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「山の天気を学ぶ」(視点・論点)

山岳気象専門会社 代表 猪熊 隆之

全国の山岳遭難事故は増加傾向にあります。事故の原因のひとつに気象遭難があります。件数自体は多くはないものの、パーティ全員が亡くなるなど、非常に痛ましい事故がたびたび起きています。しかしながら、気象遭難は必要な備えをしておけば、防ぐことができるものがほとんどです。
そこで、今日は気象遭難を防ぐために登山者が知っておくべき最低限の基礎知識をお話しします。

気象遭難の中でもっとも死亡者数が多いのは低体温症によるものです。低体温症とは、人間の体温が下がっていき、35度以下になった状態です。体温が下がり続けると、意識混濁に陥り、やがては死に至ります。登山中に体温を下げる要因は3つあります。強風、濡れ、低温です。この中でもっとも体温を下げる効果が大きいものが強風、次が濡れです。したがって、風雨や風雪が激しいとき、雨や雪に濡れて稜(りょう)線で風に吹かれたとき、汗をびっしょりかいて強い風に吹かれるとき、などに低体温症は起こりやすくなります。

低体温症による遭難事故は、件数こそ少ないものの、しばしばパーティ全員が亡くなるなど、大事故につながるケースが多く、事故が起きるたびにメディアなどでも大きく取り上げられます。2009年にトムラウシ山付近で発生した大量遭難を始めとして、1989年10月の立山連峰、1993年5月の月山、1994年2月剱岳と吾妻連峰、1999年9月の羊蹄山、2006年10月と2012年5月の白馬岳など、複数の登山者が亡くなる死亡事故が相次いで発生しています。
いずれも、平均風速が毎秒15メートル以上の強風が吹いていて、降雨や降雪を伴っている状況下で発生しています。
これらの事故が起きているときの気圧配置はほとんど同じです。低気圧が発達しながら日本列島を通過した後、日本付近で等圧線が込み合うときの日本海側の山岳において事故は起きています。したがって、登山前にこのような気圧配置が予想されているかどうかを、気象庁や民間の気象予報会社のホームページやアプリなどで確認して対策をとれば、ほとんどの低体温症による事故は防ぐことができたはずです。それにも関わらず、事故が繰り返されるのは、登山者の多くが天気図を見ないか、見ても天候の悪化を予想できないからです。残念ながら、こうした事故は、少なくとも平地や山麓の天気予報を確認するだけでは防ぐことができません。それは天気予報が当たるときには気象遭難は発生せず、平地と山とで天気が異なるときや、予報が外れたときに遭難が発生してしまうからです。
重要なことは、低体温症による事故が起きているときの気圧配置を覚えてしまうことです。事故が起きているときの気圧配置を見比べてみましょう。
まず、白馬岳でガイドツアーの参加者4名が亡くなった日、そして、北アルプスで計8名が低体温症で亡くなった日、さらに、トムラウシ山で大量遭難が発生した日の天気図です。

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これらをご覧いただくと、いずれのケースでも日本列島の東や北に低気圧があり、遭難が発生した山の辺りで等圧線が込み合っています。低気圧の周辺では反時計周りに風が吹いています。そのため、低気圧が抜けた後は、北西や西よりの風が強まり、海側から風が吹いてくる山で天気が崩れます。

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この場合は、日本海からの湿った空気が山の斜面で上昇して風上側の日本海側で雲が発達します。
一方、太平洋側では山を吹き降りる下降気流となるため、天気は回復します。そのため、太平洋側に住んでいると、低気圧が通過した後は天気が回復するはずだ、と思っている人が多く、まして天気予報で晴れマークが並んでいると余計にそう思えてしまいます。ところが日本海側の山では低気圧が通過した後、むしろ天候が悪化することも多いのです。
また、等圧線の間隔が狭いほど風は強く吹きます。低気圧が発達しながら日本列島を通過すると、等圧線の間隔が狭くなっていきます。このため、低気圧が通り過ぎても、等圧線の込んだ部分が日本列島に残り、風が強く吹きます。特に日本海側の山では海からの風となるため、遮るものがなくなり、風が一層強まるのです。
さらに、低気圧の通過後は、シベリア方面から冷たい空気が入ってくるため、秋や春は標高の高い山や北日本の山で雨が雪に変わり、猛吹雪となることがあります。
こうした悪天を予想するためには、登山前に、気象庁や民間の気象会社のホームページ、アプリなどに掲載されている予想天気図を確認しましょう。

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1.低気圧が発達しながら日本付近を通過
2.通過後に等圧線が目的の山で混み合っている
登山当日の予想天気図でこれらの特徴がある場合には、日本海側の山での天候悪化を予想し、計画の変更や登山の中止などを考えましょう。
自分の登る山がどのような気象特性を持っているかをあらかじめ知っておくことも大切です。
低体温症による山岳遭難は同じような場所で起きる傾向にあります。過去において、気象遭難が多発している山の特徴は以下の通りです。

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1.山小屋や避難小屋の間隔が長い
2.尾根上や稜線上を長く歩く、森林限界より上のルート
3.エスケープルート(脱出路)が少ない
4.日本海側気候に属する山
1.については、暴風雨や暴風雪に襲われたときに、避難できる場所が少ない登山ルートになります。たとえば、気象条件が厳しい夏季の槍ヶ岳や穂高岳、富士山などで低体温症による死亡事故がほとんどないのは、山小屋の間隔が短く、天候が急変しても逃げる場所があるからです。また、槍ヶ岳や穂高岳では、登山道が風の影響を受けにくい谷沿いにつけられていて、稜線に出た途端に山小屋があることも大きいでしょう。また、稜線上においても岩場が多く、風を避けられる場所があることも影響していると思われます。
逆に、白馬岳や大雪山系、十勝連峰で気象遭難が多発しているのは、一見なだらかで優しい山容が逆に気象遭難の危険性を高めているということに、多くの人が気づかないからです。晴れた日には楽園のような花咲き乱れる草原が広がりますが、なだらかな尾根であるので、風から身を守ることのできる場所が少ないですし、尾根上のルートでは山小屋や避難小屋の間隔が長いことや、尾根上から脱出できるエスケープルートが少ないという特徴もあります。そして、日本海からの季節風がまともにぶつかる場所に位置し、気象遭難が多発する気圧配置のときに、暴風雨や暴風雪になるのです。
技術的、体力的な難易度はガイドマップなどで書かれていますが、これには気象上のリスクについては考慮されていません。
自分が登る山がどういう山なのか、そしてルートがどういう気象上の脅威にさらされるのか、しっかりとイメージしてから山に向かうことが重要です。
これは、登山前に自分の登るルートのリスクを想定する、ということにもつながります。気象面に限らず、道迷いに注意が必要な場所や、岩場があって滑落の危険性があるかどうかなど、登山計画を立てるときに、このことは絶対におこなわなければなりません。そして、そうしたリスクについて対策をあらかじめ講じておくことも大切です。
夏山においては落雷や沢の増水による気象遭難についても考えなければなりません。シーズン前に、あらためて、気象遭難を防ぐための基礎知識を学んで頂ければと思います。

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