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「働き方とがん対策」(視点・論点)

北里大学 助教 江口 尚

がんは、1981年以降、日本人の死因の第一位です。国立がん研究センターによると、生涯でがんにかかり、死亡する確率は男性が25パーセント、女性が16パーセントと言われています。がんにり患するリスクファクターとして、代表的なものは喫煙があります。それでは、職業別でみるとがんの死亡率はどのようになっているのでしょうか。今回は、働き方とがん対策というテーマでお話をさせて頂ければと思います。

今回、私たちは、2010年の人口動態職業・産業別統計を用いて、25歳から64歳の男性を対象に、肺がん、胃がん、大腸がんで死亡した方の職業を解析しました。肺がん、胃がん、大腸がんは、男性のがん死亡の上位3位です。

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その結果、健康管理が比較的進んでいるとされる「生産工程職従事者」に比べ、これらのがんによる死亡率が「サービス職業従事者」や「管理的職業従事者」は約2.5倍から4倍、「農林漁業従事者」や「専門的・技術的職業従事者」は、2倍から2.5倍で、職業によってかなりばらつきがあることが分かりました。
サービス職業従事者とは、飲食店や旅館などの接客業の方や、理容師や美容師、介護職員などが含まれます。夜勤を伴う交代勤務は、がんの発症と関連していると言われています。サービス職業従事者には、夜勤をする方が多いことから、そのことが関係しているのではないかと考えています。また、最近、受動喫煙の健康影響が話題になっています。特に飲食店や旅館などの接客業で働いている方は、他の職業と比較しても、受動喫煙の影響を受けている可能性があります。私たちは、産業別にもがんによる死亡率を検討しましたが、飲食店、旅館業で働く方々は、製造業で働く方々と比較して、1.30倍から1.50倍となっていました。ただし、飲食店や旅館業で働く方々は、受動喫煙だけではなく、他の産業と比較して、非正規雇用の割合や仕事の対価が低いことが多く、このような相対的に悪い労働条件も結果に影響している可能性があります。
管理的職業従事者、いわゆる管理職は、海外の研究では、非管理職よりも健康状態が良いと言われています。しかし、日本においては、その逆で、管理職の健康状態が、非管理職よりも良くないと指摘されています。その理由としては、一つは、管理職のストレスが増大していることが影響していると考えられます。例えば、バブル経済崩壊後の失われた20年の間で、多くの企業でリストラが行われた結果、日本の管理職の数は、1990年には3.8パーセントだったのが、2010年には2.6パーセントに減少しています。このことは、一人当たりの管理職が管理する部下の数、仕事の範囲が増加していることを意味しており、その結果、管理職のストレスが増大していると考えられます。
専門的・技術的職業従事者、いわゆる専門職には、研究者や、技術者、システムエンジニアなどが含まれます。海外の研究では、専門職は、裁量度があって、自分のペースで仕事ができる職業であるため、その他の職業と比較して、健康状態が良いと考えられていました。しかし、わが国おいては、管理職と同様に、専門職の健康状態は、非専門職よりも良くないと指摘されています。このことは、専門職も短期の結果を求められるようになっていることや、海外と比較して、専門職の裁量度が低いことが関係して、専門職がストレスを感じやすくなっていることが、相対的に高いがんによる死亡率と関係していると考えられます。
農林漁業に従事している方々は、小規模零細企業で、個人事業主の割合が高いことが、今回の結果に影響しているのではないかと考えられます。今回の調査の比較の対象となった工場で働く労働者であれば、就業時間内の健康診断の際にがん検診の機会が提供されたり、がん予防についての教育を受けたり、産業医や産業看護職などから健康指導を受ける機会があります。しかし、小規模零細企業や個人事業主が多い農林漁業従事者の場合には、そのような機会が少ないことが、この結果に影響をしているのではないかと考えています。
このように、それぞれの職業に応じた働き方や職場環境が、職業によるがんの死亡率の差の原因になっていると考えています。
ところで、わが国では、働き方への関心が高まっています。労働力人口の減少が進むわが国においては、これまでは働く意欲や能力があるにも関わらず、健康上の理由や時間的な制約から働く場を提供されなかった子育て中の人や障害や持病のある人に対して労働の場を提供することや、ITや人工知能(AI)といった技術を活用して、一人一人の生産性を上げることにより、社会の活力を維持しようとしています。
一方で、わが国では、なかなか是正されない長時間労働や、正規労働者と非正規労働者の待遇の格差の是正につながる同一労働同一賃金も、依然として大きな課題です。
このような現状から、職場環境へ関心を持たないまま、生産性や残業時間削減のみの視点から働き方改革を進めることは、一歩間違えると、今回お示ししたようながんの死亡率の職業間の格差をさらに深刻にすることになりかねません。そうならないためにも、私は、一人ひとりの労働者が健康に働ける職場環境を作ることにもっと関心を持つべきだと考えています。
私が専門とする産業保健の分野では、もともとは、職業性がんというと、ベンゼンやアスベストなどの有害物質が原因でした。その後、わが国では、急速に職場環境の改善が進み、有害物質を原因とする職業性がんは、ときどき、事件になることはありますが、ほとんど報告されることは無くなりました。
今回の調査は、がんの原因として、職業との関連性に焦点を当て、職業が、がんによる死亡率の差の原因となっている可能性を明らかにしました。しかし、今回の調査は、死亡時の職業との関連を見ているため、がんを発症したことで、職業を変更している可能性があります。この点は留意して結果を解釈する必要があります。また、今回の調査では、がんに関連する他の要因として、年齢のみが統計的に調整されていて、喫煙やその他のがんの発症と関連する要因は調整できていないため、そうした要因についても考慮して検討していくことで、さらに、詳しいことが分かるのではないかと思います。
私たちは、今回の調査が、特に今回の調査でハイリスクとなった「サービス職業従事者」、「管理的職業従事者」、「農林漁業従事者」、「専門的・技術的職業従事者」の働く環境に関心を持つきっかけとなればと考えています。
そのための具体的な対策として、私の産業医としての経験をもとに、次のような提案をしたいと思います。

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がん検診の機会を提供する、交代勤務が不可欠であったとしても、本人の負担が最小限になるように配慮する、できるだけストレスを減らせるように職場環境に配慮する、産業医や産業看護職を活用してより積極的な健康管理を行う、などの対策をとると良いのではないかと思います。また、このような一つ一つの活動は、健康的な職場風土の醸成につながると考えています。個々の具体的な対策は、それぞれの職場の風土によっても変わってくると思いますので、まずは、職場のメンバーでできることを話し合ってみることを提案します。
今後、わが国の社会の活力を維持するためには、働き方改革は避けては通れないと思います。その際には、生産性の向上や、それによる残業時間の制限というだけではなく、がんにかからない、また、がんにかかっても早期に発見できるような、健康に働ける職場環境にも関心を持ってもらえればと思っています。そして、最終的には、職業に関係なく、誰でも健康に働けるような職場環境が醸成されることを願っています。

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