NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「睡眠負債に気をつけよう」(視点・論点)

早稲田大学 教授 枝川 義邦

睡眠は、生きる上で欠かせない、重要な生理機能のひとつです。
しかし、睡眠時間は「ただ休んでいる時間」と思われがちで、「時間がもったいない」、「多少短くても大丈夫」と、日常的に睡眠不足を感じている人も多いのではないでしょうか。

最近の睡眠研究からは、睡眠の大切さを再認識するような結果も多く報告されてきています。

s170607_1.png

睡眠不足は、免疫機能の低下、糖尿病、がん、肥満、うつ、もの忘れなど、私たちの健康や脳の働きに弊害を及ぼすのです。また、感情や思考、記憶などをつかさどる、脳の前頭前野や大脳辺縁系の活動性が低下すること、ストレスホルモンであるコルチゾルの分泌量が多くなることも知られています。このように睡眠は、「とにかく生きる上で」必要なだけではなくて、脳や体の機能を正常に保って「よりよく生きる」ためにも必要なことが分かります。

s170607_3.png

ご覧いただいているのは、経済協力開発機構(OECD)の調査データです。日本は睡眠時間の短い国としてのポジションが、定位置になってしまっています。睡眠時間が短いとはいえ、データのように7時間以上と聞くと「結構、寝ている」という印象を受けるかも知れません。しかし睡眠時間を調べた別の調査では、日本人の約40パーセントは6時間未満の睡眠を続けているとも言われています。
睡眠不足は健康や脳の働きへの弊害が大きいものです。そこで、睡眠時間と脳の働きとの関係を詳しく調べた別の研究結果を見ていきましょう。

s170607_4.png

実験を受ける人たちを「4時間睡眠」「6時間睡眠」「8時間睡眠」のグループに分けて、2週間にわたり、それぞれ決まった時間以上は眠らないようにしてもらった実験の結果です。この実験では、さらに3日間の「徹夜」を続けるグループも加えて、毎日、認知テストをしてもらうことで、睡眠時間と脳の働きの関係を調べています。
その結果、8時間睡眠のグループでは、あまり認知能力に変化が見られなかったのに対して、4時間睡眠、6時間睡眠のグループでは、日を追って認知能力の低下が見られました。データより、6時間睡眠を1週間程度続けると1晩徹夜、2週間では徹夜を2日したのと同程度になってしまうことがお分かりいただけると思います。また、4時間睡眠のグループでは確実に眠気を感じる度合いが増していったのに対して、6時間睡眠のグループでは、さほど眠気を感じずにいたとのことです。つまり、6時間睡眠の場合は「充分、眠った」と感じて、生活習慣として定着させやすいという嫌いがあるのです。先ほどのように、多くの日本人は6時間未満の睡眠しか取れていないのが現状ですから、連日の徹夜をしたときと同程度の脳の働きで毎日を過ごしているのかも知れません。 
睡眠不足は、なにかの作業の失敗や、事故につながる「ヒューマンエラー」の原因にもなることが知られています。例えば、お酒を飲んでからクルマの運転をすることは大変危険なことですが、実は、睡眠不足で行う作業は、飲酒をしたときと同様の状態になることをご存じでしょうか。

s170607_7.png

私たちが起きている時間のなかで、充分に覚醒して作業を行うことができる時間は12時間〜13時間程度であり、連続して15時間以上起きている状態では「酒気帯びの状態」と同程度の作業能力になることが知られています。さらに時間を延ばして17時間では、血中アルコール濃度が0.05パーセントの状態と同程度に低下。これは、体重が45キロの人が缶ビールを1缶、体重60キロの人であればウイスキーをショットグラスで2杯飲んだときと同程度の状態です。24時間、つまり丸一日眠らなかった場合では、血中アルコール濃度が0.1パーセントですから、17時間のときの倍の量のアルコールを飲んだときと同じような状態になってしまうということです。
飲酒運転は法律で禁止されていますので、心理的にもブレーキをかけやすいのですが、「寝不足運転」には歯止めをかけにくいのが現状でしょうか。生活のなかでの睡眠習慣が日常の作業能力に影響しやすく、もしかしたら事故につながってしまうこともよく認識していただきたいと思います。
ところで、「睡眠負債」という言葉をご存じでしょうか。睡眠負債とは、睡眠不足の弊害がどんどん膨らんでいくという性質を表した用語です。気づかないうちにたまっていく「眠りの借金」が睡眠負債です。睡眠時間の特徴は、「貯金はできないが、借金はできる」というものです。つまり、寝だめはできずに、寝不足を続けると、その影響がどんどん膨らんでいってしまうのです。その結果、冒頭でお話したような、脳や体の働きに不具合を生じる可能性が高くなってしまうのです。 
逆に、「睡眠負債」を解消すると、気分がすっきりして脳の働きが良くなるだけでなく、スポーツ選手の例では、「うごき」や「成績」のパフォーマンスも向上するという研究結果があります。
私たちの日常では、定常的に脳や体の働きが「にぶい」状態で過ごしている可能性があることから、「睡眠負債」を返すことで、生活や仕事での高いパフォーマンスを引き出せるようになるかも知れません。
日常の睡眠不足を解消するほど長く眠れる環境にいないという人は、積極的に「昼寝」を取り入れてみてはいかがでしょうか。昼寝は、10分から15分程度でも眠気の解消だけでなく、認知能力も回復することが知られています。休憩時間などを活用して少しでも脳を休めるという姿勢が、午後の脳の働きを大きく変えていくのです。 
ここまでお話した内容から、日常的に充分な睡眠時間を確保することは、なかなか難しいことだと感じた人も多いのではないでしょうか。確かに多くの調査結果からは、そのような状況が伺えます。このような状況では、質と量の関係から、「量」ではなくて「質」を取るという発想も、ひとつのアイデアです。
最低でも眠ってから最初の3時間程度の時間は確保し、その時間帯の質を高める工夫をしていきましょう。この時間帯には、「成長ホルモン」と呼ばれるホルモンが多く分泌されています。「成長ホルモン」は、子どもの体や脳の成長に関わります。そして大人であっても、新陳代謝を高めることや、起きて活動している間に傷ついた脳の神経細胞を修復するなど、いわゆる「アンチエイジング」の役割をもつホルモンです。脳の働きを健常に保つために、この時間帯を集中的に良いものにしていくのです。
そのためには、起きている間に、睡眠の質を高めるための行動を多くしていきましょう。例えば、朝起きたときにはカーテンを開けて充分な日光を浴びる、夕方以降はカフェインを多く含む飲料を飲まない、起きている間はよく体を動かす、といったことを習慣にして、メリハリのある一日を過ごすようにするだけでも、睡眠の質が大きく向上することが分かっています。
また、夜間、特に就寝直前のパソコンやスマートフォンの使用を避けることも有効です。これらの画面から出る強いブルーライトを見ると、脳で「メラトニン」というホルモンの分泌が抑制されてしまいます。メラトニンは眠気を促す働きをすることから、ブルーライトが眼に入るような環境を避け、やや明るさを押さえた部屋で過ごすことが、質の高い睡眠を手に入れる準備になるのです。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチも、「充実した一日を過ごせば、幸せに眠れる」という言葉を残しています。起きている時間と眠っている時間の両者に目を向けて、一日24時間全体をコントロールしている意識をもつことができれば、心身ともに充実し、高いパフォーマンスで、一日を過ごすことができるでしょう。

キーワード

関連記事