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「揺らぐ財政健全化目標」(視点・論点)

慶應義塾大学 教授 土居 丈朗

6月9日に、ことしの「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる骨太の方針が閣議決定されました。その中で、2020年度の財政健全化目標に関する記述に、関心が集まりました。それは、2019年10月に予定されている消費税率の10パーセントへの引上げを三たび延期する布石、と解釈する向きが一部にあるからです。

そもそも、安倍内閣では、2020年度までに国と地方を合わせた基礎的財政収支を黒字化することを財政健全化目標に掲げています。財政を健全にすることは、極めて重要です。2025年には団塊世代が75歳以上となり、今まで以上に医療や介護で給付のための財源を確保する必要があります。少子化対策も待ったなしで、子育て世帯を財政的に支援するには、借金漬けの財政では支え続けられません。社会保障、教育、安全保障など、何かと財政は物入りで、財政を健全にしておかなければそれらを工面できません。
2020年度までの目標は、これまで基礎的財政収支の黒字化だけでした。ところが、今年の骨太の方針では、次のように記されました。
「『経済・財政再生計画』で掲げた『財政健全化目標』の重要性に変わりはなく、基礎的財政収支を2020年度までに黒字化し、同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す。」
「同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す」と付け加えられたことで、消費税の増税を三たび先送りするのではないかという思惑が一部に出始めました。
確かに、わが国の債務残高対GDP比は、先進国の中でも最も高く、これが財政状況の悪さを物語っています。バブル崩壊以降、国と地方自治体は、借金を重ねに重ねて、歴史的に見ても平時では類をみないほどの借金残高となりました。
これを、経済規模を表すGDPに比して、これ以上膨らませないようにすることで、財政を健全にすることになります。ですから、債務残高対GDP比を引き下げることは、財政を健全にすることを意味します。

しかし、この比率は、分母がGDPで、分子が債務残高です。分母が分子よりも大きく増える、つまりGDPが債務残高より大きく増えれば、この比率は下がります。突き詰めていえば、増税をせず、財政支出を増やして、借金残高は多少増えても、GDPが、それよりもっと増えれば、債務残高対GDP比は下がるので、それでよいではないか、という話が出てきたというわけです。
債務残高対GDP比さえ下がれば、財政は健全化するわけだから、消費税を増税しなくても、債務残高対GDP比を下げる方法を別途考えれば、問題ない。今年の骨太の方針は、安倍内閣がまるでそう主張したいように聞こえます。
債務残高対GDP比さえ下がれば、財政は健全化するわけだから、基礎的財政収支を黒字化しなくても問題ない。果たして本当にそうでしょうか。

そもそも、基礎的財政収支とは、今年の税収などから今年の政策的経費を差し引いた差額です。つまり、基礎的財政収支が赤字の状態とは、今年の政策的経費の財源が今年の税収だけでまかなえず、借金をして将来世代に負担をつけ回している状態です。既にGDPの2倍もの借金をわが国の政府は負っていて、それに加えてまた借金を重ねているわけですから、せめて今年の政策的経費ぐらいは今年の税収だけで、まかなえるまでに収支を改善しよう。そうすることで、これ以上将来世代につけ回す負担を増やさないようにしよう。これが、基礎的財政収支を黒字化するという意味です。

したがって、基礎的財政収支を黒字化できなくても、債務残高対GDP比さえ下がれば問題ない、とはとても言えません。基礎的財政収支を黒字化しないと、今年の政策的経費で恩恵を受ける我々、今を生きる世代が負うべき税負担を、将来世代につけ回し、負担増に苛まれる将来世代は生活の糧を壊されてしまいます。
しかも、債務残高対GDP比を下げればよい、とはいえども、それを成し遂げるのは容易ではないことを見落としています。政府・与党の中には、債務残高対GDP比を下げる目標に取り換えれば、基礎的財政収支を黒字化しないでもよいから、消費税も増税しなくてよいし、公共事業とか支出を増やして財政出動する余裕ができる、と思っている人がいます。しかし、そんなことをしたら、債務残高対GDP比を下げる目標すら達成できません。
債務残高対GDP比を下げられる、と楽観的な見方があるのは、内閣府が出している中長期の試算に基づいています。

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図の赤い線のように、内閣府の試算では、2019年度から2020年度にかけて、名目経済成長率が3.7パーセントから3.8パーセントで推移すると、基礎的財政収支が黒字化しなくても、債務残高対GDP比は2016年度をピークに低下し続ける、としています。この赤い線で表された内閣府の試算でのメインシナリオが、基礎的財政収支が黒字化しなくても、債務残高対GDP比は下げられる、という根拠となっています。これに基づいて、2020年度に到達する債務残高対GDP比を目標数値として掲げたとします。

しかし、このメインシナリオでは、消費税率を2019年10月に予定通り10パーセントに引き上げることが含まれています。消費税率を10パーセントにして入ってくる税収の増加が、試算結果に反映されています。
もし、その消費税率を予定通りに引き上げず、その分税収増が見込めないなら、その分債務残高を減らすことはできず、図の緑色の線のように、目標とする債務残高対GDP比には到達できません。さらには、経済成長率の見通しも、内閣府のメインシナリオは甘いものとなっています。もし内閣府のメインシナリオ通りには経済成長率が高くならなかった場合、図の青い線のように、債務残高対GDP比は低下しないどころか、むしろわずかに上昇することさえ起りえます。

このように、基礎的財政収支を黒字化しなくてよいとして、消費増税も三たび先送り、おまけに財政出動までしてしまえば、債務残高対GDP比は見込み通りに下がらないのです。今や、公共事業予算を増やしても、GDPはそんなに増えません。いわゆる乗数効果は大きくありません。2020年度の財政健全化目標を、基礎的財政収支の黒字化ではなく、債務残高対GDP比の引下げに取り換えたとしても、財政収支を改善する努力なしには達成できません。
対策が急がれる子ども子育て支援、2020年代にさらに増える社会保障費。これらの財源は、不必要な支出を削ることや、消費税率を予定通り引き上げることなどによって、安定的に確保しなければなりません。低所得世帯の教育費の対策は必要ですが、子どものための教育に必要な財政支出を今の借金でまかなっては、親が財源の負担を放棄し、子どもたちが大人になったときに支払わせることになります。

基礎的財政収支の黒字化という財政健全化目標は、国民とは直接関係ない政府のお財布を身ぎれいにするだけの話では全然ありません。我々が日ごろ心地よく生活してゆく上で必要な社会保障や教育などを、今後もずっと安心できるようにしてゆく土台を維持してゆくために、基礎的財政収支の黒字化が役立つのです。
われわれ国民は、財政健全化目標を債務残高対GDP比に取り換えるというトリックにだまされることなく、基礎的財政収支の黒字化に向けたたゆまぬ努力を、政府に求めてゆかなければなりません。

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