な人です。私には、この間違いが単なるミスとは思えないのです。私はそこに、基俊が築いた歌の家を自分たちが継いで行ったことへの、罪悪感が滑り込んでいるのではないか、と想像してみたくなります。考えすぎかもしれませんけれども。
 さて、今度はこの歌が恋の歌の趣を漂わせていたことを考えてみましょう。たまたまそうなったのでしょうか。いえ、そうではないと思います。再び基俊個人の家集を見てみましょう。先ほどの冷泉家などに収められた家集とは種類の異なる家集です。そこにこういう歌のやりとりが収められています。

s170721_05.jpg

  あひしりて侍る女、ひさしう音つかうまつらざりしかば、かくいひおこせて侍りし
いかなればしめぢがはらの冬草のさしもならでは枯れはてにけり
かへし
なほ頼めとこそはたれも契りしかことわりしらぬさしも草かな

 つきあいのある女性に長い間無沙汰をしていた、するとその女性からこういう歌が贈られてきた。「どうしてあなたは、しめじが原のさしも草のように、枯れ果て、私から離れていってしまったのですか」と。そこで基俊は、「さしも草」を歌った清水観音の歌のように、「なほたのめ」、つまりあてにしていなさいと言ったではないか、理屈のわからないひとだな、と返歌をしたのです。先ほどと同じ清水観音の歌をもとにしたやりとりです。忠通は、このやりとりを知っていて、それで基俊に「しめぢが原の」と言ったのではないでしょうか。君がかつて女性に答えた歌と同じ気持ちだよ、私のこともあてにしていなさいと。そう考えると、忠通はずいぶん皮肉なことを言ったものです。それで、基俊は、まるで恋の歌のように、恨み言の歌を詠んだのではないでしょうか。あたかもその女性の立場にたったかのように。そう考えると、このやりとりは、お互いの事情をよく理解した上での、かなり親密な対話であることがわかります。
一つの歌に、人生の中でのさまざまな事情や思いが込められていること、そういうことを可能にする和歌の力を感じ取っていただければ、と思います。


キーワード

関連記事